集落長になりました
八色石集落では、新年1月の第1日曜日に「初常会」という行事がある。常会というのは、集落自治の最高議決機関で、重大な物事の決定はこの常会でなされる。
初常会は新年互礼の意があり会の後半は酒宴となるが、前半会議の主要議題に次年度(4月〜3月)の役員選出がある。役には集落の長(集落長)、神社の守役(神社総代)など約20のものがあり、推選で決まるものもあれば、出席者の投票によるものもある。
平成19年1月に行なわれた初常会の席上、私は19年・20年度の集落長に選挙で選ばれその職に就くこととなった。
時代は変化しているとは言え、従来からの慣習が色濃く残る山間の集落において、過去の家系を継がない“よそもの”を集落の長に選ぶという事は、集落にとり異例の事であろうし、一方、私にとっては「厄介な事になった」と思う反面、集落の人に認知されたと少し安堵する側面もあった。
集落には集落自治組織の他に「講中(コウジュウ)」という組織がある。講中の起源は浄土真宗が布教の手段として作ったと言われ、天災地変の時の助け合いや葬儀の手伝いを目的とした。八色石の場合、助け合いの部分はかなり薄れているが、葬儀の手伝いの意味合いは今でも色濃く残っている。
「集落」はある意味地方自治組織の一部になっているため、住民票を移せばほぼ自動加入となるが、これに伴う義務も生じる。一方、「講中」は私的な組織で、メンバーの承認が得られないと加入できない。この場合、日常表面での不便は無いが、万一の時は無視されることになる。他集落の事例であるが、転居後2年になるに未だ講中に加入できない人もいると聞く。
八色石に移る前サラリーマン時代にも何度か転居を重ねたが、彼我とも一時的居住ということもあり周囲の「組織」に気を配ることは無かった。
しかし、今回は終の棲家である。事情が異なった。当地の事情に詳しいMの両親が集落長や講中の構成範囲を事前に調査し、集落長には“集落の皆様へ”という意味の酒を持って挨拶に行き、また講中に対してはMの父を案内役にし、手土産持参で戸別に挨拶して廻った。
田舎に住むとは大層な儀式を伴うものと始めて知ると同時に、これから先上手くやっていけるのか住人として認めてもらえるか、不安な気持ちを抱いたものである。
さて、八色石での生活が始まる。媚びる事もないが無用な摩擦を起すこともない。そのためには、集落の慣習など生活上の注意点を習う「先生」を探す必要がある。
向こう三軒両隣というが、我が家の場合右隣に家は無く左隣は空き家である。100m余り離れた向こうには、幸い三軒の家がある。向かって左は早くご主人を亡くされたOさん。無類の働き者で留守も多い。正面は70歳を越したM夫妻。向かって右はM夫妻の長男一家。仕事は教師。奥さんも務めがありこれまた留守が多い。
「教師役」にはM夫妻を、心中勝手に選任した。
集落の行事・・・
集落住民との付き合い方・・・
草刈り機などの購入先・・・
野菜の種の蒔き方・・・
などなど生活全般に及ぶ
ご主人は誠に律儀、質問に対しては必要にして十分な答えが返ってくる。奥さんの方は極めて話題が豊富。必要項目は、こちらが考えなくても先方から出ることもある。お陰でこちらが気の付かない集落のことなど、多くの情報を短期間で入手できた。
いずれにしても、M夫妻を起点に、集落付き合いの輪は徐々に拡大して行った。
我々夫婦は共に百姓の子である。高校時代以前、両親などと暮らすときは農業の手伝いをした。田植えや稲刈りなど、当時手伝った作業方法は覚えている。ただ、故郷を離れたこの30余年の間に、農作業の方法は一変した。鎌や鍬の作業から草刈り機やトラクターに変わっている。こうなると百姓の息子が習得した昔の経験と知識が全く役に立たない。全てのことに教えを請うことになる。
ただ、認知を得ようとする場合、教えを受けるのみでは不味、自分の存在をアピールすることも必要と考えた。「農作業は足元にも及ばないが、この部分なら皆様より少しは・・・」という訳である。
数年前、NHKの番組でプロジェクトXという番組が放送された。無名(有名の場合もあったが)の日本人リーダーとそれをささえた人々のドラマが熱く語られた。私(K)の会社生活でも、この番組に近いものも無いではない。若い時はプロジェクトメンバーとして、後半はリーダーとして様々なプロジェクトに関与した。中には、リーダーとして社長賞を受けたものもある。ただ、これらの話を集落の人に話しても何の意味もない。
何をすればよいか? こんな事を考え始めた頃のことである。
講中で葬儀が出た。私にも手伝いの要請があり、会計係を命ぜられた。
葬儀の方法は集落により異なり多岐にわたる。会計に係わることを中心に述べると、まず、葬儀に必要な金額を当家から預かる。その中からお坊さんに渡すお布施、仏壇の賃借料、食事の材料など全ての費用を支払う。また、香典などの受け付けなども行う。葬儀が終了した時点でこれら金額の出入りをまとめ当家に報告する。当然のことながら記帳内容と手元残金が合わなければならない。ただ、過去これらが合わず、内容の再確認に手間を要した事例も多いと聞いた。
異例かと思ったが、私は会計処理にパソコンを持ち込むことにした。Excelで簡単な会計帳を作り、金銭出入りを計算する。パソコンの残金データと手元の現金を都度照合した。会計係には葬儀の書記の役目もある。進行経過や手伝いの人名など葬儀一式の内容を記載した書類もパソコンで作成した。
一連の儀式が終わる時点では、葬儀報告と会計報告とが完成していた。その後たて続けて2件の葬儀が出た。2回とも会計係の要請が来る。同じ作業を実行した。
平成15年の初常会で集落自治会の会計係に選挙で選ばれた(15・16年度)。従来の業務を踏襲しつつも、改善できる箇所改めた。当然パソコンも活用した。年度末の会計報告は概して好評であった。平成17年の初常会で再度会計係に選ばれた(17・18年度)。続けての業務ゆえと辞退したが、強い要望で受けざるを得なかった。
*少し余談。詳細は別の機会に記述したいと思うが、平成14年4月から社会福祉協議会に職を得て「瑞穂町シルバー人材センター」の設立業務に従事した。これもプロジェクトの一つである。集落で認められる手段として、役立ったかもしれない。
平成19年4月。集落長の任についた。常会や総出の草刈り、泥落し祭りなど行事も多い。自治会、役場からの業務も加わる。
そんなこんなで新米集落長がスタートした。
「長」の付く立場には2度となるまい、と固く心に決めての帰郷であったが、今回ばかりはやむを得ないと考えている。