新聞記事から

 年末になると新聞などに、1年を回顧する記事が出る。その内容は政治のことであったり、スポーツのことであったりするが、その年に亡くなった人のことも掲載される。
 年末(平成19年)の29日、1面下段のコラム欄に今年亡くなった政治家の事がその人の作った俳句とともに載った。
 紹介された句は
   冬薔薇(ふゆそうび)端然として崩れざる
 名は「藤波孝生」(享年74)。

 私(K)は、新聞を熟読する方ではない。購読紙も一つである。今は『読売』、体制派になったと笑う人も多かろう。
 タイトルに目を通し「コレ」と思う記事を読む程度である。
 新聞のスクラップもしない。ただ、取っておきたい記事、と思う内容に出会うこともある。その時はハサミなどで切り抜かず、見開き半分を手で破き机の引き出しに保存する。1年の間にはそんな新聞の半面が、何十枚か机の引き出しに貯まることになる。

 藤波氏の記事を読んだとき、氏に関する記事を保管した記憶が戻り、引き出しを開けてみた。
 2枚の新聞が出る。
 1枚は10月29日付け。氏の亡くなった事を告げている。下段とは言え大きな扱い。中曽根内閣の官房長官を務めたことなど。ただリクルート事件で、1審無罪、2審有罪、最高裁で有罪決定とも報じている。しかし記事は「クリーンなイメージが身上で・・・」と、有罪が確定した政治家に対しては温かい扱いであった。
 記事中、「俳句を愛し人生の節目ごとに心情を詠んだ・・・」とし
   控え目に生くる幸せ根深汁(ねぶかじる)
 の句が添えてある。
 2枚目は11月3日付け。橋本五郎の署名入り追悼文。題は「藤波さんを偲ぶ 木斛のように生きたい」。かなりの長文である。
 新聞記者と政治家との「距離の置き方」を論じた後「およそハッタリとは無縁だった」と人物評価を行い、俳句にも触れている。
 橋本氏の紹介は『控え目に』の句は「謙虚さをそのままうたった句として有名だが・・・。冬の厳しさに耐えてひっそりと咲くバラをうたった句に最も魅かれる」といい『冬薔薇』の句を載せている。

 話しが木の事に転ずる。少し長いが記事の内容をそのまま書き写す。


 藤波さんが伊勢神宮の庭に植樹したことがある。選んだ木は木斛(もっこく)だった。どうしてなのか。
 「木斛は周りのどんな木とも調和しながら、それでいてこの木一本さえあえば十分という存在感があるから だ」。そう解説していた。
 ささやかな我が離れの書斎から見える庭には2本の木斛がある。時に瞑想にふけるこの庵を「木斛堂」と 名付けている。


 長々と新聞記事を紹介した。

 何故私はこの記事を残したのだろう、と思った。
 『藤波さん』のことを、氏の生前私は何も知らなかった。「そうか、こんな政治家が今時いたのか」という思いが一つ。『控え目に』の句も身に染みた。
 この記事を読んだ時点、私は木斛がどんな木か知らなかった。自生する木を植えるのが原則であるが、記事にあるよう、そんなに良い木なら我が庭に植えても良い。
 「木斛という木をしっている?」とMに問う。
 「横庭に前の人が植えているじゃない!」とM。
 その木は常緑樹。確かに堂々と生えている。しかし私にとって、好んで買い求める木ではなかった。

 引き出しの中には、橋本氏の書いた別の記事もあった。10月13日付け。「老子」について触れた記事。その中で「止足の戒」の章を紹介している。そのまま転記。


 「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆(あや)うからず」
 欲望をほどほど抑え身の程をわきまえて適切なところにとどまる。その道理さえ心得ているならば、失うものは何もない。そういう意味である。


 私は昨年(平成18年)に建てた丸太小屋に「知足庵」と名付けた。ただし、今回はこの記事を読んで付けたのではない。老子の説く「足るを知る」心境に、少しでも近づきたいと願ってのことである。