(写真をクリックすると、大きな写真が表示されます)

2016年7月31日(日) ラベル731
知床旅情

今日の読売、読者投稿欄の記事にたまたま目が行った。「苦手」というテーマの中でのもの。

タイトルは「カラオケ ドキッ」。カラオケがはやり始めて困ったという内容。どうしても歌わざるを得ない場面が出てくるので、対策として短い歌を持ち歌に選んだという。持ち歌を先に歌われると頭が真っ白になったとも。

私にも同じ思いがある。私もカラオケは苦手。やむなく持ち歌を選んだ。森繁久彌の「知床旅情」。何故この歌かの理由は定かでない。好みの10曲を選べばその中に入る曲ではある。

およそ2年間、この歌ただ1曲で、カラオケの席をやり過ごした。


(画像をクリックして、拡大画像を表示。曲が流れる)

知床旅情は多くの歌手がカバーしている。しかし森繁久彌の歌に勝るものはない。

その後やむなく持ち歌を増やした。それでも10曲に及ばぬ。
八色石での生活では、カラオケを歌う必要はほとんど無い。持ち歌ほとんどを忘れてしまった。

そしてまた、「知床旅情」のみが残っている。


2016年7月30日(土)
痛痒

昨日の夏井先生なら「痛痒(つうよう)」と形容するかもしれない。
とにかく痒い、そして時によれば痛みも感じる。
今年になって2度目とは言いながら、初めての経験である。

1度目はおよそ2週間前。右手首で起きた。2か所であったかあるいは3か所。赤く腫れた。その時は蚊にでも刺されたと思っていた。痒い、少し化膿する。切開し消毒して、さらに
イソジン液を塗ってバンドエイド。これを4、5日繰り返してやっと完治した。

そして今回、左手首に3個所、右手首に1か所、右足膝裏に1所、左足甲に1か所、とあちこちに出た。直径1Cm弱、赤く膨れ、ひどく痒い。
どうも蚊やブヨでは無い、と思われる。しかし原因がわからない。
近くの診療所に行ってみよう、と思うほどであった。


(左手首、3個所の赤斑。円内は真ん中上部の拡大)

でも、その前に少し調査。「ダニ」で検索すると一発で自分の症状にゆき当たった。
ダニであった。それも「イエダニ」。
痒みは短くて1週間は続くという。これはひどい。
対策を講じなければと考え込んだ。

家人に異常なく、どうやらK個人の問題らしい。すると原因場所は2回自室か。イエダニには煙殺虫剤が効くらしい。
おぼろげながら対策案の素材も見えてきた。
慎重にかつ迅速に、有効手段を打たなければ、と強く思い立っている。

2016年7月29日(金)
畜魂 二十九万頭

テレビはNHKのものを録画してみることが多い。
これらの中にあって、例外的に民放、それもバラエティ番組を録画して欠かさず見ているものがある。
「プレバト‼」という番組。TBS系で毎週木曜日に放送される。特に俳句の添削コーナー。

1枚の画像を見て、番組参加者(タレントさんなど)が俳句を作る。この句を夏井いつきという俳人が辛口の批評をしながら添削するという番組。
辛口のやり取りも面白いが、その添削が誠に凄い。氏が添削すると、素人の私がみても句が生き返る。

今回の番組には東国原英夫氏が出演した。お題は「向日葵(ひまわり)」。
東国原さんの句 「向日葵や 眠るむくろに 頭垂れ」
氏が宮崎県知事時代のこと、口蹄疫が発生し、29万頭の牛を殺傷したことを悼んでの句という。

番組の中で、氏は句作の実力を買われ「特待生」とい立場になっている。
この句に対する夏井氏の批評は、特待生の実力を評価しながらも、最終的に添削して次のようなものにした。

 向日葵や 畜魂 二十九万頭

まことに凄い。
目頭が熱くなるほどの思いがした。


2016年7月28日(木) ラベル728
定期通院

通院記事は結構ある。
4月12日付け泌尿器科、これは半年に1回。
6月7日循環器内科、これも半年に1回。但し次回は1年後。

2~3ヶ月に1回、安佐市民の神経内科から邑智病院の総合内科に転院して受診しているのは脳梗塞対応。
前回6月2日に受診して、今日にいたる。
主な目的は梗塞が起きないよう「血液サラサラ」の薬を投薬してもらうことにあるが、節目節目でで必要な検査も考慮していただいている模様。
前回の診察の折り、「糖尿が疑われる節がある。検査をしておいた方がいい、次回検査していいですか」との投げかけがあり、今日はそれを主とした血液検査も受けた。

検査結果は全て(尿酸、脂肪、糖尿関係など)OK。医師の曰く「全く問題ありません」。
これには私なりの対策が功を奏しているかもと思っている。

何の対策をしたか。
酒の種類を変えたことである。
もともと日本酒が好み。美味しい酒は日本酒と思っている。ビール系は別にして5月までは、日本酒9;その他1、の割合であった。それを6月以降、日本酒1;ウィスキー9、の割合に変更した。
これには安価で美味なウィスキーを発見したことが大きく影響している。(本件については、後日記載の折りがあるかもしれない)
こんな話はもちろん、病院ではしなかった。

何にはともあれ、過不足なく飲んで問題ないのであって、これに勝る幸せはない。

余談;待合室でこんなTシャツを着ている人に会った。

もちろん6月5日付けで記述したカシアス・クレイの形容を引用しているのであるが、「蜂のように帰宅」が微笑ましい。
確かに、蜂はまっしぐらに巣に帰る。ご同輩はなぜに帰宅を急ぐのか・・・。

2016年7月27日(水)
自生え南瓜

野菜くずなどを捨てる場所がある。
今年の春先、この場所から大きな葉の蔓が2本生えてきた。
葉のサイズがあまりに大きく、当初何の蔓か特定できなかった。

数年前、一度冬瓜(トウガン)ができたことがあり、「今回もあるいは冬瓜?」と訝ったこともあったが、ここのとこ冬瓜は栽培していないので、「冬瓜はありえない」と思ったりなどして今日に至っている。

答えは実がなって解決した。南瓜であった。

蔓の長さは10mに及ぶ。この写真には写っていないが、右方向に伸びたものがあり、こちらは薪小屋の上を這っている。

ちゃんと数えていないが、実は複数個あり、黄色の花がそこかしこで咲いているのでさらにいくつか結実するであろう。

この場以外に苗から植えた南瓜が幾株かあるが、そのどれよりもここに示す南瓜の勢いが良い。
南瓜の豊作になりそうである。

2016年7月26日(火)
キュウリのたたき
遅ればせながら、里庭は今がキュウリの最盛期。
毎日数本のキュウリが採れる。
調理台の上にはキュウリが山となる。

キュウリ揉みもおいしいが、以前雑誌で見た記憶がある「キュウリのたたき」を作ってみることにした。
文字通りキュウリをたたいて、ゴマ油、豆板醤、米酢を混ぜるという簡単なもの。

今回改めて内容を見ようと雑誌を探したが、どの雑誌に載っていたか探し出せなかった。
何とかなると、味見をしつつ作り上げた。

食すとき、削り節と醤油を少し加えたら、さらに美味となった。

マイ・レシピに加えてもよい。


2016年7月25日(月)
営み

一の坂と呼んでいる通路でのこと。
少し草刈りが遅れ、ゼンマイが伸びているところでの映像。


(囲みはすぐ左上の拡大図)

あちこちで子孫を残すための行動がなされていた。
この画像内でももう1ッ個所。他のゼンマイの葉の上でも合計10組前後。

虫の名前は、インターネットで調べたところ「ヒメコガネ」というコガネムシの仲間らしい。
シダ類の葉を好んで食すともある。

これまでゼンマイの葉は幾たびも目にしたが、これほど一時に子孫を残す光景に遭遇したのは初めてであった。

ちょっと目を凝らすとあちこちで、命を繋げる行動がなされている。
この2、3日、耳目をそばだてている仏法僧もしかり。

この散歩帖のお陰で、これまで目に届かなかったものが見えることもある。

2016年7月24日(日)
とろけるティッシュ

驚きの技術である。

7月16日付け記念大会の参加賞。
もらった時は「なんだティッシュペーパーか」と思ったが開けてびっくりの品であった。

その紙の柔らかなこと。「とろける」ような感じである。

日本人でしか思いつかない品と思う。


2016年7月23日(土)
巣立ち?

昼前から外出の用件があり、その前に、仏法僧の観測所を作ろうと思い立った。
道具一式揃えて現場に向かい、およそ1時間かけて作り上げた。巣箱のから30m前後離れた場所である。

一休み後巣箱を見ると、雛と思しきものが首を出している。さらに見ていると、だんだん伸び出す姿が大きくなる。近くにあるカメラは50mmレンズのものしかなく、望遠系のレンズを装着したものをもってこなかったことを悔やんだが仕方ない。

少し近づいて1枚撮る。その時、1羽が急に巣箱から飛び出した。
慌てて数枚。
小鳥は紫陽花の小株の中に入り込む。少しジイジイと鳴いたが、後は静かでもはや動かない。
「このままでは死ぬ?」と思いつつも、何もできず、出かける時間も迫ってその場を後にした。親鳥の鳴き声は聞こえていた。

夕方、外出から帰り紫陽花の株を覗く。かなりの確率で死がいがそこにあるのを覚悟して覗き込んだが、何もなかった。親鳥の誘導で逃げ延びたに違いない。
まだ、親鳥の鳴き声があった。

雛が巣箱に残っているのであろうか?
餌を運ぶ場面を見たことがない。いったい、いつ、どうして育てたのか?
大いなる疑問 ・・・。

2016年7月22日(金)
ひょっとしたら

里庭には仏法僧の巣箱が2つある。一つは裏の納屋の脇、そしてもう一つは雑木並木の中である。
本命の巣箱はもちろん納屋横、雑木並木はついでに設置した。
5月13、14日、そして18日付けの話は納屋横の巣箱についてである。
子の巣箱は 一度移動し こちら→、巣箱の中を確認してみたり こちら→
したことがある。

我が家では「今年の仏法僧」はすでに完了の話題になってしまい、ただ時折、雑木並木のある場所近辺で「仏法僧を見た」と話のついでにでることがあっても、それは一種の幻想を見たのでは、といううやむやのところで話が終わっていた。

ところが今夕のこと、「巣箱から頭が見える」との話がでて、カメラや双眼鏡を持ち出して確認すると、間違いなく雛と思える頭が確認できたのである。
また、親鳥と思える鳥が飛鳥したり、枯れ木のてっぺんに留まる姿もみえたりする。

実はこの3、4日、盛んに仏法僧が飛び交ったり泣いたりするのは見ていた。しかし、巣箱への出入りは全く観測できなかったため、森の中で穴を見つけそこで営巣したのでは、と思うこともないではなったのである。

そして今日の発見に至る。仏法僧をよく知る知人に報告すると、「間違いないのでは」との答えであった。
まもなく、頻繁に餌を運び始めるらしい。

なんだか、急に忙しくなってくる気配である
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2016年7月21日(木)
香り

5月20日付け。観音様を自室に持ち帰った折り、一緒に持ち帰ったものがある。
線香の「玉芝」と、線香に火をつける道具としてのライターの「ジッポー」。

抹香臭いと嫌われる線香であるが、この玉芝の香りは自分には合っている気がし、観音様を求めた時期から続けて使っている。ただ、仏様と同様裏納屋の部屋に置かれたままになっていたもので20年近い前のものだ。果たして匂うか? と火をつけたが以前と変わらぬ芳香がした。

ジッポーの話、元々は当然ながら煙草用。銀製のMからのプレゼント品で、名前が刻まれている。何のおりのプレゼントかは失念してしまった。
煙草をやめた今は不要の品になり、これを着火具として使うことにした。
少し錆びていて磨けば綺麗になるがいぶし銀も悪くないと、そのまま使っている。

時折線香に火をつける。往時を思い出し、来し方の長さに浸ることがある。

2016年7月20日(水)
パノラマ写真

朝焼けが見えた。それも広い範囲。東の空から大方西の空まで。
カメラを持ち出したが1枚にはとても収まらない。つなぎ合わせて4枚に収めた。

写真の合成をどうするか。初めはExcel上に並べグループ化してもよい、とも考えたが、写真編集ソフトにその機能はないかと思い調べてみた。
ちゃんとある。

仰角の大きい写真でつなぎ目の不自然な個所もあるが、大方狙い通りの写真が出来上がった。
朝焼けは雨の前兆と言われる。
果たして今日の天気は如何・・・。

2016年7月19日(火)
草刈りボランティア

小学校が存在する単位で高原という地域がある。
この地域には保育園もあり、毎年この時期、草刈り/草取り作業の要請がある。
要請を受けるのは老人会、正確には不承知であるが、5組程度の老人会組織が業務を引き受けている。
合計40名前後の人が参加した。ある人の曰く「園児より老人の方が多い」。まさにその通りであった。

涼しい内にという配慮から、7時半作業スタート、草刈りと草取りに分かれる。


9時前に作業を終え、最後は園児から「有難うございました」と、元気なお礼の言葉で閉められた。

2016年7月18日(月)
木斛の花

梅雨明けとなった。
中国地方は平年より3日早く、昨年より2日遅い明けという。

本題に移る。横庭と呼ぶ場所に木斛の植木がある。前住者の手により植えられたもので、年月を経て威風堂々としている。かつて、常緑樹を好まないKが「切ろうか?」としたところ、「江戸五木の一つ故切るに及ばず」とMに諫められ今日に及ぶ。

ただし、ある新聞記事に出会って以降 こちら→
この木の存在が邪魔にはならなくなった。

さて今朝のこと。自室から見下ろすと、木がうっすらと白い。よく見ると、どうも花が咲いている気配である。すでに15年間この木を見ているが、これまで花を見たことはない。
珍事に違いない、と急ぎ階下に降り写真を撮った。

部屋に戻り、もしや、とインターネットをで調べると、木斛が7月に花を付けるのは常態らしい。「白い花をつけ、芳香がする」とある。

確かに写真撮影の折り、ほのかな匂いを感じた。
モクレンほど強香りは強くなく、藤波さんの曰くよう「調和と存在」が執れた木かもしれない。

新たな発見であった。
これからは、も少し注意深く視ることとしよう。

2016年7月17日(日) ラベル
大失敗

二の畑での話。
以前、次のような努力 こちら→
の結果、かなり広範に野芝が広がっていたのであるが、4月、5月初旬になってコメツブツメクサ(以下「コメ・・」と書く)という草に一面覆われる事態が発生した。


(地面 濃い緑が繁茂のはしり、4月上旬撮影)

上の写真がその前兆。繁茂した状態の写真がない。

野芝の上を覆いつくす状態で、陽が当たらず野芝が枯れると思われた。
そこで打った対策が、ラウンドアップ系除草剤。このタイプの除草剤は葉から吸収して枯れると言われている。覆いつくされている状態の上を軽く除草剤を散布すれば、コメ・・のみ枯れて野芝は残るのではないかと考えた。

そこで実験。全面散布は危険を伴うので一部分で試験した。数日でコメは枯れ始めそして野芝は元気。1週間くらいで、コメはほとんど消え、野芝は少し赤みがかるも健在であった。
実験は成功したと判断し、コメ・・に覆われた個所全面に上記方法で除草剤を散布した(5月11日)。

ところがである。5月下旬様子が変わってきた。除草剤散布の野芝が全面枯れてきたのである。
もはや打つ手はない。様子を見るのみ。
6月になるとイネ科と思われる植物が枯れた野芝の跡に生え始めた。
そして今日に至る。


(枠内はヒメシバの成長過程を示す)

当初はその草の名前が分らなかったが、里庭内を見回すとその系統の草があちこち生えており図鑑で調べてヒメシバと特定した。

ヒメシバは1年草である。
とりあえず、穂を出さないよう頻度を上げて草刈りし、ヒメシバ絶滅に向けての打つべき手を立案中の昨今、というお粗末な話の報告である。

2016年7月16日(土)
記念大会

公民館と自治会の共同取り組みで開催された、ゲートボール大会。
30回の記念大会となった。
一時は隆盛を極めたゲートボールも、今ではかなり下火。これを年1回の開催で30回続けるのは、ある意味組織の団結力を示すものかもしれない。
このような地域に溶け込むことができて、まあ、穏やかな晩年と言えるであろう。

参加チームは8団体、人数およそ50名。
午後7時から始まり9時過ぎに終了した。
小生は集落の老人会で参加。成績はまあまあといったところ。

地域の穏やかな一風景。

2016年7月15日(金)
再生 その4

欅のその後である。

これまでは 
 第1回  5月19日
 第2回  6月6日
 第3回  6月20日

で経過を報告した。

さて今回

第3回では出た芽の全てが柳のように枝垂れたいたが、ここにきて枝の一部は横ないしは上方に向きを変え始めている。
言い換えれば、枝の向きが乱れてきた。これらの一部が今後本格的な枝に進化するのか。
興味深々。

2016年7月14日(木)
ブライン液

今朝は予想外に早く目が覚めた。
一日の作業に思いを巡らしている折り、一つの実験を思い付いた。

朝ドラに続いて放送されることもあって、「あさイチ」を結構良く見る。この中で放送され、保存していた二つの料理記事を試してみようという思い付きである。

一つは、3月5日に放送された「ブライン液」。
水-100cc、塩-5g、砂糖-5gを混ぜた液体をブラウン液といい、この液体の中に鳥のむね肉を数時間から一晩漬けておくと、むね肉が劇的に美味となる、というもの。 
以後、我が家ではむね肉が登場するようになり、ブライン液を使用した料理を作ってそれなりに美味であることを確認している。

もう一つは、6月8日に放送されたもので、有名フランス料理店のシェフ音羽和紀さんのレシピ「とりむね肉のソテー」。 レシピは こちら→
以後、一度作ってみたら、簡単な料理に拘わらず大層美味であることを承知した。ただこのレシピでは、むね肉は塩を少しふっておくだけで、事前に特別な処置を施さない。

思い付いたのは、この二つの合作、ブライン液に漬けたむね肉をソテーしたならどうなるか、というものである。

早朝、むね肉を解凍しブライン液に漬けて冷蔵庫で保存、夕食用にソテーしてみた。


(左;ブライン液に付けたむね肉、右;むね肉のソテー)

音羽さんレシピ通りのものより、しっとりジューシー、老人の歯にも優しい、誠にびっくりの料理が出来上がった。

昨今、かなりの頻度で料理に挑むことがある。これもボケ防止、家人も喜び一石二鳥。

2016年7月13日(水)
ふたりの桃源郷

5月15日、16日付けで記載した新聞記事の切り抜きは、「保管」と「整理」に分けられる。
「保管」は待ったなしの作業で、残したいと思う記事に出合えばすぐさま撮影保管しなければならない。さもないと新聞そのものをいつまでも保管することになる。
一方、「整理」はある意味放置できる。
そのような未整理の記事がかなり溜まっており、雨の午前中整理作業を行うことにした。

その中で、5月6日の記事が目に留まった(5月の記事が未整理、随分溜めたものだ)。エッセイストの平松洋子さんの記事で、ドキュメンタリー映画を評したもの。映画のタイトルは「ふたりの桃源郷」。
定年を機に、中国山地の奥深い山中に帰った夫婦を25年にわたって撮影した記録映画という。

定年帰農という境遇の近さと、平松さんの文章の端正さにつられて保存したと思われるが、記事の存在をすっかり忘れていた。

「そうだった」と思いだし、再度読み返すと、記事の最終部分で7月公開と紹介されている。

インターネットを探してみた。ネット上かなりの反響を得ていることが伺える。
 映画のオフィシャルサイト こちら→
 映画のfacebock  こちら→

広島など近隣での上映は未定のようだ。

インターネットをを垣間見たところでは、おふたりに、われらが似ているところもあるようで、また随分かけ離れたところもあるようで、まあそれはそれで良いことになる。

映画は是非観てみたい。

2016年7月12日(火)
昭和が遠くなってゆく

永六輔さんが亡くなったという。今朝の新聞で知った。
特に、中村八大さん、坂本九さんとの作業は「六、八、九」コンビと呼ばれ一世を風靡した。
6月19日付けで記した「夢であいましょう」のエンディングテーマも永さんの作詞である。
尺貫法の復活も後世に大きな贈り物となった。


我々世代にとって、希望というか、夢というか、そんなものを与えてくれた人が次々に亡くなっていく。

  中村草田男の句  降る雪や 明治は 遠くなりにけり

が、思い出され、昭和が遠くなってゆく感が強い。


永六輔さんの享年は83歳の由。我々よりおよそ10歳上である。
わが身に起きるもそう遠くない。覚悟せねばと一人しみじみ思う。

2016年7月11日(月)
ロッキー
思わぬトラブルで散歩帖を休んだ。
データバックアップが不十分で7月分の散歩帖が復元できない。4~6月分が再現できただけでも良しとしよう。

与党圧勝のニュースを聞き流して、早朝から外仕事。涼しいうちに作業すると効率が良い。
昼前、「里庭」を見たいという思わぬ来客があったりもした。

午後は強い雨。外仕事は中止にして、昨夜ダビングをしておいた映画を観た。
「ロッキー」。
音楽「ロッキーのテーマ」は聞き覚えが強い。アカデミー賞など多くの賞を受けていることも承知している。
しかし、映画はこれまで観たことがなかった。

1976年制作の映画とある。Kが32歳のとき、そして長女誕生の年の作になる。


(フィラデルフィア美術館前の有名なシーン、らしい)

昨今の有名映画の大半は、CGほかを駆使した物々しい映像が多いが、製作費を切り詰めて撮影したとのこともあって、古典的な雰囲気があり馴染み安いものであった。

ストーリーも程よいテンポで進み、そして最後の壮絶な打ち合いに至る。
ヒロイン「エイドリアン」の名前を呼んで映画は終わる。

DVDに録画して保存しておくことにする。
Kの散歩帖