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2016年12月31日(土) ラベル1231
定点観測

朝には少し厚めの氷がはった。今冬初めての氷かもしれない。
木々の枝にも霜が降りて遠くから見ても木が白く見えるほどである。
そして、午後は暖かな日差しが注がれる。穏やかな天候となった。

年末の日の景色と温度を記録しても面白いかも、と思いついた。

もしも、来年以降この小欄を続けていて年末を迎えたなら、この3点を同じ画角で撮ってみよう。
朝の最低気温はマイナス2度、最高温度は8.2度Cであった。

2016年12月29日(木)
作品 No.1

本稿を書く時間は前日分を翌日の早朝に書くことが多い。
今朝も自室で昨日分を書いていると、息子と一緒に孫が上がってきた。「せんたくじゃぶじゃぶ」が見たいとせがまれたという。凄まじい記憶力で、3ヶ月前YouTubeでその動画を見たことを思い出しての要求らしい。
このことは9月28日に少し触れた。

YouTube開いて「せんたくじゃぶじゃぶ」を検索するもすぐには見当たらない。削除されている模様である。
孫は早く見せろと迫ってくる。息子が代わって探すが見当たらない。

しびれを切らしたのであろう、そのうち孫の要求が変化した。今度は「お絵かき」、という。
紙と鉛筆を出してやったら絵を描き始めた。
その内お嫁さんも上がってきて輪に加わるが、孫は夢中で描いている。
「ピンク、ピンク」と宣う。ピンク色の道具が欲しいらしいがそんなものはない。青と黄色のマーカーをだしてやった。

そんなこんなで完成した孫の「作品 No.1」である。
左上部にある「きらきら」は息子か嫁さんが書いたのであろう、私ではない。

孫らの一行は昨日午後に帰ってきた。外では少しながらも雪が積もっている。車から降りて孫は「ゆき、ゆき」と声を上げた。孫にとっては生涯で初めての雪との遭遇になる。
今後、雪を見るたびに今回の帰省を思い出してくれれば嬉しいが、「凄まじい記憶力」でも生涯の記憶に留めるには少し年齢が早すぎよう。




2016年12月28日(水)
真珠湾

政府は答礼ではないと言っているが、その意味も大いにあろう。
オバマ大統領が広島を訪問したことに対して。このことは5月27日付けで触れている。
同じ文面で私は、安倍総理は真珠湾に行くことはないだろう、と述べているが、これは当たらなかった。

オバマ大統領が広島で語ったスピーチと同じように、12月7日の朝の情景を語るとこから始まる安部総理の演説は「不戦の誓い」を確認する意味あるものであったと思う。

我々日本人は今後いかなる時も「世界安寧」を願わねばならない。「日本第一」ではない。
「アメリカ第一」を謳うトランプ氏と今後どう組み合うのか、皆で注視する必要がある。

「リメンバー・パールハーバー」はこれまでは恨みの言葉であった。今後は平和の象徴になることを願う。

2016年12月27日(火)
”あさのあつこ”

寝込むのも悪くない。思いがけない出会いもある。
風邪対策で夜となく昼となく寝ていた時のことである。
寝込むときには本はもとよりテレビも見れない。一番良いのはラジオ。

’らじるらじる’でラジオ深夜便をぼんやり聞いていると対談が始まった。聞き手はディレクター、相手は「あさのあつこ」さんで小説を書くという。
ぼんやりの頭で、あの女優の浅野温子さんは小説も書くのかと思いつつも聞いていると、どうやら別人らしい。
「バッテリー」という話になる。
そうか、「バッテリー」という小説が話題になったことを思い出し、その作者と気づくには少し時間を要した。

対談のタイトルは「書くこと知ること」。
今も岡山県の勝央で執筆活動をしている、というとこらから対談が進む。
明るい話しぶりの人であった。

「書くことは自分の軌跡を残すこと。小説、随筆、短歌、俳句、形式はなんでも良い。書けば自分が見えてくる」と書くことを勧める。

好きな作家はと聞かれ即座に「藤沢周平」と答えた。
児童文学の分野で名を馳せた人であるが、大人向けの小説も多い。大人向けは大概時代小説とか。

藤沢周平好きの作家が書く小説を読んでみたくなった。

この数ヶ月図書館で借りる時、小説なら宇江佐真理のものが主になっていた。この人も時代小説を書く女性作家であるが、ちょっとした出会いが読むきっかけに繋がっている。

次回図書館で借りる時は、「あさのあつこ」著にしてみよう。「浅野温子」と間違われるのが嫌でペンネームは「あさのあつこ」にしたらしい。


余談;今日は風邪もかなり良い。明日から孫が帰省することになっている。帰省前には全快しなければ、と心に決めて対応したがどうやら間に合いそう。



2016年12月26日(月)
プラネットアース

極上の映像で大自然を描写する大型のドキュメンタリー番組、プラネットアースUが始まった。
NHKが英国BBCと共同制作したものである。
12月23日にプロローグが放送され、25日に第1集が放映された。

今回のシリーズは第2回にあたり、第1回は10年前の2006年に11回に分けて放送されたとある。
このことは記憶にもあり、DVDを残したような気がしてDVD目次を探してみた。やはりあった。

No.130の番号が振ってある。中を見ると、総集編の形で前、後編の構成になっている。
撮影はハイビジョンカメラで撮ってあるが、放送はアナログになっている。

シリーズ構成の説明ととDVD結果が少し異なり調べてみた。
第1回は5月から順次放送されたとある。
我が家がテレビ装置1式を購入したのは2006年9月のことで、この放送開始には間に合っていない。
総集編は2007年5月に前、後に分けて放送されている。
我が家のDVDはこの総集編を録画したもと思われる。
ただ、No.130という番号は相当進んでおり、2007年5月に録画したとなると時期が一致しない。デジタルなら録画日が確認できるがアナログ放送なのでそれもできない。

2009年ころ、総集編が再放送されこれを録画したもの、と勝手に解釈した。

まあ、時期などはどうでもいいこと。映像美を堪能すればよい。


余談;3日ほど掲載を休んだ。風邪がいまだに尾を引いている。24日に病院(星ヶ丘クリニック)に行くため外にでた以外は屋内で半寝の状態。

  したたかな風邪のいついて年の暮れ        勝則

2016年12月22日(木) ラベル1222
日の出、日の入

冬至に関連した話である。
冬至の日は夜の時間が一番長い。これは良く知られている事象である。かといって、この日の”日の出”が一番遅く”日の入り”が一番早いわけではない。

事実、昨今の”日の入り”は、一時に比べ少し遅くなった気がしないでもない。
いったい、事実はどうなのか。
このことは先日の体操教室でも話題になった。

たまたま昨日、太陽高さを計算するため所定のサイトを開いたところ、この中に「日の出日の入り計算」の項目があるのを見出した。 こちら→
これで事実を確認しようと思い立った。

八色石の経度と緯度の値を入力し、月日を入れては計算、を繰り返す。
値をメモ。
かなり大変な作業であったが、風邪気味が今だ治らず、外にでるのを控えており時間はある。やり終えた。

この値をExcelに転記してグラフにしてみた。

”日の入り”が一番早いのは12月5日で16:58:56、”日の出”が一番遅いのが1月7日で7:18:05になる。
なお冬至のそれぞれは、17:02:13と7:13:31である。
最大値との差は数分で、体感できるほどの値ではないと思われる。

昨今、”日の入り”が一時より遅くなった、というのは錯覚かもしれない。



2016年12月21日(水)
冬至-太陽の高さ
夏至の日の太陽の高さにつては6月21日で触れている。
この折、冬至の太陽高さも是非撮影したいと思ったが、そのためには冬至の日を忘れないこと、当日12時過ぎに太陽が出ていること、の二つを満足しなければならない。

前項は人為で対応できる。有効手段として、カレンダーに二十四節季を入れる、ことがある。以前はカレンダーに「ジョルテ」を使っていた。これでは簡単に二十四節季を設定できる。ところが今は、故あってグーグルカレンダーを使用している。これには簡単な表示機能がない。少し調べて、この問題を克服した。
後の項、太陽が出るか否か。1週間予報では完全に雨であった。この時期の山陰では太陽は望めないか、とあきらめかかったものである。ところが、二日前から様子が変わってきた。好天が期待できそう。そして前日予報では、午前中は晴れ午後曇りとなった。

いよいよ当日、今日の朝、濃い霧が出た。10時頃までは霧の中。11時頃には完全に晴れた。午後は曇りの予報がある。用心のため11時頃とりあえず、影の写真を一旦撮っておいた。
そして、太陽が真南に来る12時15分も、嬉しいことに晴れていた。


晴れとはいえ冬の陽ざし、影が薄い。土の上では鮮明に見えないのでセメントの上で撮影した。この影を作る太陽の高さは、31.63度である。

夏至の時と同じ鉢を使用した。夏至の日は満載の葉をつけているが、今日は全ての葉が落ちている。
冬至。いよいよ冬来る、である。


2016年12月20日(火)
アン・サリーさん、有名人なんやね。

娘からのLINEのヘッドラインである。
アン・サリーさんと畠山美由紀さんとの共演ライブが開催されたという、Yahooニュースを引用している。
アン・サリーさんについては12月10日付けで触れた。


(この記事のアドレス;
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161221-00000008-natalien-musi)

最近娘と電話をしていない。
したがって私がアン・サリーさんのコンサートに行ったことは、娘は知らないはずである。
よしんばMと電話で話したとしても、アン・サリーさんに関連する記事を私との個人的なLINEに載せることはない。
載せる必然性が起こるのは12月10日付けの記事を読んだ時のみ発生する。
さては、この小帖をたまには読んでいるのかもしれない、と少しうれしい気分になった。
以前娘と会った時「HP見ている?」と聞いたことがある。その時娘の返事は「わたしも結構忙しいのよ」ということで、見ているという返事はなかった、のである。

15周年ライブ、記事では大いなる盛会の模様で、伴奏のピアノは布施にも来ていただいた小林創さんが弾いている。

余談;我が家のLINE回線にはグループが1本あり、これにはK、M、息子、娘、息子の嫁の5人が参加している。話題が沸騰して盛り上がるのは孫の動画が載った時であるが、そうめったには来ないのが寂しい。
息子、娘、嫁、とは個人的な回線もできている。連絡しあう機会はごくわずかであるが、便利な機能であることは間違いない。

さらに余談;のどの調子はいまだ良くない。なかなか頑固な風邪である。


2016年12月19日(月) ラベル1219
風邪

昨夜の夜半から症状がさらに悪化した。のどの痛みが増し、胸のあたりまで痛みが広がった気がする。
迷うことなく病院に行くことにした。邑智病院にする。

早くに到着した性か、診察が始まるとすぐにお呼びがかかった。
「胸まで痛い」と私。
それでは、と言って診察になる。喉の奥をみた後、体の前後を触診し「風邪ですね」と診断が下る。
「漢方で鼻に効く薬を5日分出しましょう」とドクター。
「痛いのは喉ですが」と私。
「喉にも効くでしょう」と落ち着いてドクター。

帰り際にドクターが言葉を足した。「風邪は暖かくして安静にしているのが一番」と。
どうやら薬で積極的に抑える気はないらしい。

振り返ってみると、一昨日より少し楽になっていた昨日、雪囲いをしたのが再悪化の原因かもしれない。
今日も快晴の良い天気であったが、病院から帰った午後は室内で静かに過ごすことにした。

病院を訪れることは珍しくないが、風邪でお世話になるのは誠に久しぶりである。



2016年12月18日(日)
雑木の雪囲い

雪囲いと言えば、例えば兼六園のようにそれ自体が鑑賞にたえるように行われる。
我が家のそれは、出来るだけ目立たないように行う。

この作業先週粗方終えていたが、少し残るものがあり、今日30分ほど作業してすべてを完了した。

黒のビニールテープでぐるぐる巻きにするのが基本。

昨日来ののどの痛み、回復が思わしくない。雪囲いを終えると早々に屋内に引き上げた。
天候は良い。ちょっと気が引ける感じである。

2016年12月17日(土) ラベル1217
大根はちみつ

昨夜からのどに違和感を感じていた。夜中に起きた時市販の風邪薬を飲んでおいたが、朝起きてみるとやはり痛い。
天候もよくなく小雨がぱらついたりなどする。屋外作業を止め、屋内で過ごしたが、のどの調子は一向に良くならない。記憶にないから、転居して初めての風邪の症状かもしれない。

Mにうつせない状況が発生していて、のどの痛みに良いとされる項目をすべて実行することにした。
のどは保湿し温めるのが良い。マスクをつけマフラーを巻いた。
そしてうがい。イソジンで頻繁にうがいをすることにする。
市販の風邪薬は効果が薄い、という記載もあり、何かないかと薬箱をさがしてみた。以前けがをした時処方された抗生物質があり、のどの炎症に如何がと調べると、効果があるとのことでこれを飲むことにした。

そして、最も多く推奨されていたのが「大根はちみつ」。
はちみつに大根を切って漬けるだけ。


3〜4時間ではちみつがサラサラになり、これを飲めばよい。
江戸時代からの民間療法らしいが、蜂蜜の抗菌作用は既に証明済みであり、また、大根に含まれるイソチオシアネートと呼ばれる成分に消炎作用があるからという。

飲んでみた。飲む前は、飲みにくいとも思ったがそんなことはない。むしろさらっとして、蜂蜜単独でのむより飲みやすい気もする。

さて、その効果は如何。
効果確認より寝るのが先と、早めに寝ることにした。



2016年12月16日(金) ラベル1216
初雪

初雪となった。
未明から降り始め目覚めの頃は2Cm。その後いったんは止み、午前中は晴れる。


(午前10時頃の様子)

午後は再び曇り、雪もちらつく。

昨年の初雪は11月27日であるから、今年はかなり遅い。
備忘録を繰ってみると、この5年間で最も早いのが2013年の11/18、最も遅いのが2011年の12/10。したがってこの5年間で見ても最も遅い初雪になる。
やはり、冬の訪れが遅くなりつつあるのか。


雪が降れば外仕事に煩わされることはない。

  初雪や思いついての香を焚く    勝則



追記;12月11日付け
創作料理のレシピを掲載しました。 こちら→

2016年12月15日(木) ラベル1215
餅つき大会

地元保育園の餅つき大会に参加した。
地域の4老人会が手伝う慣例になっている。

園児は、およそ20名。先生が5名。老人会メンバーが11名。
合計で5臼ついた。
園児も全員、杵でつく体験をする。

私も役目がら杵をもつ。腰が痛まねばいいが、と若干恐れ気味の参戦であったが、何事もなく終えて大いに安堵。
2時間余りの「和やか一時」であった。


2016年12月14日(水)
討ち入り

時は元禄15年12月14日、言わずと知れた赤穂浪士討ち入りの日である。

暗闇に紛れ討ち入りし激闘4時間、見事
吉良上野介の首をとり、凱旋する志士を江戸市民が迎えるという恒例のシーンがある。迎える時は既に明るくなっている。

このシーンはいったいいつの日か?
13日の夜から朝にかけ戦闘し14日の朝に凱旋か、14日の夜に討ち入りし15日の未明に戦ったのか、答えは後者15日の朝である。
15日に討ち取ったのに、では何故討ち入りは14日と言われるか。
これは江戸時代の時間の数え方に関係する。

現在の一日は、0時から始まり24時で終わる。
ところが江戸時代は、「朝」から一日が始まる。

「朝」、日の出の30分前、これを「明け六つ」といい一日の始まりとしたのである。
したがって現在の15日未明は、江戸時代はまだ日が変わっておらず、討ち入りは正真正銘14日だったのである。

12月14日の話題はついつい忠臣蔵になる。今日の「編集手帳」も、この話であった。


2016年12月13日(火)
新聞コラムの筆者

新聞の1面にはコラム欄が配され、各紙を特徴づける「顔」になることも多い。例えば朝日の「天声人語」、読売の「編集手帳」などである。
このコラムは複数の筆者で書かれているものと、これまでずっと思ってきた。
一人の筆者が書き続ける仕事量ではない、との思いからである。
時事変化する状況をとらえて書くわけで、小説のように書き貯めることはできない。しかも、土日無しの毎日である。

たまたま、読売のHP(読売新聞へようこそ)を見ることがあって、コラムを紹介する欄に筆者のプロフィルが載っていた。


一人で書かれているのである。竹内氏の場合はすでに15年になる。大いなる驚きであった。

少し余談。
朝日の「天声人語」で昭和30年代に名声をはせた筆者、荒垣秀雄氏は以前我々が住んだ神岡の出身である。当時の町の図書館に「荒垣秀雄文庫」があり、氏の寄贈本が保管されていた。合併して飛騨市になったが、今の図書館にそれがあるか否かは知らない。

元に戻る。
複数で書くにしては文体が似ている、チームプレーのなせる技か、と納得していたがこれで合点がいった。
一人で孤塁を守る。生涯を懸ける文章であろう。あだや読み飛ばすまい、と思い直した。


2016年12月12日(月) ラベル1212
県知事賞

Mの母親が受賞した。島根県民文化祭短歌の部である。
昨日表彰式があり、子供ら3人も同行して受賞してきた。

受賞した歌は

  厳冬を耐えて生きしか野兎の新しき糞雪にまろべる

昨年銀賞(第3位)を得て、今年は最高賞を射止めた。

齢89歳にして、なお矍鑠。
全ての野菜を自給し、花を育て、新聞を読みこなし、お茶も嗜む。
テレビは生でしか見ない。録画を見るは邪道という。一期一会、本気でテレビを見るのは生でなければいけないとの理由からである。

バレーボール、相撲観戦を好み、ほとんどの選手、力士の名前を覚える。

我々の遠く及ばぬ力を持つ。
息子もフェースブックで「自慢のおばあちゃん」と讃えていた。


2016年12月11日(日) ラベル1211
創作料理

料理をする頻度はちょくちょくあるが、いずれも何かを参考にしている。
このことは、例えば10月24日にも触れている。

しかしながら、この度初めて料理を創作した。
まだ、名はない。
一言でいえば、大根の葉とシーチキンの甘辛風煮物である。

この時期、大根は料理にしばしば登場する。葉は捨てるのが常道。我が家もこれまでは捨てていた。
しかしある時、これを食べたら、と思いついた。

普段なら料理検索サイトで探すところであるが、初めて自作。何も見ずにやってみた。
結果は成功。Mも結構いける、といういう。

これまで数回作り、今回は4度目か。
近々、本HPにてレシピを公開する予定である。


2016年12月10日(土)
「アン・サリー」コンサート in 布施

うた アン・サリーさん     公式HPはこちら→
ピアノ 小林創さん       公式HPはこちら→
のコンサートが
しまね文化事業団       公式HPはこちら→
の主催、
協力、布施公民館と元気はつらつプロジェクト  HPはこちら→ 
で開催された。

アン・サリーさんは現役のお医者さん。平日は医者、休日に音楽活動というスーパー女史。語りの中で二人のお子さんがいるとの紹介もあった。
ピアノの小林さんも時折言葉をはさみつつの、名調子。
100余名の聴衆が、普段は聴けない生の歌声に酔いしれた。

たまたま3日前公民館を用事で訪れると、「上田さん写真撮って」と頼まれる。コンサートは一般の撮影は禁止とのこと。

コンサートは午後2時から。小さなカフェもできた。


(上;購入したCD画像、サインがある、
下;遠望画像、当日撮影を2枚ほど借用)

終了したのは午後4時過ぎだったか。
透明なるも少しハスキーな音調、古今東西の歌うたをしみじみと聴いた。
サイン会もあり購入したCD(森の診療所)にサインをもらう。

このコンサート、もともと10月22日の予定で、その時はわが「里庭」で開くことで計画が進行していた。
アン・サリーさんはOKなるも伴奏の方の都合が合わず開催が今日になり、屋外開催はむつかしかろうと屋内になった。

屋内も大層よかったが、屋外で聴ければ別の味わいがあったに違いない。ちょっと残念であった。

撮った写真はおよそ300枚。下手な鉄砲も数打てば当たる、中に幾つか良いものもある(と思うが)皆事務局に提出した。

2016年12月9日(金)
夏目漱石

夏目漱石の没後100年を告げる記事。読売の今日のコラム。

岩波重雄については4月5日に触れている。私にとり岩波は昭和の人、漱石は明治の人。接点はないものと思われ、漱石の死に悲嘆する岩波は想像がつかなかった。記事は間違い、とも。
岩波重雄を調べると、1881年〜1946年とある。漱石の死んだ1916年は岩波が34歳であった。ちゃんと接点はある。
私の勘違いは、岩波を身近に感じた私の20代からすでに50年経たことを忘れていたことによる。

恥ずかしながら、夏目漱石の作をほとんど読んではいない。「こころ」は読んだ記憶がない。「ぼちゃん」昔読んだ。「吾輩は猫である」は昨年Kindle本で読み終えた。

著作権がなくなったことがあって、今では漱石の著作はタダで読める。200円出せば122作品を収めた全集が買える。私はこれを買いKindleに収めて持ち歩いている。
岩波書店が没後100年の企画として今回新たに漱石全集を発行するが、この価格が一冊およそ5,000円、全28巻で150,000円になる。
これに比べると法外な値段である。

漱石は小説家として特に有名であるが、正岡子規と交友があり俳人としても誉れ高い。「漱石」は俳号で本名は金之助。
11月4日に記載の「俳句入門」には漱石作として、いくつか紹介されその一つ
  秋風や屠られに行く牛の尻
が載っている。

本日の映像記事に出る内田百閧フ句
  漱石忌戻れば屋根の暗きかな

さて
  朝靄が幻のごと漱石忌   勝則




2016年12月8日(木)
ヴァンデ・グローブ

ヴァンデ・グローブを知る人はそう多くはあるまい。
私も2週間前NHKの番組で知った。それも小さな扱い。

ヴァンデ・グローブとは、
一人で(単独)、どこにも寄らず(無寄港)、誰からも援助を受けれない(無補給)で世界1周するヨットレースのことで、4年に1回開催され今年第8回が行われてる。

これに、今日本人が参加しているという。白石康次郎氏。
インターネットを検索すると、参加の船が今どこを走っているかが判るサイトもある。興味が沸いた。

ところが、今日夕方(7時などのメインでは扱わない)のNHKで、同氏の船のマストが折れリタイアしたと報じた。驚いてHPを見ると、もはや同氏の位置を示す船影はどこにもなかった。


(上;船の場所を示す画像、1番艇は
オーストラリア沖を走る
下;同氏の船の折れたマストの画像)

リタイアしたのは4日のことで、当時の順位は12位であったという。
ちょっとした冒険物語で期待していたが、残念であった。


2016年12月7日(水)
下駄箱の上

いつものことであるが、我が家の下駄箱の上には何らかの小宇宙が広がる。
Mの作である。

鉢などの花の時もないではないが、今回のように絵本からが飛び出たような構成の場合も多い。
身内ながら感心する時もある。


(下は部分)

どんぐりで出来た人形は「おばちゃんあげる」と児童クラブの生徒にもらったと聞いた。
折り紙の小鳥の由来は知らない。
針金の蟻は長女が幼児の時の作品のはず。
・・・

花を活けたり、小物を並べたり、このような作業が好きなのであろう。
プロフィル、Mの部屋の中にこんな一文もある。 こちら→

私など「花より団子」の部類であるが、Mはその逆で食事を忘れて花を活ける場合がないでもない。
連れ添って40余年、こんな性癖にも慣れてはいる。

2016年12月6日(火)
自然造形の妙

今年、秋の椎茸の収穫量はかなり少なかった。
そして、その収穫時期もほぼ終わりである。

Mが「こんなものが採れた」と持ち帰った。
採り忘れたもの、大きく成長して幅は17Cmある。

傷もなく虫にも食われず、真っ白。
思わず写真にした。
ひだも綺麗に揃う。数を数えてみた。ほぼ真ん中を円周方向にして、268個であった。
何の必然性があってこの形に進化したのか、神技の妙を感じる。


2016年12月5日(月)
そら豆 その2(冬越し)

そら豆の栽培に挑み始めたことはすでに触れた。(11月14日)
その後日譚である。

目に付きやすい場所に保管していたので、芽が出ないかとほとんど毎日見た。しかし一向にその気がない。
発芽率の性か、蒔き時期を間違えたか、と思っていたが丁度10日経った24日白い芽が出ていた。数は2鉢。
そして、次々に芽が出始め29日には16鉢、さらに増え12月2日には24鉢になる。

いよいよ、植え付けを考えなければと思い始めた。私の参考資料にはアブラムシからの感染によるウィルス被害を防ぐため黒色マルチに植えろとある。霜の被害をどう防ごう、とぼんやり悩んでいた頃、Mが声を掛けてきた。
「どうするの?、私のエンドウらと一緒に冬越しする?、入れてあげてもいいよ」
我が家の野菜作りのプロはM。秘策があるなら乗らぬ手はない。丁重に参加を申し入れた。

土を10Cm程度掘り下げる。
そこに苗のポットを密接して並べる。
モグラやネズミに侵害されないため周囲を壁で囲む。
芽の成長を促すため土を薄めに撒く。霜対策の狙いもある。
鳥の被害から守るため網を懸ける。これにも霜対策の意味がある。さらに、雪がかかっても直接触れるのを防ぐ効果もある。


(上段;11/24、11/29、12/2の発芽の様子
下段;冬越しの様子)

なかなかうまい手と感心して見ていたが、どうやらMの母からの技術伝承らしい。
雪国にはまた雪国の知恵がある。

2016年12月4日(日) ラベル1204
紙情報の保管

5月15日、16日で新聞情報などの保管法について触れた。

しかしながらこの手法が適用できない情報も数多くある。例えば、購入機器の領収書や取説、申告書類、過去の印刷物、故人の筆跡書類などなど。
それらをどう管理するか。

私の手法はA4の紙封筒で行う。1テーマごとに封筒に入れ封筒にタイトルを書く。ただそれだけである。
ルールは
 ・1テーマは必ず一つの封筒に入れる。たとえ1枚の用紙でもこれを守る。
 ・出して読んだ封筒は列の右初めに収める。決して取り出したところに戻さない。
 ・1年に1回くらいの頻度で不要物を処分廃棄する。


(上;封筒を立てた様子、下;封筒)

この方法誰に教わったか、梅棹忠夫著「知的生産の技術」という名著がある。これにあるもの、とてっきり考えていた。
しかし、今回改めて読み返すと、オープンファイルに収納とはあるがA4封筒の記載はどこにもない。
とすると、誰なのだろう。

自分自身の発案かもしれない、と思い始めた。
なかなか素晴らしい方法で、
 費用が安価
 興味深い、重要な情報ほど右側にある。いつまでも左の封筒は処分できる可能性が大きい
 不要封筒のタイトルを消せば再使用できる
などの利点がある。

すでに30年以上は採用している。現役時代は封筒の列も膨大であったが、今は少なくなった。

別件;プレパトを見た。
夏井先生が言う。「俳句とは意味を述べるのではなく映像を描くこと」だと。
12月1日の俳句を修正してみた。
 
 義兄見舞う和む目のあり師走入り   勝則

こちらの方が少しは良いような・・・

2016年12月3日(土)
最後の草処理

この時期には珍しく快晴の日が2日続く。
これを狙って今年最後の草焼きをした。

場所は「リンドウ特区」、希少種になった野生のリンドウが群れ咲く場所で、草刈りはリンドウの芽が出る前の6月初旬に1回、その後は花が咲き終わるのを待って行う。

したがって、草刈りは秋の最終盤になり、今年は11月17日に実施した。草焼きはこれらが乾燥したのちになる。天候次第では、草焼きに至らず越年することもある。
幸い、今年は実行に至った。

いつものことであるが、延焼防止には気を使う。ブロックに分け、一つのブロックが収まってから次に写る、阿部首相がオリンピック招致演説で述べたように「Under control下」で行っている。

広くはない場所なので小一時間で完了した。
この天候を狙う人も多いらしく、集落の数か所で煙が上がっていた。

別件;今回小帖の目次を作成した。ページのトップにある月次表示の右側に「目次」の項を設定した。
表示はPDFで別ページになる。目次から直接当該日を開くことはできない。
目次は先月分までで当月のものはない。

2016年12月2日(金)
再生 その8

紅葉時の最盛期を示す写真 再生その7は11月16日にある。
そして秋も終わり、欅の葉も飛び散った。

春の芽吹きから始まって、これほどの無数の枝を伸ばし、葉を増やし、命をつなごうとしている。

過日若い植木職人さんが見えることがあり、今後の剪定方法を尋ねると、不要な枝は自分で落とし必要な枝が自然に大きくなる、特に選定しなくて良いと教わった。

来年以降、今後の変貌ぶりが楽しみである。

2016年12月1日(木)
現状維持
邑智病院での定期受診日、朝から絶食する。血液検査とCT検査がある。

CTは久しぶりに受ける。長時間の受診を覚悟したが、正味の検査時間は2〜3分と思われる。機器の進歩によるものであろう。
医師による診断も、いつもは1、2時間待たされるが、今回は予定時間にはすぐにお呼びがかかる。
医師
「コレステロールの値はすこぶる良い。善玉が増え、悪玉が減っている。肝機能も許容範囲、アルコールはこれ以上増やさないよう」と仰せがある。

「CT検査の目的は?」
医師
「副腎に腫瘍がある、と前の病院から引き継いだ。この確認のためである。結果に異常はない。悪性の疑いはほとんど無い。様子見で問題ない」と宣う。

全て現状維持でOK。まだ、アルコールも飲めるようだ。


待合時間に、義兄を見舞う。10日くらい前脳梗塞の疑いで緊急入院した。幸い、後遺症は何も無く、正月には帰れるだろう、と言っていた退院が12月5日になったと喜んでいた。

   師走入り受診に合わせ義兄(あに)見舞う   勝則



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