私の料理遍歴

 古今亭志ん朝の噺に「愛宕山」というのがある。
 旦那が“一八”という幇間と芸者連を連れて愛宕山に登ることになる。芸者連がヒョイヒョイと登るのをみて、一八が負け惜しみを言う。
 「女に出来て、男に出来ないことは無いんだヨ。俺なんか修行が違うんだからナ。包丁持たしたって針を持たしたって、決して女には負けないヨ。女のやることは何でも出来ますヨ。下手すりゃこっちは身籠りかねないんだから」
 冒頭の笑いの部分。

 新聞広告によると「梅沢さんちの台所」という本も出たらしい。「下町の玉三郎が華麗に包丁を握った」という詠い文句である。

 こんな風に今でこそ男が包丁を持つことは珍しく無くなったが、私(K)の青壮年期は、料理を初めとする家事は女性の仕事、というのが主流の考えであった(と思われる)。
 かくいう私もそうである。仕事という美名に隠れ家事は全くしなかった。料理は勿論、子供の教育も全て家人(M)に押し付けた。自慢ではないが(?)子供の参観日、発表会に出席した記憶が無い。

 ただし、一つ例外があり、1年間料理を作ったことがある。「サラリーマンの料理」といえば「単身赴任」と思われよう。ところが、そうでなく娘と一緒の食事を作ったという話。

 神岡へ転勤の打診があった。家族会議。娘は中学から高校へ移る時期。一緒に行っても良いと言ってくれる。ただ、息子は受験を控えた高校2年生。一緒というわけにはゆかない。Mが1年残ることになった。山梨(白根町)と岐阜(神岡)の2所帯分離生活である。

 種々問題が予測されたが食事もその一つ。朝はパンか何かでよい。昼食、私は社員食堂、娘は弁当を自分で作るという。難題は夕食、私が作ると宣言した。
 Mの所有する料理本の中から、目ぼしいものを数冊引越し荷物に押し込んだ。

 ぶっつけ本番の日課が始る。経験はない。手引書(料理本)どおりの“作業”である。
 休日には向こう1週間の献立表を作る。
  月 ・・・ B(43)、D(6)、A(23)
  火 ・・・ C(62)、A(35)
   ・
   ・
  日 ・・・ G(21)、D(32)、E(5)
という次第。
 この暗号は次の意味をもつ。料理本の表紙にマジックインキでA〜Gの記号を付けた。カッコ内数字は頁数を示す。この組み合わせで料理が指定できる。ページを開けば料理手順がすぐ見られる、レシピ付き献立リストという訳だ。材料も1週間まとめ買い。全て手引き書と同じものを求めた。

 かなり真面目に作ったが、娘にとっては不味いのであろう、残すこともしばしばあった。
 後年、娘が帰省しこの件に話が及んだとき
 「当時は子供だったネ。今なら、不味くとも『おいしい』と言ってあげられる」
と、懐かしそうに往時の日々を振り返った。

 1 年経ち息子は何とか大学へ入学。Mが神岡へ越してきて私の料理奮戦は終了した。そして私の生活態度は元へ戻る。

 帰郷して2年程度経た頃か、私のこの“態度”が一変する。
 「週1回夕食を作ろうか」と申し出た。動機は思い出せない。
 相手に異存があろうはずはない。

 ただ、いつまで続くかは懸念したであろう。申し出者自身、自信があっての発言ではない故、この懸念は当然である。
 しかし驚くべき事に、その後少なくとも4年間、この申し出は欠かすことなく続いている。

さて、作り方であるが、話の都合上少し遡る。
帰郷した時の購入品に冷凍庫がある。八色石は店から遠い。頻繁に買い物も出来まい。食材はまとめ買いになろう、と少し大きめの専用冷凍庫を求めた。その2。Mは児童クラブの仕事を始めたとき、児童のおやつを調達することもあって「生協」に加入した。生協、決して安価ではないが一応(中国製餃子事件の後、本文記述)安全、安心、田舎暮らしには便利な組織かもしれない。以降いくつかの食材を生協で購入し、冷蔵/冷凍庫で保存している。

 本題に戻す。
 作るに当たっては前述の“例外”同様、「参考書」には目を通す。ただし今回は「まねる」為ではない。「ヒント」を得るためである。残念ながら未だ料理の経験は浅い、「メニューの引き出し」は極めて少ない。参考書をパラパラめくりながら、料理のイメージを固めないと、具体的な料理が決まらないのである。
 私は食材を全く買わない。Mが買い置きしたものと出来合いの野菜で全てまかなう。
冷蔵庫/冷凍庫の中身や野菜の在りようを確認して本を開く場合と、本を眺めた後食材を確認する場合の2通りがある。どちらかというと先に食材を確認する方が多い。
 イメージが固まると調理にかかる。参考書と同じ材料があるにこしたことは無いが、同じものが無いのが通常である。例えば、固形肉がミンチになったり、ホーレンソーが白菜の先端部に変じたりなどは“常態”である。逆説的な言い方をすれば、ここが「腕の見せ所」ともいえる。ただし、肉は肉、魚は魚、野菜は同系列野菜で置き換える、という原則はおよそ守っている。
 本に記載された調味料の内容はあまり重要視しない。基本は自分の舌による。いくつかの調味料を少しずつ加えながら、舌で確認して味を調える。記載の無い「鷹の爪」や「ゆずの皮」をアドリブで加えることもある。今では、「この調味料を加えると、味はこうなろう」と結果が予測できるようになった。
 手を抜かないのは「だし」、昆布と削り節で基本どおりとる。代用の「だし」は原則使わない。我々凡人の舌は「だし」さえ真面目にとれば『おいしい料理』に感じる、と最近は思うようになった。作る料理は和風(らしき)7割、中華(まがい)2割、洋風(もどき)1割の感じか、圧倒的に和風が多い。
 料理に掛ける時間は、最初のイメージ作りを含めて、1〜1.5時間程度。長すぎると疲労感が残る、手を抜くと何となく『感じる』部分が残る。無駄の無い作業を心がける。使い終わった調理器は調理内の空き時間で片付ける。この習性は、現役時代製造現場を指揮した経験が災い(?)しているかもしれない。

 こんな感じで作る料理、味の方は如何であろう。作った本人は一応満足して食べている。食べさせられるMの方、通常は
「おいしい」という。
 この理由、「自分で作らず食べられるところに価値を見出している」のかもしれない。
さらにうがった見方をすれば、娘の言い草ではないが、“もはや子供でない”Mが、私の気持ちを推し量り表面のみ
「おいしい」と、言っているだけかもわからない。