赤瓦
『カイミジンコに聞いたこと』という随筆集がある。元東大の古生物学者 花井哲郎氏の著作。半年前位(平成19年6月頃)読んだ。
この随筆集のこと、チョットしたきっかけで『万年山文庫』のあるじ殿に紹介したところ、この本を買い求めたという記事が同氏のブログに掲載された。
人間の記憶というのは不思議なもので、何かの事で呼び覚まされることがある。このブログを読んだ瞬間、この随筆の中に記載されたある内容が私の脳裏を駆け巡った。
その内容は「随筆の筆者が沖縄で台風に遭い、沖縄の低く赤い屋根はこの強い風に耐えるため生き残った、と思いつく。そして『人為選択』という文明批評を短い文章で展開する」というのが概略である。
八色石が属する石見地方にも「石州瓦」という赤瓦がある。ただ、沖縄ほど原色でなく茶色に近い。
この家を求めたとき
「屋内の改修は二の次、一番に屋根を直しておかねば」
と、Mの父がほとんど独断で屋根の葺き替え工事をとり進めた。大工、左官の手配は勿論、瓦の仕様まで決めてしまった。
平成13年5月の連休、我々がこの家と初めて『ご対面』する時は、すでに左官が瓦を張り替えていた。例の赤瓦である。
当時我々はこの赤瓦にあまり好意を抱いていなかった。
「赤すぎない?」とM
「棟の端の飾り瓦も少し派手だし」とK
その場に手配者がいないのをいい事に、二人それぞれ不満を口にした。
時間が過ぎる。平成13年12月だったと記憶する。
「来て!すごい所見つけた」と、Mが私を呼ぶ。
木を掻き分け、高台に登ると八色石集落が見渡せた。「見つけた場所」は今で言う『展望台』。
八色石の家並みはそれぞれが赤瓦で覆われ、見事に自然と調和して見えた。
以来、いつの間にか赤い瓦に対する嫌悪感が薄らいでいた。勿論黒い瓦の似合う家もある。しかし、我が家の構造であれば断然『赤』だ。
いつしか
「黒にせず、赤でよかった」と、言い合うようになっていた。
この感覚は。展望台で目にした光景がきっかけかもしれないが、この八色石に生活していく内、自然と心の中で醸成された気がする。
八色石を含めた山陰の冬は長くて暗い。厚い雲が毎日空を被う。この暗さの中では、屋根の色は黒より明るいほうが相応しい。かといって、ハイビスカスの咲かないこの地に、原色は似合わない。花井氏が説くように、『人為選択』の長い経過を経て、石州瓦の「赤色」が定着したものかとも思われる。
そうであるなら、この地で生活し始めた我々がいつの間にか『赤瓦』を好むようになるのは、当然といえば当然の帰結である。
ドイツの風景で、赤い屋根を写した写真を目にすることがある。確かに詩情を感じる。しかし今では、八色石もドイツに負けないではないか、と我田引水の言がつい口に出る。
追記
新聞報道によれば、花井氏は平成19年10月26日、83歳で亡くなられた。日本最初の恐竜化石「茂師竜」の発見者でもあるらしい。
花井氏は先の随筆の末尾を「自然との調和を考えない人為選択とは恐ろしいものである。かくて、文明社会の景観は変って行く」と結んでおられる。
有難いことに、当地八色石は変化の速度はきわめて遅く、悠々とした自然が残されている。これも当地の人の『人為選択』の結果に他ならない。
(ただし、別次元の問題を内包していることは言うまでもない)