(写真をクリックすると、大きな写真が表示されます)

2018年4月30日(月)
本日休刊
2018年4月29日(日) ラベル429
草刈りシーズン

シーズン到来である。数日前からボチボチと始めた。草刈りである。
今日は”桜台”と呼んでいる場所を行った。


(上段;草刈り前と後、
下段;刈り残した草花類)

刈り方は2016/4/13日で試したナイロン紐による法で、それ以後、この法を多用している。
特に春先など、まだ草の量が少ない時は、ナイロン紐で刈ると後処理をしなくて済みはなはだ都合が良い。

この折、草丈を長めに刈る。今回の目安は5Cm程度。背の低い草を残し、丈の高い草を駆逐する狙いがある。
これには、生長点の違いを元にした理論的根拠もある。 こちら→

時には、これと思う草花を刈り残す。花が咲くものや葉のきれいなものなどで、写真下がその例である。
左で残したのが、ノカンゾウとコゴミ。ノカンゾウは秋に橙色の花を咲かせコゴミは葉がいつまでも繊細できれい。写真右にあるのはキンポウゲ。今、黄色の可憐な花を咲かせているので少し残しておいた。

今年もなんとか草刈りが出来そうな気配、いろんな意味で有難いことだと思っている。



2018年4月28日(土) ラベル428
野芝の広がり

冬季にあって野芝は枯れる。
春になって、前庭の芝が緑に復活してきた。

この野芝は昨年7月から9月にかけて植えたもので、小欄では「前庭改造計画」として何度か紹介した。
第1回が7月3日。最後が9月13日になる。

昨年度の間でも随分と広がりを見せているが、これが今年どこまで伸びるか、我が家の関心事である。
その証拠にするべく、春先の写真を撮っておいた。

里庭の野芝は自然に生えてきたのが大半で 例えば こちら→
その後1、2度植え付けをしたことはあるが 例えば こちら→
後者は成功したというところまでは行っておらず、今回の試みが期待される所以である。

そんな理由もあって今回は、広がりの様子を記録することにした。



2018年4月27日(金)
あおみわたりぬ

一気に緑が濃くなった。
今朝の自室正面の山である。

良寛さんはこんな思いを詠んでいるのでは? と思い探してみた。

少し手間取ったがようやく探し当てた。
良寛全集 第2巻 No.259
解説に五合庵時代のものとある。


  ひさかたの 雨の晴れ間に 出でて見れば
    あおみわたりぬ 四方(よも)の山々       良寛


「あおみわたりぬ」、思いもつかない表現であった。



2018年4月26日(木)
「閑」のある生き方 その4
3月19日に読み終えた中野幸次氏の「閑」のある生き方は書棚にしまうことなく、机のわきに置いて、その後もちょくちょく開いている。


書中、氏はいう。
「戦後日本では生涯現役などといって、いつまでも社会とつながりを持つのを良しとする風潮が強い。しかし、東洋には昔からそういう生き方を卑しとし、ある程度の年齢になったら引退し、元の己れ一人に戻って、天地自然の中で遊游と暮らすのを良しとする文化の伝統があった。」
と。
そしてそのまま「徒然草」を引用する。
 大方、万のしわざは止めて、暇(いとま)あるこそ、めやすくあらまほしけれ。世俗のことに携わりて生涯を暮らすは、下愚(かぐ)の人なり。(第151段)

これが氏のいう「閑」のあるいき方を象徴する部分である。

もちろん、生き方の価値観は人によって異なり、生涯現役をよしするもよい。
ただ私は、中野氏の言い分に同意する気持ちが強い。こちらの方が、心穏やかに生涯を終えることが出来そうな気がするからである。

こんなこともあってであろうか、良寛や陶淵明の次のような漢詩に会うと、我が意を得た気がしこころが和むのである。


 庵を結んで人堺に在り
 而(しか)も車馬の喧(かまびす)しき無し
 君に問う何ぞ能く然(しか)るやと
 心遠ければ地自ずから偏なり
 菊を東籬の下に采(と)り
 悠然として南山を見る
 山気日夕(にっせき)に佳(よ)く
 飛鳥相与(とも)に還る
 此の中に真意有り
 弁ぜんと欲すれば已(すで)に言を忘る

  陶淵明


 生涯 身を立つるに懶(ものう)く
 騰々(とうとう)天真に任(まか)す
 嚢中(のうちゅう)三升の米
 炉辺 一束の薪(しん)
 誰か問わん迷悟(めいご)の跡
 夜雨(やう)草庵の裡(うち)
 双脚(そうきゃく)等閑(とうかん)に伸ばす

  良寛


(注;ホームページ編集ソフトにおいて、漢詩の一部の漢字で変換できないものがあり、現用の漢字に置き換えたものがある。)


2018年4月26日(木)
懸賞応募もITがらみ

ポイントを貯めて何かをもらう、という仕組み。
商戦の潮流ではあるが、面倒がってこれまではほとんどしたことがない。

ところが、数日前の事である。
毎日愛飲している缶ビール(正確にはビールでなく、いわゆる第3のビール)に貼ってあるシールに目が留まった。毎日のことだ、数は多い。急に注目度が高まった。

少し余談。目下の愛飲はアサヒが販売している「プライムリッチ」。まことに性に合う。本物のビールより美味と感じるほど。アルコール度数は6%。
うまくて安くて効率が良い。有難いお酒である。

話を戻す。そのシール、どうせ葉書などの台紙に貼って応募するのだろうと考えた。台紙はどこにあるのだろう? これまでに見たことがない。
アサヒのホームページを探すことにした。

その結果である。思いもしない方法であった。

シールは2重になっていて、1枚目をはがすと下に数字が現れる。数字は2段になっていて、7桁ある。
この数字をアサヒに送るのだという。
方法は、アサヒのホームページに住所氏名を登録しログインして、専用画面からの送信らしい。

ものは試しでやってみることにした。スマホでもできるが私はパソコン。

パソコンなどに慣れている人なら問題はないが、経験の少ない人なら容易ではない。
昨今は懸賞応募もIT操作が必要になってきた、という時代である。

幸いにも(?)、空き缶の処分が遅れていて、随分前の空き缶も残っている。暇を見つけてパソコンに値を入れることにした。
この際、納屋に置いてある古いVistaで入力でき(2017/8/15付け)、わざわざ母屋の自室まで運ばずとも好いのは有難い。

「絶対もらえる!」の数の少ないのが1口、「抽選で当たる!」が複数口は貰えそう。
恥ずかしながら、よくぞ飲んだものだ。



2018年4月24日(火)
トキワソウ
昨年もこの時期に咲いて(4月29日付け)、楽しませてくれた。
トキワソウ。
昨年の記述を見ると、広大な面積と表示しているが、今年はそれほどでもない。


それでも、昨年の記述の2/3程度はある。
踏むのがもったいない感もするが、通路にあたり踏まないわけにもいかない。
さりながら、毎年、この場所に咲くのであるから、踏みつけられる環境が好みなのであろう。

1、2度、この場所には野芝の株を植えたことがあるが、ほとんど広がりを見せず、未だにトキワソウほかの背の低い草に占有されている。
思い通りに、なったり、ならなかったり。これもまたよし。

この時期、緑が日に日に濃くなっていく。
この景色に囲まれて生きる身を有難いと、しみじみ思う。


   花見れば いとど心は 慰みぬ
     わが白髪の 生(お)ふと知らずて    良寛



2018年4月23日(月)
文は人なり
調べ物があって読売新聞のホームページを開いた折り偶然に目に入った。
コラム「編集手帳」の筆者が代わっていたのである。

以前の筆者は竹内氏という。これを知ったきっかけを、小欄の2016/12/13付けで驚きとともに触れている。
名文家と言われていて、氏の書いたコラムに小欄は何度も反応した。
例えば
 2016年  8月29日、9月30日、12月14日
 2017年  1月26日、3月30日、6月18日

新しい筆者は清水氏という、らしい。


話が少しずれる。
Kはほぼ毎日この「編集手帳」に目を通す。そして、昨年の年末頃からであろうか、最近の編集手帳は面白くないな、と思い始めていた。何か、同調する部分が少ない、と思うのである。
筆者の変更は知らないから、私自身が老いて反応力が落ちたのか、とも感じていた。

その筆者が変更になっていた。変更になったのは昨年(2017年)10月3日から、らしい。
コラムの冒頭で何かを引用し、それを元に話を展開するという「編集手帳」のスタイルはそのまま受け継がれていた。

「文は人なり」という言葉がある。文章には書き手のひととなりが現れる、という意であろう。
人にとって心に響く文章は、文章の良し悪しではなく、その人が好きか嫌いかで決まることになる。
私にとっては、竹内氏の方がより好みに近い人なのであろう。

もちろん清水氏、
読売という日本を代表する新聞の第1面を飾るコラムの筆者である。日本有数のコラムニストに違いない。
Kとして、今後も熱心な読者でありたい。



2018年4月22日(日)
山笑う

2、3日留守をしていた間にすっかり周囲の景色が変わっていた。
出かける前は、未だねずみ色が主流を占めていた周りの山々が淡い緑に包まれている。
まさに「山笑う」状態になってきた。

出かけた折りは、道中や目的先きのいずれも、ほぼ「新緑」になっていて、当地の遅さを感じていた。
これからは当地も一気に、色を変えていくことになる。

周りでは、代掻きも始まってきた。



2018年4月21日(土)
孫が字を書く

不在を予告して小欄を休刊にすれば泥棒さんに鍵を渡すようなことになり、それもできないが、2〜3日旅行に行ってきた。
目的は他にあったが、どうせのことならと孫にも会ってきた。
正月は会えず、久しぶりの対面である。

随分と大きくなり、以前は幼児の体形であったが、どこかしら少女の体形に近づいている。
悪びれる様子もなく、「おじいちゃん」と声をかけて来たりする。

その孫が、まだ4歳になっていないのに、文字を書いて見せてくれた。

ひらがなで自分の名前と数字の1、2、3と10。
「お」の字の点が離れていたり、数字は書き順が下から上にせり上がったりするが、ちゃんと文字になっている。
孫の両親がそれを見て、「文字になっている」と喜んでいるから、親が教え込んだ風でもない。保育園で習ったのか。

子供はいつの間にか知識を得て成長する。
成長しきった当方は、段々と忘れることが多くなる。

人間とはよくできた生物である。
そんな感慨を得た旅であった。



2018年4月18日(水)
本日休刊
2018年4月17日(火)
本日休刊
2018年4月16日(月) ラベル416
孟宗竹始末記

平成27年に孟宗竹の駆除を思いついて以来、3年にわたる竹との関わり作業をすべて完了した。

平成27年最初の作業は 切り倒し こちら→ と竹運び こちら→
切り倒しに限界を感じ、枯らし作戦に着手したのが同じ年の6月 こちら→
翌28年の追加枯らし作戦 こちら→
以後は立ち枯れた竹の処理である。
切り倒したのが昨年(H29年)12月である(詳細は小欄、2017/12/2付け)。
倒した竹の粉砕作業が2回(2017/12/14と2018/3/13付け)。

そして今回の竹運び作戦になる。
焼くか運ぶか迷った挙句であるが、最終は運びを選んだ。
平成27年に積んだ場所に運ぶことにした。

運ぶ手段は例によって運搬車。
1回の運ぶ数は30本弱。

3日がかり、延べ9時間要して9回運んだ。

孟宗竹駆除に費やしたこの3年の労はかなりの量に上り、終えた今、少なからずの感慨を覚える。



2018年4月15日(日)ラベル415
如月会

如月会を開催した。
如月会とは、Kの姉妹夫婦で構成する年に一度の集まりで、詳細は昨年の3月3日で触れている。

開催場所は会則に従って今年は長姉宅である。

ただ、昨年の会には元気で参加した長姉の連れ合いが昨年4月1日に急逝し開催を危ぶむ節もあったが、姉は条件を付けつつ続けたいと言う。
その条件とは開催時期を4月まで伸ばすことであった。
これには訳があり、その訳とは、姉の長男が定年を経て田舎暮らしを始めることが決まっていたからである。

姉の長男、Kにとっては甥にあたる。彼が国家公務員を勤め上げ、3月末で定年退職をした。子供の教育の関係で妻子を持ち家に残し、甥は帰郷して田舎暮らしをする道を選んだ。彼もまた「閑のある生き方」を選択したのである。
このことは昨年でもほぼ決まっていて、この予測話を義兄は嬉しそうに語っていた。

こんな状況下での開催である。

Mの発案で、皆で仏壇におまいりし会を始めた。食べ物は会則に従って取り寄せた弁当。
飲みすぎを防ぐため会則の改訂版には酒の上限も記載してある。

11時頃から昼寝をはさんで午後4時頃まで。

第1回は参加者は6名でスタートした。第16回の今回も6名である。
かなわぬことと判りつつ、中の一人が入れ替わっているのがなんとも口惜しい。



2018年4月14日(土)
孫似の子役

我が家のSNSの一つにLINEがある。
「上田屋」というグループを2年位前に長女が作った。我々と子供らのグループである。

この「上田屋」のなかで昨今話題になっているのが、新たに始まった朝ドラ。中でもヒロインの少女時代を演じる娘さん役の子供俳優さんのことである。名を矢崎由紗さんという。

可愛い、縁起が抜群というのは勿論なのだが、話題が沸騰するのは、この子役さんに孫娘が似ていることによる。
言い始めたのは我々であるが、「どうせ孫可愛さになんでも似て見えるのでは?」と言っていた長男も、「見てみると確かに似ているは」と言ってくる次第。

顔の輪郭、わずか縮れた頭の毛、鼻の構造そして口元。そしてはつらつとした動き。どの部分を見ても孫に重なる。
孫はほぼ4歳。子役さんは8歳らしい。「大きくなるとああなるのかね」というのが「上田屋」参加者の大方の見方である。

「今日で子役ちゃんのメインの出番が終わってしまいました。・・・。凄く良かった」という長女のコメント。これが今回の我が家SNS騒動の締めの言葉になろう。


余談;Kの場合、前々回の「ひよっこ」は集中して観た。前回の「わろてんか」は途中で挫折した。今回は落伍しないで最後まで行けそうな予感がする。



2018年4月14日(土)
里庭は安全! その2

小欄では、一昨年の熊本地震が起きた際に「里庭は安全!」を掲載した(2016/4/19日付け)。
比較的地震が少ないとされた九州で地震が起きたのは、実は「主要活断層」が存在し、要注意の場所であった。しかし、島根には活断層が存在しない。よって「里庭は安全」である、というのが当日の論点である。

ところが今回、その安全のはずの島根で地震が起きた。
何故なのか、それを問うNHKの番組が放送された。夕方の県内版放送である。

地震は活断層がなくても起きるとし、かつて島根県で起きた地震の震源地を示した。「こんなにあるのです」というデータである。
このデータにおいて、里庭の位置する八色石の場所見ると、過去に地震は全く発生していない。
「安全県」島根にあって、里庭はさらに「安全圏」なのである。

「里庭は安全!その2」の論点である。


余談;このデータの詳細を知りたく気象庁のHPで地震情報を検索した。膨大なデータが保存されている模様である。検索方法が微細に分かれていて、このデータを示すところへ行き着くことができなかった。



2018年4月12日(木)
葉わさび

里庭には「わさび田」がある。清水が流れ歴としたものだ。
確かな年月は覚えていないが、知人に苗をもらい受け植えたもので、根付いてからもう随分経つ。
それ以前も、里庭内で”ここは?”と思える場所に何か所か植えたが、いずれも付かずここだけが唯一の成功地になった。
ばしょは山水の落ち口。

毎年この時期に葉を出し、白い花を咲かせる。
これまではMが醤油漬けにするのが恒例であったが、今年はKが挑戦した。
参考先は例によってクックパッド。葉わさびの醤油漬け、人気No.2(ID;356480)。
湯でしなっとさせてから振る。味をつける、という段取り。

ただ、ここからは思いつきで、冷蔵庫に買い置きされていた「モズク」と混ぜてみた。
これを見てMは、一瞬顔をしかめたが食べて破顔。予想外の美味しさである。
「混ぜる手があるとは思いもしなかった」と脱帽の態であった。



2018年4月11日(水) ラベル411
ロッキングチェアの小修理
Kの自室で使っているロッキングチェアは2代目である。いきさつは今年の2月21日で述べた。
このロッキングチェアは風雨に晒された時期があり(2016/11/16日付け)、また
下方から温風が当たることもあって(2017/12/15日付け)、過酷な条件で使用されている。
その影響であろう、座面が少し壊れてきた。ただ、敷物を上に置けば問題なく使えていたので、修理は先延ばしで放置していた。

今日は雨模様、気温も上がってきたので修理することにした。


修理場所は下屋。
破損部分に木工ボンドを塗り、縦、横方向に締め付ける。縦方向は締め付け冶具があるが、横方向がない。
思案の挙句、ロープで絞めつけることを思いついた。単に手で縛るだけでなく、ねじって締め上げる方法である。ドライバーで数回回して締め上げた。かなり強力である。

その後、再度塗料を塗って作業を終えた。
所要時間は1時間余り。ただ、ボンドや塗料の乾燥時間をとって、部屋に入れたのは夕方である。
使ってみると、なかなかよろし。



2018年4月10日(火)
起し桜

雪の重みで根から倒れた桜を起こしておいた(3月7日付け)。
名付けて「起し桜」が咲き始めた。

同じ枝垂れ桜にもかかわらず、咲き方が違う。写真で見て手前の方が早い。根付きの差かもしれぬ。

切った枝でも水につけておけば枝の力で花が咲く。「起し桜」も花が咲いたからと言って、根付いたと喜ぶのは早そうである。

里庭は今が桜の盛り。山桜を中心に八重桜や名を知らぬ色の濃い桜など。
春爛漫である。



2018年4月9日(月)
夜中の地震
夜中にドーンと来た。かなり強い揺れ、しかも長い。Mもすぐ起きる。
寝室を出て、台所に行く。その間もまた揺れ。
テレビを点けると、地図があり島根の上に震源を示す×印が示されていた。


発生時間は午前1時12分ころ。強さはM6.1。大田市が震度5強、川本町が震度5弱、邑南町は震度4と表示された。
市町村別の震度は庁舎の観測値になる。大田、川本、邑南町の庁舎はほぼ直線上にあり、我が家のある八色石は邑南役場より川本役場に近い。
さすれば我が地の揺れは、5に近いものかもしれぬ。

確かに大きな揺れで、これまでに経験した中では最大と思われる。
ただ、いまのところ、被害らしいものは全くない。

気象庁によれば1週間くらいは要注意という。
くわばら、くわばら。



2018年4月8日(日) ラベル408
白菜の菜の花

今期の白菜、遅まきのものは出来が良くなかった。ほとんど巻かないのである。
野菜つくりはMの手が大半なので大きなことは言えないが、悪さの原因は作り方でなく、天候と思われる。我が家に限らず、他の家でも巻きが悪いと聞く。

その白菜、巻かないものが春まで残り「菜の花」をつけ始めた。

小松菜などの菜の花はこれまでも随分食べたが、白菜は初めてである。茎の太さは1Cm近いものもあり、大振りで、食べられるか否か訝られた。
最初に試したのはM。胡麻和えにした。これが誠に美味であった。柔らかく癖がない。

この時期菜の花の成長はすこぶる早い。花芽がどんどんできる。大振りなので少し摘んでも適量にすぐなり一日の摘む量は限られる。
こんな次第で毎日摘み、毎日菜の花料理を食することになる。

今日はKが担当した。簡単に「おひたし」。ゴマダレに味ぽんと醤油を混ぜた「たれ」で食べる。

これも美味。
2度目の作である。



2018年4月7日(土)
写真データの保存

一昨日は我が家のデジカメについて触れた。
今回はデジカメで撮影した写真データの保存法の変遷を振り返る。

写真データの保存法は人によって様々である。SDカードにそのまま保存し満杯になればSDカードを買い替える人もある。
一方我が家は、パソコンに一旦取り込み、そのデータを別媒体に保存するという方法を当初からとってきた。
したがって、変遷といえばその媒体の変化を振り返ることになる。

最初はCDに取り込んだ。
写真のテーマごとにフォルダを作り、年度別に保存した。手元にまだCDが現存していて、それを見ると最初の1枚に2001、2002、2003年が入っている。2枚目には2004と2005年。撮る写真がだんだんと増え2006年は1枚に収まらず2枚のCDに入れている。そして、2007年は3枚になる。

CDはここまで。経緯の記憶は定かでないが、作業が大変になったのか外付けハードディスクが安価になってきたためか、以降は外付けハードディスクに保存するよう変更した。

1TB(1000GB)のハードディスクで、この中には写真のほかに他のパソコンデータも一緒に保管している。
データの整理法はCD時代と同じで、年度別・テーマ別が原則である。テーマ別にデータを仕分けるのはMの役目となっているが、昨今は写真の数が増えてきて仕分けが間に合わず、パソコンに取り込んだ日別のフォルダのままも多い。
このハードディスク方式が我が家の第2世代である。

そして、第3世代がクラウドサービスに保存する法になる。昨年から試用し今年から本格運用に変えた。「グーグルフォト」に保管する。
グーグルフォトの詳細については、後日またどこかで報告することにしたい。



2018年4月6日(金)
花のてんこ盛り

Mの作品である。

今年の大雪で折れた枝を捨てずに活けておいた。
今花盛りである。
左は彼岸桜で活けた場所は玄関の脇。右は椿で家の横。
器は当地で「はんど」と呼ぶ石見焼の大甕。直径が7、80Cmはある。

「花より団子」派のKに比べMはその逆。「飯は食わねど花は活ける」気概は誠に見事で、家の内外、生花が絶えたことはない。
ここの処を述べたMの一文。移住してすぐの頃のもの。 こちら→

ここに述べた気持ち、今も変わらず続けている。



2018年4月5日(木)
デジカメ第1号

自室に古いカメラなどを雑然と収納している戸棚がある。
普段はめったに開かないが、たまたま用事があって開けてみると古いデジカメが目に留まった。

我が家のデジカメ第1号である。富士フィルム製のFinePix4500。
「家族の歴史」を開いてみると、2001年(平成13年)6月購入とある。

PENTAXオンリー(詳細は こちら→)の我が家にあって、なぜ富士フィルム製なのか。K自身にも不審があって今回少し調べてみた。

PENTAXの製造元(当時は旭光学)は、その時点ではいまだデジタルカメラを販売していない。
旭光学が最初のデジカメを売り出したのは2001年の7月になる。そしてデジタル1眼レフカメラを販売したのは、さらに下って2003年の*istDとなる。

これに反して、富士フィルムが最初にデジカメを販売したのはかなり早い。1998年3月にFinPix700を販売開始している。10万円を切るデジカメとかなり評判だったらしい。
FinePix4500はその後継である。価格は標準で68,000円となっている。

そして、このカメラで撮った最初の写真が次である(と思われる)。

写真データのファイル番号が「DSCF0001.JPG」となっているから、おそらく間違いあるまい。

日付けは7月1日。
6月15日の株主総会で神岡部品を退職し、その前々日の6月29日まで出社を続け、記念にMと旅行した。
7月1日からの1泊旅行、大牧温泉への旅の第1番写真である。

その後、デジタルカメラは1眼レフを中心に何台か購入した。もちろんPENTAXである。その意味では異色のカメラとなっている。
今後大事に保管することにした。



2018年4月4日(水)
花見

体操教室のメンバーを中心に、花見に行ってきた。
この行事、一昨年の4月6日にも実施している。

場所も同じの断魚渓。ただ、少し下って川沿いの広場まで下りた。
花は丁度満開か、あるいは少し過ぎたというときか、わずかに散り始めている。
雨が心配されたが運よく降らず、雲が日照りを遮って暑くもなくかといって寒くもなく、絶好の花見となった。

弁当と飲み物は自分で用意、お茶とお菓子を世話人が準備という会である。
昼食のあとグランドゴルフを5ホールして楽しんだ。

参加者は男性4名、女性8名。
Kの年齢は、昨日は長老の部類に入ったが、このメンバーでは若手に入る。



2018年4月3日(火)
春祭り あれこれ

4月3日は曜日に関係なく集落の春祭りである。
昨年は義兄の葬儀と重なり欠席し、2年ぶりの参加となった。

参道に当たる444の階段清掃。大方の人はふもとの清掃から着手するが、Kほか数名は上部から開始する。下を見れば人影が小さい。

清掃を終え境内に上がると、氏子代表や祭事道具などの運び人など、数名の人がすでに上っていた。
神社の後方にご神体の一つの大岩があるが、これに新しい注連縄が掛かっていた。縄細工などが得意のTさんが奉納したという。Tさんに話を聞けば長さが16mもあるらしい。

境内には国土地理院の三角点があり、高さは434mとある。集落が一望でき、我が家は真正面に位置する。
この景色をみている丁度その時、手前の山影から白煙のようなものが上がった。一瞬、山火事!っと見紛うも、どうやら、驚くなかれ、杉の花粉の飛散であるらしい。
花粉症の元凶を初めて視認した。

10時からいつもの祭礼。
一昨年の祭礼参加者は20名と記載(2016/4/3日付け)しているが、今年のそれは16名であった。顔ぶれも代わっている。
見回せば、男性では私が最高齢者になっていた。



2018年4月2日(月)
トタン壁

里庭の裏山にはトタン壁が設置してある。
移住して間もなくMが一人で築壁した。100mを超す長さである。
隣地との境界線上に建てており、区分けの意味があるが、緑を区切るアクセントとなっていて景観上の意味も大きい。
それに加えて昨今では、イノシシ防除の役もあり、里庭にとっては不可欠の要素になっている。

その壁が今年の大雪と、隣地の間伐時の損傷という二つの要因でかなり壊れ、修復作業を行った。

先月29日記載の”腰重”感が、少し良いとはいえ未だ残っていて、作業はゆっくり目。
日当たり1時間程度に抑えて3日がかりの仕事となった。

この部分、以前は孟宗の竹林があった場所で こちら→
数年かけて駆除し、ここまで持ってきた。
今後は自然の成り行きに任せつつも、風情ある雑木林に育てる予定でいる。

トタン壁の修復は、今後も毎年繰り返されることになろう。



2018年4月1日(日)
冬じまい
Mの実家の雪囲いを外してきた。設置したのは昨年12月16日。午前中、Mと一緒に行って作業をし、お茶の馳走を受けて帰ってきた。

同じ流れで午後は我が家。
下屋の雪囲いを撤去した。


こちらの設置は、備忘録を繰ってみると12月8日になっている。
設置に比べ取り外すに時間はかからない。30分余りで撤去した。

外せば一気に周りは春。
心が最も弾む時期である。



Kの散歩帖