秋の七草

 里庭内には「秋の七草通り」と称する小区画がある。「二の畑」と呼ぶ野菜畑の上段に位置する小道の一角で、転居後間もなくMが名付けた。
 野草を好むMは習慣のようにして敷地内を歩き回り野草などを愛で、活花の材料を求めてくるのであるが、一箇所秋の七草に属する草花が集中して生えているのに気づき名付けたのである。




      秋の七草通り


 万葉集に山上憶良の歌がある
  秋の野に 咲きたる花を 指折り(おゆびおり)
  かき数えれば 七種(ななくさ)の花
   萩の花 尾花葛花 撫子の花
   女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花
 秋の七草の語源といえる歌である。

 「秋の七草通り」に咲く花は、当初自然に生えていたものとして、ハギ、ススキ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマの5種類で、その後キキョウを移植し現在では6種類が咲くようになっている。クズを移植すれば7種揃うが、これの移植はあえてしない。

 今年(平成22年)も秋を迎え七草の花が咲きそろった。中には余り歓迎しないものも存在する。七草に関する我が庭の状況を概観してみることにした。

 萩の花・・・七草のうち萩のみは草でなく木である。丸い葉をつけ秋たけなわの頃赤紫の小さな花を無数に付ける。「秋の七草通り」や「原生雑地」の土手「桜台」の奥などに自生する。成長の早い木で、秋も終わりの頃草刈りと同時に刈り倒すのであるが、翌年にはまた1m余りに成長し赤紫の花を付ける。

 尾花・・・尾花とはススキのことである。秋も深まりススキの穂が白く揺れる様は風情があるが、この植物、我々にとってはあまり好ましいものとは言えない。転居してきた当時、「義衛台」一帯や「大傾斜」はススキに覆われ地形が把握できないほど蔓延っていた。これを駆逐するのに3〜4年は要した。その残骸は今でも里庭内のあちこちに散見できる。

 葛花・・・かつては根からくず粉を採り、つるは結束材として利用した由であるが、現在は厄介者という印象が強い。里庭内では「横庭」や「大傾斜」の一角で自生する。繁殖力は極めてつよく、10mを越すほどつるがのびるのも珍しくない。刈り込んだつつじの上を覆いつくすほど繁茂したり、草刈り時などつたが機械にからみ作業性を妨げるなどする。七草の一つとはいえ、あまり増えて欲しくない植物である。

 撫子の花・・・秋の七草の中では最も可憐な花をつける。縁が細かく切れ込んだピンクの花は、野草というより人口種の花を思わせるほどである。このような花ならいくら増えてもかまわないと思うが、なかなかそうはいかない。自生しているのは「七草通り」の中、家裏にあるワビスケの根元の2箇所である。

 女郎花・・・花期は長い。8月初旬から10月初旬の間、黄色の小さな花をつける。「原生雑地」の土手、「義衛台」の一角、「大傾斜」前の町道沿いなどあちこちに自生する。
 町道沿いに咲くものは草丈が伸びれば車に当たり邪魔になる、かといって草刈りを行えばオミナエシも一緒に刈ることになる、と痛し痒しの状況にあった。昨年根ごと掘り起こし「桜台」の上段に移植を行ってみたが、日当たりが悪い性か思うほど活着しなかった。前庭や裏庭に移植したものは良く根付き秋になると長期間目を楽しませてくれる。
 オミナエシに限らず秋の七草と草刈りの関係は難しい。本来なら年に2〜3回草刈りをしたいところであるが、草丈が伸びる6、7月頃に草刈りを行うと七草の花芽も一緒に刈ることになり、秋に花が楽しめない。やむを得ず花のシーズン終了後年1回の草刈りとなるが、草丈は伸び放題で、この区域の草刈り作業は結構つらいものとなる。

 藤袴・・・平安時代に中国から渡来した由であるが、現在ではきわめて少なくなり絶滅危惧種に指定されている。淡い紫紅色の小さな花をつける。
 自生のものは「秋の七草通り」に僅かに咲く。
 神岡時代友人から苗をもらい持ち帰ったものを「前庭」に植えている。

 朝貌・・・朝貌の花が何を指すかについては諸説あるらしいが、桔梗とする説が最も有力ということである。
 我が庭に桔梗の花は存在しなかった。野生の桔梗は近年減少しており、これも絶滅危惧種に指定されている。
 園芸種の桔梗は他家の庭先などで時折見かけるが、花の数も多く清楚感には欠ける。
 数年前のことであるが、ある知人から「野生の桔梗が咲いている場所がある。頼んでもらってあげようか」と声をかけて頂いた。是非欲しいと菓子箱持参でお願いに行き、根元から数本掘り取り持ち帰った。七草通りと裏庭に植えたのが少しづつ増え現在に至っている。

 草花に関する愛着はMの方が圧倒的に大きい。知識も豊富である。秋の七草に関連する様々な動きも大半はMである。
 一方Kの方は、草花に関しては全く疎い。秋の七草もMの講釈を聞きつつようやくにして覚えたものである。
 転居して9年の歳月が過ぎた。七草の花を脳裏に浮かべつつ、移ろい過ぎた日々を思うこの頃である。