龍岩神社例祭時の出来事
八色石集落には龍岩神社という社があり、集落はずれの小山の上に建てられている。
国土地理院製の2万5千分の1の地図で、その場所の在り様を少し詳細に見ると次のようになる。
まず登り口の標高は335m位。社のある高さは、この地に三角点もあり434.1mとなっている。その差は約100mとなる。また登り口から社までの水平距離はおよそ270mある。高さ100m、底辺270mの三角形を想定すると、斜面の長さはピタゴラスの定理から288mになる。この時の登り角度は、逆三角関数を用いて計算すると約20度になる。この角度は平均の角度であり、地図上で最も急そうな場所の角度を求めると30度に上る箇所もある。図形で30度といえば左程にも思えないが、いざ登り降りする段になると大変な急勾配である。この間をブロックとコンクリートで作った階段がつないでいて、その段数は440を超える。
一方、登り側の急斜面に対し、社の後方は「馬の背状」になっておりほぼ平坦な地形が長く続いている。
この神社では、春と秋の年2回例祭がとり行われる。春は曜日に関係なく4月3日、秋は10月の第2土曜日と決まっている。
例祭の日は各戸から1名が出て、参道の階段や境内の掃除をするのが慣わしである。箒やチリトリ、鎌など思い思いの道具を持参して集まる。階段の下方から、順次上に登りつつ掃除をする。祠周辺の境内も結構面積があり、参道も含めて掃除の時間はおよそ1時間である。
掃除の後は祭礼儀式になる。急坂に耐えかね途中で作業を終え境内まで上らない人もあって、祭礼に参加する人は25人前後となる。
祭礼はまず太鼓のお囃子で始まる。囃子に合わせ神主の祝詞、2人の氏子が担ぎ上げた山海の品のお供え、玉串の奉てんと続き、その後お払いなどがあって一連の儀式を終える。儀式の後は、皆でお神酒など頂き祭礼行事の終了となる。
(補足)この場の雰囲気は「龍岩神社春祭り」で窺える。
平成16年4月3日の事である。例年通り春の例祭が執り行われた。
当時Kは社協勤務を始めていたが、同日は土曜日。Kが清掃に参加した。ただ、帰郷して3年目、作業に集まった方の名前も不確実な頃で周囲に遠慮しつつの参加であったと記憶する。
階段の清掃を終え境内の清掃に移った頃のこと、急に便意を感じ始めた。
困ったことになった、と不安感を覚える。小ならまだしも大である。
前述の坂を下りそして再び登るには、その道程はあまりにも長く急すぎた。それに時間も無い。
迷った挙句、祠の裏山で用を足す決心をした。
草など踏み分けられたような跡があり、中に踏み込んだ。祠に近いと「罰が当たる」と少し離れた場所まで移動することにする。
道の途中、前年あたり用がなされた跡であろう“古ぼけたちり紙の小山”もあり、「先人もいる」と安堵したりなどもする。
50m余り分け入ったと思う場所に来て、ここらで良かろう、と用を足した。
完了したという安堵感と、神の山でという悔悟の念が交錯した。
さて、祠への帰途を目指す段になって、「アレ! どっちの方向?」と思うことになる。
「おそらく コッチ」と思って少し歩くと、急に降り始めた。
「違っている」と自分の作った“ちり紙の小山”まで戻る。
「コッチ?」と違う方向に進むが見覚えが全くない。また戻る。
2、3回探しているうちに、方向が全くわからなくなってきた。
兎に角、命綱は“小山”だけである。いつもなら忌み嫌う小山”を、見失わないよう細心の注意を払いつつ行動を続けた。
5分? 10分? 結構時間も過ぎたとき
「ドン ドドン ドドン」と太鼓のお囃子の音が聞こえる、
「助かった」と思った。
その方向は、当初見定めた方向とはかなりずれていた。
音を頼りに帰り道を探す。“古い小山”も見つかる。祠の屋根が見えてきた。
春の祭りは時期が早く、まだ寒い時もある。入口の障子は閉めた状態で祭礼儀式が始まっていた。
障子を開け、何食わぬ顔で祭礼に参加した。
祭礼が終わりお神酒を頂くとき、「何かあったの」と聞く人もいなかった。
祭礼の後、神主、お囃子の奏者、氏子総代そして集落長が集まり「なおらい」を行うしきたりがある。
平成20年10月18日、秋の例祭が行われ集落長として「なおらい」に参加した。囃子の奏者はいつも同じ人。
奏者に向かって「命の恩人」と、先の話を披露した。
参加者一同大笑い。「罰が当たる」という脅しの言葉は、誰からも発せられなかった。