シルバー人材センター立上げ記
「太った豚になるより、痩せたソクラテスになれ」と卒業生に訓示した人がいる。元東大総長 大河内一男氏。当時(昭和39年)名言といわれ、よく知られた逸話である。
シルバー人材センターという組織がある。60歳以上で働く意欲のある人に仕事の場を提供しようとするもので、現在は厚生労働省が支援し全国では76万人の会員がいる(平成17年統計)。このシルバー人材センターという組織、他ならぬ大河内氏の提唱により、昭和50年に設立された。この組織、同氏の尽力で創設されたことはあまり知られていない。
平成14年は「平成の合併」前である。その年の2月下旬のこと、事前に電話連絡はあったものの、瑞穂町役場の健康福祉課 S課長および社協 U事務局長の突然の来訪を受けた。
何事かと、Mともども話を伺うと
「平成14年度健康福祉課の事業として、『シルバー人材センター』および『児童クラブ』の二つの新たな事業を立ち上げることとした。『シルバー』なら事務局、『児童』なら児童世話係の仕事になる。いずれでも良いが引受ける気はないか? ただし、希望としては『シルバー』の方を頼みたい」
とのお誘いであった。ご両名とも初対面である。
“サラリーマンは2度としない”と決意しての帰郷であったが故、戸惑いはあったが無為徒食も身の程知らず、と思い改め「シルバーの方をお願いしたい」旨申し出た。
平成14年4月1日。自分にとれば初出社の日、社協にとれば仕事始め式の日である。
会長訓示。役場挨拶廻り。
職場に帰って、事務局長から
「4月~6月を準備期間、7月から受託業務開始」の、基本スケジュールで行きたいが如何?と問われた。
勿論、依存は無い。以前の職場なら否応なし、もっとハードな場面も多くあった。
先ず、“7月開業”を照準にした「大日程計画表」を作成。これに盛込んだ大項目は、
・規程、標準類作成。会議体の成案
・広報活動
・会員募集
・就業開拓
・業務処理システムの導入
・その他諸事務(連合加入、保険関係他)
である。
この事業、2名の人員枠があることはすでに知らされていた。4月10日前後であろう。消化しなければならない仕事の量がおよそ把握できると、とても一人ではこなせそうにない。事務局長に「助っ人」の採用を申し入れた。
私の方からは「性別、年齢は問わないが、瑞穂の事情に詳しい人か、もしくはパソコンの出来る人をお願したい」と条件をつけた。この条件には一応理屈があり、「瑞穂事情に詳しい人ならその人に外回りをお願いし自分が事務処理をする、逆にパソコンが出来れば事務処理を頼み自分が外回り役を引受ける」と考えた。以上が条件の理由である。
数日後、局長から「人は見つかったが、上田さん(私のこと)の言う条件を満たした人ではない」とのこと。
急な要請につき、それも仕方なかろうとあきらめた。
初対面は4月16日、社協応接室にて。予想外の若い女性であった。備忘のノートに誕生日を記入している、おそらく質問したのであろう。昭和49年生まれ、なんと私の息子と同年である。この年になって、息子と同年の女性とパートナーとして仕事をするとは思いもしなかった。
初出社は4月22日。即戦力になってもらわないと私の身が持たない、その日から「上田流事務処理法」の押し付けが始まった。
先ずはパソコン技術の講習。局長仰せのとおり、確かにパソコンは素人に近い。Excel技法を中心に初歩から手ほどきした。「2度と同じ質問はしないように・・・」と注文をつけたが、私の要望を見事に守り、通常業務に必要なパソコン技術はおよそ1週間でマスター。その上達具合は私の予想をはるかに上回るものであった。
シルバー業務、このパートナーの存在が無ければ予定通り進まなかったであろう。
話しを戻す。
規程、標準類はモデルを参考にしつつも、わが町の組織に相応しいものになるよう配慮した。作ったものの、日の目を見ないものもあるなど紆余曲折の結果を経て、最終6本の規程、標準類を作成した。役員会、評議委員会で承認され、効力を得たのは5月20日過ぎである。
このほか多くの、“事務様式”を作成した。事務内容を整理統合し“機械化”したもので、以降の事務処理は大きく省力化されたと考えている。
広報活動にも力を入れた。社協広報誌へ紹介文を掲載。全戸配布のパンフレットも作成した。このとき作成したキャッチフレ-ズは「Silver Power
で築く ジャパネスク・美し国・みずほ」である。
各種会合に出かけ説明もした。
前述のパンフレットが各戸に行き渡った思われる5月27日から28日にかけ、防災無線放送による会員募集の呼びかけを実施した。この中では、7月から事業のスタートを予定していること、入会を希望される方は同封用紙で応募して欲しい旨の呼びかけをした。第1次募集の締め切りは5月31日とした。
呼びかけに応じての入会希望申込者は25名。
第1回入会説明会は6月21日に開催した。総会を持たない我がセンターとしては、この入会説明会をセンターオープンの記念日と位置づけ、少し形式張った形で開催した。
7月からの作業開始にむけ、6月下旬からは作業依頼の受付けを行うこととしていた。
記念すべき第1号の受付けは、6月25日付けとなっている。道路面から5m程度高くなっている屋敷の前の、根元が30㎝ほどの柿木を2本切って欲しいというものであった。しかし枝の下に電話線が通っている。高所作業車がないと倒れた枝で電話線を切りそう。作業能力が無いということで断った。記念の受注番号1番は「不調」扱いとなった。出足としては好調と言い難いスタートであったが、7月の受注結果は件数が13件、金額は459,646円とまずまずの滑り出しとなった。ただこの中には、町道除草の394,120円が含まれている。
この町道除草、「あの町道除草は暑かった」と、今でも会員の語り草になる思い出深い作業であった。
シルバー人材センター事業は、こんな経緯でスタートした。
平成16年夏、瑞穂町社協では町民1,000名を対象に社協業務に関わるアンケートを実施した。その中で、「社協が行っている福祉サービスについて知っているものに○をしてください」として24の事業名を提示したところ、「シルバー人材センター事業」の回答数が一番多かった。それまでに傾注した努力が報われた気がした。
平成18年3月31日。この日をもって、職を辞した。当初話しを聞いた時、1年もしくは2年と考えた。それが、すでに4年になる。望外の結果となった。
この4年間の勤務、『里庭』にとっても貴重な財産となった。里庭で暮すに必要な多くの技術をシルバー会員諸氏から教わった。見様見真似のもの、あるいは乞い願って教わったもの・・・。
技術だけではない。それ以上に重要な人の絆を得ることも出来た。お世話になった社協職員、ご苦労願った会員諸氏、そして仕事の依頼を頂いた町民の方々・・・。
さて、『里庭生活』、太った豚と痩せたソクラテスどちらに近いと言えるだろう? 太った豚はもはや望むべくも無い、しかし、痩せたソクラテスへの道も甚だ遠い。
(補足)
以下は、立上げ以降私が関与した期間の業務実績であある。
年度 会員数(名) 受注件数(件) 受注金額(千円)
14年度 94 150 3,712
15年度 121 337 10,931
16年度 136 361 11,808
17年度 149 534 13,665