(写真をクリックすると、大きな写真が表示されます)

2018年5月31日(木) ラベル531
刈刃研磨機の話 その4
24日の続き。グラインダーの話。

もらい受けた研磨機には当初専用のグラインダーがついていた。
ただ、まともともに動かないのは承知済みで、別に所有する汎用のディスクグラインダーを使う予定にしていた。
幸いなことに支持台の手持ちがあって高さを調整すれば使えそうである。支持台を切断して高さを変える。
ここまでは、時間は要したが予定通りに作業は進んだ。

苦労したのは、グラインダーの設置場所である。
最初あまり深く考えず台に穴をあけ取りつけた。
研磨作業をしてみる。削れはするが、刃先形状が思い通りにならない。
さらに、考慮すべき条件がいくつかあることも判ってきた。グラインダーの摩耗による直径の変化、それを補うグラインダーの保持位置の移動、それの影響による刃との当たり角度の調整・・・などである。

予測を立てて穴をあけ(3mmの鉄板に直径10mmの穴を2個)取り付けるが、研磨の結果は芳しくない。
結局試行錯誤的に4回繰り返し、ここならという場所をなんとか探り当てた。


当初の位置では、刈刃の刃先が丸みを帯びる。探し当てた場所では、直線的な刃先形状になる。
わずかな違いであるが、草刈り時の切れ味とその寿命に影響する。

長年の経験で得た知識である。



2018年5月30日(水)
研修旅行

集落の老人会。正式には「八色石龍和会」という。
研修旅行の名目でバラの花見に行ってきた。総勢16名。

行った先は、広島県北部にある「湧永萬之記念庭園」。
「キョーレピオン」の名が有名な製薬会社が無料公開する庭である。

500種類、5000本のバラが咲き誇る。
中には美智子妃殿下の名を冠したバラもあった。

朝9時に出発して園に10時過ぎ着、1時間余り過ごして帰途方向にある「神楽門前湯治村」へ。ここの中心は神楽の公演。年中、2日に1回程度の頻度で昼夜2回神楽が見れる。
ただ、訪れた時間に公演はなく、昼食をとって施設を観察して帰ってきた。

その昼食であるが、予約なしで入った店のお昼定食、1000円未満の値段でお刺身、豚の生姜焼き、白身魚の鍋、サラダそして汁とご飯は食べ放題という超豪華版。
さすがにお代わりをする人はいなかったが、大満足の態であった。

集落着は午後2時過ぎ。天候も照らず降らずで快適。好評の研修になった。



2018年5月29日(火)
本日休刊
2018年5月28日(月)
枝切り

昨日の話題と若干重なる気もするが、一方、剪定の繊細さとは程遠い力任せの作業をした。雑木の枝切りである。
対象の木々は普段小欄でほとんど登場しないもの。横庭の楓、ビニールハウス裏の山椒、竹林跡地の柿などである。
いずれも先住者によって植えられたもので、これまで
手入れをほとんどしていない。鬱蒼としてきたので枝を落とすことにした。発案者はM。
木はいずれも大きくなっていて、大きめの三脚に上っての作業。枝の太さが5〜6Cm時に10Cmにおよぶものもあって、小型のチェーンを使用する場面もある。

三脚をMが下で支え、切る枝の指示もだすという作業。午前中3時間近い出来事になった。

先日21日に一掃した枝置き場であるが、再び小山ができる。



2018年5月27日(日)
栄枯盛衰

昨年11月に行った剪定の結果である。9日にウラジロ、18日に柚子を実施したとある。

ウラジロの方はつつがなく葉が出ているが、思わぬ結果となったのが柚子。昨今は実がなっていただけに再生しないのは大いに悔やまれる。

剪定したとき、Mに「やりすぎ」ととがめられ「大丈夫、大丈夫」と大見えを切った手前、葉が出てくれるよう切に願ったがどうもだめらしい。

今回改めて柚子の剪定について調べたら、時期は春か実を採った後とある。切り方は枝に陽が当たるよう、葉を少し残せば強く刈っても大丈夫とある。これで見ると実施した剪定法に不具合はない。
一方、実生でなく植えた柚子の寿命は2〜30年ともある。

この柚子は先住者の手で植えられたもので、20年は優に超す。寿命に近かったとも思われる、と思うことにしよう。



2018年5月26日(土) ラベル526
良寛愛好家

私の書棚に「わがこころの良寛」という書籍(春秋社、1994年初版)があって、文筆家や書家など4名の方がそれぞれ自分の良寛像を思い描いている。
世の中、左様に”良寛愛好家”は多い。

今日また”良寛愛好家”と思える人の文に接した。読売のコラム「時の余白に」である。筆者は芥川喜好氏。
小欄では「時の余白に」や「芥川氏」について何度か触れている。
例えば 2016/6/25 2018/3/2 2016/3/5 2016/3/19

今回の記事では、30年前から良寛を追い求めたとある。

そういえば、私の場合はいつのころから良寛が意中の人になったのだろう。
定かではないが、中野幸次氏の「清貧の思想」が切っ掛けの気もする。
中野氏はこの本で「嚢中三升米、炉辺一束薪」の漢詩を引き合いにして静謐に生きる良寛を描き出した。
何回か読み直し、良寛の生き方を強く意識した記憶がある。
手元にある「清貧の思想」の印刷年を見ると1993年3月9日37刷(初刷は1992年9月)とある。
それは私が49歳の歳にあたり、23年前のことになる。

以降折に触れ良寛絡みの本を買っていて、その数は10冊を超える。本棚に積まれ熟読とは遠いものも多いが、中には机の隅にいつも置かれ、折に触れ読まれる本もなくはない。
振り返れば、今の田舎暮らしは、もし良寛に出逢っていなかったら違う形になった可能性もあり、良寛に出会えた幸運を喜ばずにはいられない。

芥川氏は私より4、5歳若いはず。その氏が30年前から良寛を追っている。とすれば30代からである。
翻って、私のそれは40代の後半から。

”愛好家”にはなりそうもない。


蛇足;ネットで見ると永青文庫でまさに展示会が開かれている。期間は4月から7月にかけて。展示数は109点とある。
田舎暮らしに不満はないが、このような催しを見に行けないのはすこしばかり残念である。



2018年5月25日(金)
本日休刊
2018年5月24日(木)
刈刃研磨機の話 その3

20日の続きである。砥石の話。

譲り受けたときのグラインダーに円形砥石がついていた。7mmの厚さで先端断面の形状は歯形に合わせて半円形をしている。ただし、使い古して摩耗がひどく、元々直径10Cmのはずが7Cm程度しかない。
新規に購入する必要があった。

アマゾンで探せばすぐに入手できるであろうと、この点は心配していなかった。
ところが、アマゾンでは見つからないのである。
他の個所でも見つからない。

仕方なく研磨機製造メーカーのHPを見る。砥石の型式は「SK-203T」を使えとあった。
そこで「SK-203T」で検索をかける。
それでも、先端断面が半円の砥石は出てこない。
一両日、答えの出ない日があったと記憶する。

ある時、何度か開いたはずのHPであるが、仔細に読み込んでようやく理解した。 こちら→
新品は先端断面が四角の砥石を「ダイヤブリック」という研削物で先端を半円形に削りだすというのである。
砥石を削る砥石が別にあるとは思いもしなかった。
先端が半円の砥石は販売されていなかったのである。

ここからはとんとん拍子である。
「ダイヤブリック」と先端が「四角」の砥石を入手した。


(左;研磨前、右;研磨後-
下に見える黒色のものが「ダイヤブリック」

砥石をグラインダーに取り付け回転させながらダイヤブリックを当てる。ゆっくりではあるが砥石が形を変えてきた。ものの数分で望みの形状になった。

そういえばかつて現役の頃現場の金型整備部門で、砥石の性能を呼び戻す「ドレッシング」という作業を行っていたことを思いす。
最近のことで思い出せない事はしばしばあるが、思いもかけない昔のことを思い出すことがたまにある。
老化は正常に進んでいる。



2018年5月23日(水)
孤島に生きる馬

今朝のNHK7時台のニュースで報道された。
北海道の根室市にユルリ島という今は無人島の島があって、そこに生きている野生の馬の話である。
岡田敦という写真家が撮った写真が紹介された。

かつては人が住んでいて、コンブ漁がおこなわれ、馬は労働力として飼われていた。人が島を去り住まなくなった時に残された馬が野生化し今でも生きているという。
その馬の姿を描く写真である。

ニュースはたまたま2階のタブレットで見ていて、報道映像をカメラに収めようとスマホを構えたのであるが、スマホのカメラが思うように立ち上がらず、ニュースの最後部でようやく1枚写真となった。

ニュースコーナーで馬は「孤高の」と紹介されたが、その形容が誠にぴったしでさみしくも気高く映写されている。
中でも和久田アナが「自然に帰る(と記憶する)」として紹介した1頭の馬の亡骸の写真が強く心に残った。

この写真を再度見てみたいと思う。
我が家では朝のNHKニュースは録画がかけてあるはず。階下に降りて録画を見るが無い。録画予約が切れていた。

事前の策でインターネットを探してみた。
岡田敦氏のHPがある。 こちら→
動画も含めて馬の映像がいくつかあるが、先の亡骸写真は見つけることができなかった。
同氏のFacebookもある。 こちら→
もしやと思ってこちらを探すと、他の写真と一緒にあった。

展覧会の企画をした団体のFacebookを岡田氏がシェアしたものでる。

かつて十数頭いた馬は現在は3頭らしい。しかも牡馬がいなくなり残るはすべて雌馬。そう遠くない時期に絶える運命にある。

孤高の馬である。



2018年5月22日(火) ラベル522
逆さ緑

朝のひと作業を終え新聞を取りに外に出たとき目に入った光景である。

風はなく、雲もなく、出たばかりの陽に緑が映える。

少し見とれて後、家に入った。

ただし、昨年の5月2日、同5月11日にも同じ趣旨の記事を載せていて、馬鹿の一つ覚え、的な取り上げ方でもある。



2018年5月21日(月) ラベル521
枝焼き

小欄では同じタイトルの話を
2016/4/10と.
2017/1/7に載せている。

同じ話。

朝6時頃から11時頃まで。思いのほか早く終わった。



2018年5月20日(日)
刈刃研磨機の話 その2
刈刃研磨とはどんなものか。予備知識としてメーカーのPR動画を一つ。 こちら→

さて本題。一昨日の続きである。本日の主題は摺動台を前後するためのボルトの話。

刈刃を乗せる摺動台がまともに動かないことは、もらい受けた時点で分かっていた。
これが修復できないと研磨機として機能しない。分解した折り、この原因を最初に探した。原因はボルトの摩耗である。動き始めの20mm程度は何とか動くがその先は摩耗して細くなりナットと噛み合わないのであった。
暫定でも直して仮組し、全体の動きを把握する必要がある。
思案の挙句思いついたのがシールテープ。本来の使い方はしっかり巻いて固定し水止めなどに使うもの。今回は摺動しなければならない。薄めに巻いて動かしてみた。
部分的には剥がれたりするが、一応は動く。暫定対応としては合格とし、装置全体の確認作業に移ることにした。

話を先に飛ばす。
全体の動きを確認した後の、ボルトの恒久対策の話。
知人に旋盤操作のできる人がいれば頼めるがそんな人はいない。今どき思わぬ技術の進歩があって、予想外の修復キットのようなものはないかとネットを探したがそれもない。

万策尽きはてての結論は装置メーカーに当たることしかなくなった。
古い装置である。メーカーもわからない。
頼りは装置に貼ってあるラベルの型式「SK-530」。

OEMで販売しているらしく、似たような機械が各所で売られている。詳細は割愛するが、製造元と思われる会社を何とか探し出した。新興製作所という岡山にある会社。

電話をした。装置の製造元であるとの返事がある。ボルトの有無をたずねると、しばらく待たされて「ある」という。
内心小躍りした。
ところが、これで問題は解決しなかった。個人に部品販売はしないという。
ここでも詳細は割愛するが、その後やり取りをメールに切り替え、何度か交信の上ようやく部品を手に入れた。


  部品(SK-280C3)  994円
  送料         1000円
  振込手数料     216円
が費用である。



2018年5月19日(土)
回首七十有餘年 その2

良寛の晩年の漢詩に触れた(5月12日付け)。
良寛自筆の書が残っていて、思いのほか小さいものという。
その書の原寸大画像を身近に置き、折に触れて見ることで、自分の身を処すよすがにしたいと思い始めた。

やってみることにした。
画像は既に入手済みである。まずは印刷。通常の画像印刷ソフトを立ち上げ、用紙サイズはA4、縁ありを指定して印刷してした。実寸が横22.2Cmに対し印刷された画像のそれは26.3Cmあり、大きすぎる。印刷ソフトを探すと縁幅45mmというのがあり、これで印刷すると今度は20.5Cmで小さすぎる。
思い通りの寸法にならない。大いに困惑した。
仕上がり寸法の指定できる印刷ソフトがあるかもしれない。それを探すのか、と考えていた時、ふとExcelならできるかもと思いついた。Excelなら印刷の倍率指定が出来るからである。

Excelを開き画像を貼り付ける。画像の寸法を実寸通り横22.2、縦15.3Cmに変換した。ページ設定で印刷倍率を100%にする。出来上がった印刷画像が大きすぎれば倍率を下げればよい、という考えである。
印刷してみた。できた画像を測ってみる。何の事はない。刷り上がった画像寸法は実寸値と同じであった。

正規のものは色調を整え、和紙に印刷した。
次は額。手持ちがなく、アマゾンで少し値を奮発して買い求めた。

出来上がった額、机上に置くことも考えたが狭くなりそうで壁にかけた。
机に座って右手になる。
たまたまKの手で書いた、これも良寛の詩の額の傍になる。



2018年5月18日(金)
刈刃研磨機の修復 その1

笹刃研磨機の中古品をもらい受けた。(5月14日付け)
その修理の話。
1回で終わりそうにないのでシリーズになる。

まずは分解、清掃の話である。
分解しようとして最初からつまずいた。装置の裏側を見ると、駆動部が抜け落ちないよう爪が出ているだけで、部品類を固定するボルトが全くないのである。
機械の上方から外せるボルトを1、2取り除いてみたが、分解の状態には全く至らない。
組み立てはいかにして行ったのだろう? 下から順次組み上げていったのか?
「ボルトを外して装置を分解」と思っていた身では、分解の方法が思い浮かばないのである。
使い物にはならない、もらったものだが、もはや処分と放置しておいた。

一両日経ったときふと閃いた。「爪の曲げを戻して外す」のでは!、と。
やってみた。大きめのやっとこで爪を真っすぐに伸ばし、隙間にドライバーを入れて外す。
少し難渋したが成功した。

後は分解できる。単品にばらして清掃した。ぼろ布で拭いたりするがきれいに落ちない。現役のとき、金型の整備部門が、汚れ落としに灯油を使っていたのを思い出し真似てみる。
これで見事に汚れが落ちた。

後は組み立てである。失敗があったりで、2度、3度組立て直しをすることになるが、何とか元の形に戻し終えた。
この後はまともに動くか、である。



2018年5月17日(木)
ブッポウソウ

このところ我が家は、「いる」とか「泣(鳴)いた」とかで一喜一憂する。
孫の話ではない。ブッポウソウ(仏法僧)の話である。
敷地の中に2つ巣箱を設置していて、一つは母屋のすぐ裏。もう一つが再生雑地。
すぐ裏の巣箱に来たかどうかのことである。

2014年に一度雛がかえったが、それ以降は、時期に1、2度姿を見せるだけで巣作りに入ったことがなかった(ただ、再生雑地では昨年雛がかえった)。
しかし今回は、14日に姿を見せて以降毎日現れ、鳴き声も聞く。巣作りに入った可能性が高く、冒頭の会話になるのである。
雛がかえって餌を運ぶのは6月末から7月頃で、そのころまでどうなるのだろうと気を揉む日が続くことになる。


(写真をクリックして別画面を開くと
鳴き声が聞こえます)

この鳥は、姿がきれいなのに反して鳴き声は「ゲッ、ゲッ」というもので、心地よいものではない。
その声をスマホで録音してみた。
2、30m離れた場所での録音で、かなり音を増幅している。

ブッポウソウの名の由来がコノハズクの鳴き声の誤認から来たことは有名な話で、昭和の初めNHKのラジオ放送で間違いが証明されたという。
今や、個人が鳴き声を録音しインターネットに乗せる時代となった。隔世の感甚だし、である。



2018年5月16日(水)
本日休刊
2018年5月15日(火) ラベル515
平熱

少し以前、体調を崩した時があって、その折熱を測ってみた36.9℃であった。熱っぽいとは思いながらも、平時の熱を測定したことがこれまでにほとんどなく、自分の「平熱」はいくつなの、と思うことがあった。
それ以降、普段時折熱を測ってみた。その結果である。

若干のばらつきはあるが35.9℃が一番多い。私の平熱は「35.9℃」と思ってよかろう。

通常、平熱は高い方が良い、と言われる。体温が低いと免疫力が下がり、病気にかかりやすいとされるからである。
自分の体温は35度台か、と若干気落ちもしていた。

そんな折の先日、定期健診で近くの病院に行き薬の出を待つ薬局でたまたま手にした週刊誌に載っていた。
週刊誌は、週刊現代の4月28日号。体温に関する記事である。
青壮年時の体温は高い方が良いが、高年齢になればその必要はなく、むしろ低体温の人の寿命が長いという。体温が高いと燃料消費率が高まり活性酸素の発生量が増え、これが細胞破壊につながるらしい。

センテナリアンともいわれる多くの長寿者は体温が低い。
ネットにも同じ記事がある。 こちら→

2016/11/3日の小欄記載の通り、CRP値の低さでセンテナリアンの可能性を証明したKであるが、今回は体温の低さでセンテナリアンへの可能性を再確認したところである。



2018年5月14日(月)
草刈り機 刈刃の話 その2

先日の続きである。
「ひらめいた」というが大したことはない。「模倣」しようと思いついたのである。
誰の模倣かと言えばaさんでなく、仮にbさん。先の3人の内で山仕事の経験の無い女性である。
bさんは我が家の真向いに住んでいる。
80歳を超す年齢にかかわらず、「草刈りが趣味」というほどで、草刈りの様子を毎日というほどに見る。

bさんの方法は購入した専用の研磨機を使用する。時に「ジー、ジー」と研磨の音が聞こえてくる時がある。
80を超す女性にできるなら私にもできるのではと思いついた。

音は聞くが様子は見たことがない。先日のこと、家の前に姿が見えるのを確認して、研磨のやり方を見せてほしいと頼み込んだ。
気安く、即座に、「難しいことはないんでナ」と応じてくれる。研磨機に刃を乗せ、グラインダーの電源を入れ、専用レバーを引くだけ。1、2分で完了した。これなら私にもできると確信した。

よもやま話をして帰ろうかなと思っているころ、動かないけど貰い物の研磨機がある、と古い機械を持ち出した。
刃を乗せる台は少し動くが途中で止まる。グラインダーはまともに動かない。
「要ればあげる」とbさん。ものは試しでもらい受けた。

苦闘の1週間! やっとのことで動いた。

これで私も”草刈りのプロ”になれる。
苦闘の跡を振り返ることがあるやもしれず。



2018年5月13日(日) ラベル513
田植え

今日は終日雨で家にこもっていたので、昨日撮った写真である。

ウォーキングの途中で目に入った。見事に一直線に植えてある。
自分は田植え機の操作をした経験がないので下手なことは言えぬが、おそらく難しい操作を伴うのであろう。
このように曲がりなく、整って植えてあるのをこれまであまり見たことがない。
どこかしら曲がっていたり、間隔が異なっていたりするのが恒である。

植えた人の人柄がしのばれる。



2018年5月12日(土) ラベル712
回首七十有餘年

わざと正確さを欠く表現になるが、数日前に誕生日を迎えた。74歳。
良寛示寂の歳と同じである。ここまで生きる目標の年でもあった。

晩年の良寛作で有名な漢詩がある。
  草庵雪夜作
  回首七十有餘年    首を回らせば七十有余年
  人間是非飽看破    人間の是非飽くまで看破す
  往來跡幽深夜雪    往来の跡幽かなり深夜の雪
  一主線香古匆下    一主の線香古窓の下

淡々と自分の生涯を振り返る良寛像が浮かび出る。

話が少しずれるが、たまたま書棚を覗いたら、この詩を主題にした本を買っていた。
求めた記憶も残っていないが、出版年を見ると2010年となっているから、そう古い話ではない。

これによると、真筆も残っているという。
大きな書かと思ったら、横が22.2、縦が15.3Cmの小さなものである(らしい)。
この書について、小欄で何度も触れた中野幸次は「卑俗な欲望も感じられず、のびやかで、気の趣くままで、その字に接しているとこちらまでが俗気から解放される気がしてくる」と評している(「良寛に生きて死す」、P66)。

さて74歳。歳だけは良寛を超えることになる。

「任運」「優游」に生きた良寛の心境に遠く及ぶべくもないが、少しでも近づけるよう心せずばなるまい。
私の場合も、そう遠くはないはずだ。



2018年5月11日(金)
草刈り機 刈刃の話
春から秋にかけて、使用する頻度が最も多い機械は草刈り機(刈払い機)である。晴れていれば毎日と言っても過言ではない。
そんなわけで草刈り機の話を少し。

かなり以前、草刈り機について別項に書いたことがある。 こちら→ 
環境は当時とほとんど変わりがない。
しいて言えば、ナイロンカッターを多用していることであるが(例えば4月29日)、全ての作業がナイロンカッターに置き換わったわけではなく、夏から秋の草丈が高く量が多い時期は金属刃に頼らざるを得ないことも多い。

現在販売されている金属刃(刈刃)は3種類ある(と思われる)。8枚刃、チップソー、そして笹(刈)刃である。


主流はチップソー。ホームセンターなどで扱っているのはチップソーしかない(と思われる)。切れ味がよく、長持ちする。研磨をすれば切れ味もそこそこ回復する。欠点はチップが飛んでなくなること。チップがなくなった刃は修理の方法がない。買い替えるのみである。

こんな中にあって、”草刈りのプロ”は笹刃を使う。私の知る限りでいえば八色石に3人いる。女性2人、男性1人。うち男女各1人はかつて山の仕事に従事していた経験を持つ。

その男性、仮にAさんという。以前Aさんが「これを使ってみて」と笹刃を1枚渡してくれたことがある。使って驚いた。切れ味が全く異なる。異次元の軽さなのだ。
ただ、欠点があって切れ味は長く持たない。すぐに摩耗するのである。
そこでプロの対応は研磨をする。軽微な場合は丸やすりで行い、重度になれば草刈り機から外して研磨機で研磨をする。
数年前、その研磨法をAさんに習いに行ったことがある。グラインダーに厚さ7mm、直径15Cm程度の砥石をつけて研磨する法。専用の研磨機ではなく通常のグラインダーで行うのであるが、かなりのノウハウと慣れを必要とする。難しいものであった。
結局、技術をマスターすることができずに笹刃の使用をあきらめた経緯がある。

その私に、今年ひらめきがあった。この話、また後日。



2018年5月10日(木)
小銭の整理

恐縮ながら、お金の話である。
普段から小銭が使える場所ではできる限り使うようにして、小銭を貯めないようにしているが、なぜか今回は随分と溜ってしまった。

買い物などで使うことはできるが、後方の他の客の迷惑を考えると、多量の小銭はなかなか使えない。
良い手はないかとネットで調べてみた。いろいろな答えが出てきたが、中に「郵便局のATMが便利」というものがあった。
なるほど、銀行のATMは小銭を扱わないが郵便局は可能である。
Mに経験があるかと問うと、あると答えが来て、「小銭の受け口があり一挙に投入できる」と教えてくれた。

遠くないところに郵便局があり、老人会の会計通帳もこの局を使う。客は極めて少ない。この郵便局で実行することにした。
行ってみて少なからず戸惑った。ATMの小銭の受け口が枡状でなく小銭1個単位の投入口なのである。
一つづつ入れる気が起きず、仕方なくカウンターに行くべく仕切りのドアー開けて中に入った。中には顔見知りの女性局員が一人、他に客はいない。
用向きを伝えると「多量の小銭なら遠慮なくカウンターに来て」とにこやかに応対してくれた。

局員は小銭を計量機にかける。ものの数秒で答えが出てきた。
金額を預け入れ票に記入して通帳とともに渡す。
すぐに処置が終わり、「ありがとうございます」の言葉と一緒に預金された通帳が戻ってきた。

本来の目的は預金でなく換金なので、帰り際再度ATMで引き出すことも可能ではあるが、さすがにそれは、はばかられ預金したまま帰ってきた。

多量の小銭処理は郵便局! 納得である。



2018年5月9日(水)
リベンジ

実施の日は今日でなく数日前のことで、話題はトウカエデの挿し木の話である。
昨年一度挑戦し見事に失敗した。いきさつを昨年4月20日と7月9日に記載している。

失敗の原因は定かではないものの、同じことの繰り返しでは成功はおぼつかなく、今回は強力な助っ人を手に入れた。
発根促進剤である。
先日ホームセンターに行った折探してみたが見つからず、またもやアマゾンで調達した。

白い粉で挿し木の根につけるだけ。粉が落ちないようそのまま差し込まず、穴をあけて挿入し周りの土を寄せて固定するとある。

昨年に比べもう一つ改善点がある。
差し穂を細くした。
昨年は欲を出して、根が点けば太いのが良かろうと6、7mmの太さを中心にしたが、太すぎたきらいがある。
今年は今年出た1年枝を含めて2、3mmとし、発根を狙うのを中心課題とした。

さて、結果や如何。
またしてもワクワクものである。



2018年5月8日(火)
再生 さらにその後 1

欅の再生の話。
今年もネタの尽きたときの救世主として登場することになる。

昨年の最後は12月21日に載せている。

さて、今年。

若葉が見事に出そろった。枝ぶりもなにがしか堂々として見える、気がする。
今年の変化がさらに期待される。

ところで、昨年まで一緒に写っていたブランコが見えない。

実は先日孫が帰った時、息子と孫が一緒に乗ったらブランコを支える横木が折れた。
事前に確認の荷重をかけて試し、問題のないことを確かめておいたのだが・・・。
幸い何の怪我もなく安堵、のハプニングの結果である。

近々に修復の予定。



2018年5月7日(月)
田毎の・・・

2階自室に行くため階段を上ると、目の前に広がる風景である。

いつも目にするものであるが、今日のは特別であった。
全ての田んぼで田植えの準備が整った段階。
毎年繰り返される姿であるが、いつもは出遅れる田んぼが1、2はあって、これほど一斉に出そろうのは珍しい。

”月”の出る前、穏やかな夕暮れどきの景色である。

蛇足;電線が気になるが、これは致し方ない。



2018年5月6日(日)
本日休刊
2018年5月5日(土)
本日休刊
2018年5月4日(金)
離郷

今朝も「おじいちゃん」と言って孫がきた。
最後の日なのでサービスせずばなるまい。
待っているよう促して、階下から湯冷ましの水とお菓子を持ってきて食べさせた。

食べ終わると「一緒に遊ぼ」となる。お絵描きは止めにして、以前帰省の折喜んだ「せんたくじゃぶじゃぶ」を見ないかと提案すると「アンパンマン」がいいという。
YouTubeでアンパンマンの動画を探し何本か見た。
この作戦はKにとっては有難い。相手をせずとも一人で長時間見入っている。
途中、ママがやってきて着替えを促しても、見たいと愚図るほど。一旦停止で着替えをさせた。

少し話がずれる。孫の弱点は「虫」。大小を問わず種類を問わず、あらゆる虫を極度に怖がる。この癖は動画を見ていても現れ、アンパンマンの動画の中で”バイキンマン”(というキャラクターがいるらしい)が現れる場面になると、逃げの態勢を取りつつ画像を見るのである。

戻す。こんな様子で”孫の独占”を楽しんだ。1時間を優に超す、2時間に近い至福の時であったかもしれない。

後は墓参りをして、昼前に戻っていった。



2018年5月3日(木)
相場の食事

孫が帰れば通常相場となるバーベキュー。過去の帰省は時期的に寒かったりなどでこれまでできなかった。
今回は時期もよし。食事計画に最初から入れることにした。


昨日からの雨も午後には止み、絶好のバーベキュー日和。
遅めの昼食からスタートした。
場所は下屋下。ここなら万一雨になっても濡れることはない。

ゆっくり食べていたら孫が飽き、途中裏山で遊んだりなど。
晴れはしたものの風は思いのほか冷たく、吹きさらしの下屋では寒く感じて、夕刻には場所を移動。駐車場に移って最後の締めをした。

以前の帰省は大方2泊3日。今回は休みが取れて3泊4日。中日の3日目もゆっくり過ごせて満足であった。



2018年5月2日(水) ラベル0502
作品 No.2
今朝の事である。自室にいると入口の方で「おじいちゃん」と呼ぶ声がする。振り向くと孫が立っていた。
今回は2階隣室を孫らの居室にしているので、来ようよ思えばすぐに来ることができる。
戸を開けて入れてやった。

「一緒にしよう」という。「何をするの?」とたずねるとすぐに答えが出ない様子で、こちらから「絵を描く?」と提案すると即座にのってきた。
紙と鉛筆を出す。
「出し合いっこしよう」と提案が来る。仕方なく応じることとし、当方は何十年か振りに絵を描いた。
窓越しの絵を写生した。孫も何やら描いている。
「おじいちゃん」から出してと要求が来て、見せる、とわざと驚いたしぐさをして「素晴らしい」と宣う。
ついで当方から「見せて」と孫にいうと、もっともらしい態度で描いた絵を出した。四角っぽい形がかいてあり、それに交差する線が無数にかいてある。何か判断が付かず、それは何かと問うと「広いお庭」と返事がきた。
そんなことを数回繰り返した。

その後、リリ(孫の愛称)の絵を描いてと申し出ると判ったという。ダダ(息子のこと)とママも続けて要求すると快く応じてくれた。
孫の「人物3部作」である。


前回帰省の折も絵を描いていて、「作品 No.1]として小欄で紹介した(2016/12/29日付け)。
この時に比べると表現の内容が格段に違っている。
人間の成長の凄まじさを感じる。

今日は残念ながらひどい雨。一行は行く先を「出雲大社」から「アクアス」に変更して遊びに出かけた。



2018年5月1日(火)
孫帰る
連休を利用して孫と息子夫婦合わせて3人がが帰省した。
先日4月21日に奈良で会っているので、新鮮味は少し薄れるが、里で会うのはまた異なる喜びがある。

着いたのは昼過ぎ。
車から降りると、家にも上がらず、まずは持参のストライダーで前庭を一回り。次いで、裏山方向に遊びに行った。
ジイジもバアバもご機嫌伺に必死。怒涛の日の始まりである。


誕生後、帰省したのは今回が4回目。
最初はブランコを作り こちら→
2回目はすべり台を急造(2016/9/26日付け)。

今回は何も製造しなかったが、この時期に帰るのは初めてのこと。
周辺の新緑が”見せ場”になる。



Kの散歩帖