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2019年4月30日(火) ラベル430
私の収録音楽

平成の最後の日である。各マスコミも平成を振り返る特集を組んでいる。
小欄もそれに負けじと回顧録を試みることにする。
テーマは「収録音楽」。ここではクラシック関係の音楽に限って振り返ることにする。

昨日、”田園”のことに触れたが、レコードによる収集はほとんど進まなかった。この”田園”を含めて10枚に満たない。そしてその大半は紛失している。

本格的に「収録」を開始したのは、まさに平成に入ってから。1991年(平成3年)のことである。
きっかけはカセットの録音機能を搭載するパイオニア製スレオコンポを買い求めたことに始まる。
この装置のことは以前触れた。 こちら→(2019/2/14)
FM放送音楽番組をエアーチェックで録音するのである。
何を録音するのかは、指南役の本を求めた。志鳥栄八郎氏の著作。

FM雑誌を買い求め、放送予定を確認する。この著作に載っている曲の放送があれば、タイマーをセットして留守録をするのである。
1991年から94年までおよそ4年間、この留守録作業を実施した。
1991年は未だ山梨に住んでいて、1992年には神岡に異動しているので、引っ越しをはさんで二つの土地で録音したことになる。幸いなことに、この二つの地はFM受信に問題はなかった。

このテープは捨てずにいて、今でも裏の納屋の自室に保管している。

左端は落語のテープで中と右が当該音楽。170本余のカセットテープが収納されている。1本のカセットに2曲録音したものや1曲のみ録音したものがあり、平均すると1.5曲くらいであろう。250強の曲を集めたことになる。収録した音楽は志鳥氏の本で曲名を青く塗りつぶした。400の楽曲を集めたとされる氏の本の半分強が塗られている。
この部屋には持ち帰ったカセットプレーヤーがあり、前住者のアンプと、スピーカーも残っていて、聴こうとすると今でもカセット音楽を聴くことができる。
ここまではアナログ録音の話になる。

世は次第にデジタル化に変貌する。私も遅れながらも流れに付いてきた。
Windowsパソコンを購入したのが1999年(平成11年)である。そして2001年(平成13年)2月ににCD-R、RWの読み書き装置を購入している。
これとパソコンを組み合させると、CDの複製が可能になる。
たまたま、神岡町の図書館に、「CD世界の音楽」というきょうせい出版が発行したクラシック音楽の50枚組CDセットがあって、これを少しづつ借り出し、50枚CDの複製を作成した。
このシリーズは、ほぼ有名とされるクラシック音楽の全てを網羅するもので、一気に収録量を増やすことができたことになる。
2001年の8月に八色石に居を移すことが決まっていて、このCD複製作業は、引っ越し前には終わるよう頑張った記憶が残っている。

八色石に越してからは、また別の動きをしている。先にカセットに録音した音楽を、CDに焼き直す作業を始めたのである。
2009年(平成21年)4月に着手した。この作業はかなり厄介で、アナログ録音された音楽をアナログからデジタルに変換するソフトを導入し、これを介してデジタルに変換したのち、CDに焼きなおすという作業になる。
作業が過酷の性か、半年かけてバッハ、ヴェートーベン、モーツァルトの曲を105曲、CD44枚に収めたところで、中断してしまった。
このCDも未だに残っている。


最上段が「CD世界の音楽」、中段右がカセットをCDに直した「収録音楽」、中段左はポピュラー関係、下段は落語である。
カセットに比べると収納容積がかなり減っているのが読み取れる。

そして時が経ち、話は新たな時代に突入する。CDが不要になるという話。
NASシステムという。
このことは以前詳述している。 こちら→(2017/9/5)
ただし、実施の時期は2015(平成27年)年の10〜12月のことである。

クラシック音楽、ポピュラー音楽、そして落語など全ての音源が外付けハードディスクの中に納まっている。万一のことを考慮して、二つのハードディスクに収納した。一つはバックアップである。

そして昨今、アマゾンプライムミュージックでの収録を始めた。ただしこれは、平成から令和に持ち越しとなる。


2019年4月29日(月) ラベル429
ヴェートーベンの交響曲”田園”
過日、古いレコードの話をした。レコードの束からフォークソングソングを繰り出し、同じ音源をアマゾンミュージックで探して、再録音したという内容である。
レコードのこと こちら→(2019/2/13)
録音のこと こちら→(2019/3/4)

その古いレコードの中には、フォークソングなどのほかに1枚のクラシック音楽のレコードが入っていた。
ヴェートーベンの交響曲6番”田園”である。


実はこのレコード、Kが買い求めた音源の中で、生涯最初の1枚である。
かなり鮮明な記憶が残っていて、求めた時期は昭和38年、受験浪人の時である。求めた場所は当時郡都と呼ばれた川本町、住む場所からバスで1時間のところである。
”田園”を最初から決めていたのかは定かでないが、結果としてはこれを求め、喜び勇んでバスで帰った記憶が残る。
当時Kは納屋の2階に3畳の粗末な部屋を自分で作り、そこで勉強していた。
レコードを聴く装置が一式あった。レコードプレーヤーとアンプの調達をどうしたか記憶がない。
ただし、スピーカーのことはある。友人のNがスピーカーの本体をくれた。音響箱はない。段ボール箱で音響箱を作った。いい音になったと悦に入った記憶がある。スピーカーは1個しかなくステレオでは聞けない。それでも良い音に聞こえた。
これで聴くためのレコードである。価格はは1500円とある。浪人生には高価な品だが、そこいらの記憶は残っていない。

古いレコードである。指揮者はアンドレ・クリュイタンス、ベルリンフィルの演奏である。
レコードに発売年の記載はないが、購入年月から類推して1960年代の初めになろう。
出だしの個所などの音がかすかに記憶に残っていて、もう一度聴いてみたいと思いもしたが、なにせ古い音源そして再生装置もない、もはや不可能とあきらめていた。

ところが、それがあったのである。
つい先日、アマゾンミュージックの中で見つかった。
まさか出ないだろう思いながら、万一と思って探したら、あったのである。



1956年に録音されたモノラル版、1960年のステレオ版、そして2014年のリマスター版の3種類である。
リマスター版を聴いてみた。
記憶に残るものと全く同じ音色が流れてくる。少し感動ものであった。

只今、名曲・名盤の収録作業中である。
交響曲を集める段になれば、この音源は必ず入れようと思い定めたところである。



2019年4月28日(日) ラベル428
竹馬の友の来駕を得る
何十年も時を遡る竹馬の友の来駕がかなった。

ここに至る経緯を振り返ってみる。
ことの始まりは2017年に放送された「ブラタモリ」であった。 こちら→(2017/2/26)
画面の字幕に出た名前が幼馴染と同じで、もしやと思ったところたところから物語が始まった。
ことの事実を確認した先が、Kの「憧れの人」で、仮にAさん。Aさんは「タモリ」に出た佐々木氏と従姉弟という関係にあたる。

この証明作業を契機にAさんとのつながりが始まった。
こちらからAさん宅を伺ったり こちら→(2017/3/12)
Aさんにお出でいただき、さらに柱時計を頂いたり こちら→(2017/7/12)
という関係である。

その後Aさんから、「良ちゃん」が伺いたいと言っているが如何との連絡を頂いた。
当方に異はない。
是非にと言ったのだが、1度目は予定した日に「良ちゃん」に不都合が生じて来れなくなり、2度目の時は指定された日に当方が高校の同窓会と重なって受けることができなかったりで、今回が3度目の正直である。

夕方から広島で用事があるということで、朝の9時頃我が家に到着になる。
「ブラタモリ」に映った「良ちゃん」が現れた。

幸いにして天気は晴れ、ただし、少し肌寒い。
いつものコースの里庭を案内し、昨年建てた小屋の前で休憩を兼ねてコーヒーブレイク。


その後、家に上がって昼食を共にし、午後1時頃辞去になった。

この間は昔話に花が咲く。生まれ育った集落の映像がまざまざと蘇った。
Kの母親のことで初めて聞く話もでる。
あっという間の4時間であった。



2019年4月27日(土) ラベル427
後始末 兼 薪作り
椎茸の榾木作りについては以前触れた。 こちら→(2018/4/6)
椎茸の榾木になる幹の太さは限定され、およそ直径が10〜20Cmである。これより太いものや細いものは使い物にならない。
他の人はこの余材をどう利用するのか知りたいところであるが、我が家は幸いなことに使い道がある。
薪ストーブの燃料である。薪として使うに、これ以上のものはない。

細いものは長めに切断して運び、後日電動鋸で定寸に切断する。
太いものは重いので現地で短く切断し、運び下ろして後に割る。



この、運び下ろす作業を実施した。3日掛かりである
第1日目、4月18日。細い枝の部分を切断して運び下ろした。2.5時間。
第2日目、4月23日。太い部分のおよそ半分を処理。2時間。
第3日目、今日。太い部分の残りを処理。3時間。

これで完了である。
今後は薪割りをして小屋に積むことになる。慌てず実施に予定。
ただし、今回の薪材は、一冬に必要な量のおよそ半分にしかならない。
残りのことは別に考えなければならない。
仕事の途切れはない。有難い(?!)ことである。


2019年4月26日(金) ラベル426
唐楓の発芽

3月29日、発芽かも? こちら→(2018/3/29)
としたのは、間違いなく唐楓であった。

その後、少しづつ芽を出すものがふえ、そして、初めころ双葉を出したものは、次の新芽も出し始めている。
この1週間くらい、新たに芽を出すものはないので、大方出るものは出尽くしたと思われる。

それにしても、昨年種を蒔くときの企ては見事に的中した。
昨年の企てとは、こちら→(2018/12/21)
一晩水に浸して、浮くものと沈むものに分け、浮き沈みによって発芽率に差が出るかを調べてみようとしたのである。左半分に浮いたもの、そして右に沈んだものを撒いた。

結果は次のようになった。
浮いた方での発芽の数、4個。
沈んだ方での発芽の数、52個。
総桝目は128であるら、浮き沈みに分けた母数はそれぞれ64となる。

発芽率は
浮いた方、4/64で6.3%
沈んだ方、54/64で84.4%
そして、沈んだ方を仔細に見ると、発芽しないものの中に種が表面にむき出しに出ているのが4枡あった。打ち水など、その後の管理法の不手際でむき出しになったものと思われる。表面に出たものは発芽はしないであろう。
この不手際を、発芽率に考慮するか否かは議論の分かれるところであるが、この4枡を母数から外すとすると
沈んだ方、54/60で90%
となる。

昨年時、水に浮き沈みする比率は正確に調べていないが、およそ半々であったと記憶する。
これを基にすると、自然界でできる種子の発芽性能はおよそ5割になる、と言える。
ただ、発芽しなかった桝目はこのまま保存し、来年以降、発芽するか否かは調べてみようとは思っている。

さて、発芽した芽をどうするか。
大きなポットに移し替えようとしたら、Mがまだ早いという。その後のことも含めて、何も決めていない。
54本の苗木を植える場所は、広いとはいえ、里庭にはない。



2019年4月25日(木)
山笑う
2、3日内向きのことに集中していて、屋外に目が行っていないうちに、山の景色が様変わりしていた。
集落の役で、朝、農業共済組合の広報誌を配布するため車に乗って出かけたら目に入った。
霧雨がわずかに落ちるしっとりした空気の中であった。。


”山笑う”は言わずと知れた季語。歳時記には春の山の明るい感じをいう、とある。
ついでにそのまま品用を続けると、山滴る(夏)、山粧う(秋)、山眠る(冬)というのだそうで、こちらはこれまで全く知らなかった。

これから6月後半の緑が濃くなるまでは、日に日に景色が変わる。
田舎暮らしの、醍醐味が味わえる季節である。堪能しよう。



2019年4月24日(水) ラベル424
後期高齢者

今日役場から送付された。
後期高齢者保険証である。

一応、個人情報保護で日にちまでは明かさないが、改元の日からそう遠くない時期に後期高齢者に仲間入りする。
同封の書類には平成20年に制定されたとあるから、もう、10年以上も前に出来たものであるが、当時「後期」という文字が良くないと批判を浴びた制度である。
その時は、自分に無縁のことと思っていたが、とうとう当事者になってしまった。
若干の感慨がないわけでもない。

さらに昔の記憶にさかのぼれば、当時は70歳以上は医療費は無料で、年を取れば医療費の心配はいらないと思っていたら、いつの間にか1割負担になり、そして丁度Kが70歳になった年から負担は2割に増額された。
「私から、2割にならないでも!、これで死ぬまで2割か」と不遇を恨んだりもしたが、世の趨勢をみるとこれも仕方がない、と納得していたわけである。

ところがである。今日来た保険証を見ると、負担が1割になっていた。「後期は1割」のことを全く承知していなかった。これは嬉しい誤算である。

折しも、只今歯の治療中である。長期連休が終わってのちに受診日が決まっていて、その時は少し高額の治療費を払うと覚悟していたら、その日は「後期」到達後2日目に当たり、治療費が半分で済むことになった。

”年を取るのも悪くない”、その一例かもしれぬ。

余談;システム改正前の書類で「令和」になっていないが、有効である、と添え書きが添付されていた。
「令和」の時に「後期」になった記念の寓話である。



2019年4月23日(火) ラベル423
野の花 キンポウゲ

野の花シリーズの3回目である。
 第1回は3月3日 オオイヌノフグリ
 第2回は4月5日 シロイヌナズナ
そして今日は キンポウゲである。漢字で書けば金鳳花。
黄色の花をつける。
このキンポウゲが、今最盛期。

里庭のなかでもあちこちでみれる。桜台と呼ぶ場所や雑木並木の真ん中でも咲いていた。
ウォーキング時でも、田の畔や溝の縁などあちこちで咲いていて、目を和ませる。

植物の名前を覚えるのが苦手のKであるが、なぜか、このキンポウゲはいつでも思い出させる。
華奢な立ち姿を好ましく思うからかもしれない。

そしてこの花はいつも、私にもう一つ別のことを想起させる。
それは、草刈りシーズンの到来。
いよいよだな、と毎年覚悟を決めるのである。

少し余談気味な話。先ほどネットで得た情報。
生物を分類すると、大きい方から
 「界(かい)」、「門(もん)」、「網(こう)」、「目(もく)」、「科(か)」、「属(ぞく)」、「種(しゅ)」
となる。
人間の場合はヒトという種類の生物で、
動物界  脊索動物門  哺乳綱  サル目  ヒト科  ヒト属 ヒト種
という分類になるらしい。
そして今回のキンポウゲは「キンポウゲ科」に属するというから、あまり話題にならない植物の割には大きな分類の食物である。
そしてキンポウゲ科の植物は皆毒を持つらしい。有毒で名高いトリカブトもキンポウゲ科に属すという。

さらに別の情報では、綺麗な花をつける植物には有毒なものが多い、ともある。
なるほどと思うが、それは何も植物に限ったわけではなく人間界でも通じる通説とも思われた。



2019年4月22日(月)
Mさん、新聞・テレビに登場

Mが今日の新聞やテレビに登場した。
新聞は中国新聞、テレビはNHK。いずれも、県内版である。
昨日の出来事であるが、日曜なのでテレビの放送枠がなく、今日に放送された。

昨日、三瓶山の山開きが開催された。朝8時からの催しで、それに間に合うよう、朝早くから友達と出かけて行った。
たまたま主催者のスタッフから、登山者代表で神事の玉串奉奠に出てもらえないかと頼まれたらしい。
大田市長ほか大勢の奉てん者の最後でささげたという。
ただし、奉てん者の大半は登頂はしなかったはずで、登頂した数少ない奉てん者にMがなったわけで、テレビや新聞の記者からインタビューされたらしい。
その結果が今日の報道である。

インタビューは長々とされたらしい。
しかしながら、放送されたのは10秒前後で、少々物足らないらしく、「たったそれだけ」と感想をもらしていた。

昨日は絶好の登山日和、思い出に残る登山になったと思われる。



2019年4月21日(日) ラベル421
ワードのページ移動
只今、「私の名曲・名盤」なるものを作成している。
結構熱中して作成しているが、このことについては完成の折り報告のこととして、今日はその間の手続き上の話である。

作成の途中で、”名曲・名盤”の「説明書」も一緒に作ろうと思い始めた。
曲のタイトルやCDカバーの写真、曲の構成や時間などをまとめたものである。
作成は”Word”でおこなうとし、曲を集める作業と並行して作成することにした。
ページ編集が起こることは当初から予想され、手慣れたExcelで実行しようかと思いもしたが、なんとかなるだろうとWordで始めた次第である。

今回作業が一段落した。「室内楽曲」の曲集めをほぼ一月かけて完了した。

余談;あと、交響曲、協奏曲、管弦楽曲を集める予定。歌曲、オペラなど音声のものは外すつもり。

そこで、「説明書」の編集にとりかかったのである。
編集作業の段取りは一応頭にあって、「切り取り」と「貼り付け」で行けると考えていた。
想定する1頁の内容を一括して切り取り、別のページに貼り付ける、との考えである。
しかしながら、詳しいことは省略するが、予定の方法では進めることが全くできなかった。

思案に暮れてネットに相談である。
いくつか読んで、最も理解しやすかったのが こちら→
「見出し」という機能を使うらしい。


初めて使う機能で、最初はかなり面食らった、およそ半日かけてマスターし、作業を終えた。
編集の内容は、同じ作曲家の曲があれば寄せ集め、作曲家はアイウエオ順に並べるというものである。


上が出来上がった結果になる。並べ替えた上で番号は振りなおした。

ワードにおける「見出し」という機能は、ワードの基本操作の一つらしい。
今後はも少し使ってみよう、と思い始めた。



2019年4月20日(土)
おおなんお宝ウォーキング

役場の保健課と地元の公民館が主催するウォーキングである。
毎月、町内どこかの公民館で開催されもので、当公民館は、以前は年度末の開催が多かったのだが、今年は年度初めに開催された。

Mは前から参加を心決めしていたが、Kは加齢性億劫病にかかって参加を渋っていて、しかし朝起きてみたら見事な好天で、心変わりして参加してきた。

参加者は50名を超す。女性が3/4。
コースの途中で当地の名所の「山野草の楽園」を巡るというもの。距離は4Km超らしい。

渋りながらの参加であったが、景色、天候、申し分なく、気分を良くして廻ってきた。



2019年4月19日(金) ラベル419
枝焼き

昨日に続いて燃やす話である。
今日は雑木の枝や古材など、二の畑の一角に貯めていたものを焼却した。
毎年1、2度は行う恒例行事である。
前回の実施を探してみたら、昨年の5月21日に実施していた。 こちら→(2018/5/21)

昨秋以降大きな山になっていたので焼きたいと思うことはあったが、万一枯れ草に火が移ってはと、この時期まで伸ばしてきたものである。

作業を開始したのは朝の6時頃、曇天で風はない。
朝食を用意してMも7時頃から参加した。この頃から霧雨が降る。雨具を着るかどうか迷う程度の弱い雨。
火の粉が燃え移る心配がなくなり好都合の天候になった。

山が大きい割には作業が早く進み、8時過ぎには大物は燃やし終えた。
ここで朝食。
全ての作業を終えたのは9時半頃であった。

作業を終えても燃え木は残る。時折見に行って残り木を乗せたりなど。Mは”焼き芋”を作っていた。

この残り火は長時間残る。明日でも山の中心部には火が残る。全てが燃え尽きて灰になるのは明後日であろう。



2019年4月18日(木)
野焼き
「里庭」では草を焼くことは珍しくないが、その場合は必ず、刈った草を寄せ集めて焼くという方法をとる。
ましてや、枯れ草をそのまま役焼く、いわゆる野焼きはほとんど行わない。
第1の理由は、延焼を恐れてのことである。

その禁を破ることにした。
裏庭の野芝である。
一部芝が密集した個所があって、新芽が出にくそうに思われて焼くことにした。
幸い風もない。
それでも、これから先には火を行かせないという場所には打ち水をし、さらにバケツに水をためて着火した。


火はよく燃える。それでも進むスピードはそう速くない。十分管理下に置かれるものであった。

一度の着火では思うとこまで届かず、数度火を入れて予定の場所を焼くことができた。
要した時間はおよそ30分。
めでたしめでたし、である。



2019年4月17日(水)
脱フレイル ラベル417
一昨日のこと。歯が痛むので歯医者に電話をしたら診てもらえるという。行ってきた。
予約なしで行ったためかなり待たされることになったが、待ち時間に手に取った本の話である。
「フレイル」状態にならないための紹介書。
「フレイル」とは耳慣れない言葉であるが、「要介護」になる手前の状態をいうらしい。
詳細はホームページがある。 こちら→


東大の先生が書いた本であるから、まあ、信用して良いであろう。

流し読みをすると。
健康長寿のためには元気で動くことが必要、そのためには筋力が大事という。
自分の筋力が十分か否かは簡単に測れる、という(写真、中)。両手の親指と人差し指で輪っかを作り、利き足でない方のふっくらはぎの太い部分を囲んでみる。「輪っか」が足りなければ筋力は十分あり、「輪っか」が余れば筋力が足りない可能性が大きいといわれる。
試しに自分で測ってみた。2Cmくらい隙間があく。輪っかが足りない状態である。この点では良しである。

流し読みの中身でもう一つ(写真は無い)。
日本では「太りすぎは良くない」という意識が先行し、「痩せは良くない」という意識が欠落していると宣う。
東大で大勢の人を調べた結果では、BMI(体格指数)が22から23の人の健康寿命が最も長かったという。
年をとるとあっさりしたものを食べがちであるが、筋力維持のため意識して肉や魚など、こってりしたものを食べる必要があると力説されていた。
自分はほぼ毎日身体測定をしているが、例えばこの1ヵ月のBMIを平均してみると22.1になる。むしろ足りない位。
只、同時に測定している「腹回り」の平均が88.3Cmで、こちらは頂けない値である。

同著の書出し部の結びに(写真、右)
「しっかり噛んで、しっかり食べる」「運動する」「社会とのつながりを持つ」
とあった。
平凡ではあるが、普遍的で、これしかないのであろう。
実践するのみ、である。



2019年4月16日(火)
初めての草刈り

今年初めての草刈りをした。

写真を撮り忘れた石垣のところと合わせて実施。
およそ1時間の作業であった。

道具類の点検も兼ねて行う。草刈り機は異常なし。
顔面をカバーする「面」の固定部品の一部が以前から無くなっていて、着用時に工夫が要る状態であるが、そろそろ買い替えた方が良いかもしれない。

毎年200時間前後の草刈りを行うが、その最初の1時間になった。



2019年4月15日(月) ラベル415
タムシバ

4月3日の春祭りの折り、周辺の山にタムシバが見えないことが話題になったとし、今年は遅れているのかそれとも咲かないのか、と見通しを危ぶんだが、答えは”遅れて咲いたが、花はかなり少ない”という結果になった。

裏山には、転居後すぐの頃移植に成功したタムシバが1本生えているが、今年はようやく1輪のみ花をつけた。

(注)タムシバは移植の難しい木で、転居後20本くらい移植した中でこの1本のみが生きついた。自生のタムシバは里庭内に20本前後はあろう。今年は4、5本が花をつけた。

そして、周辺の山では5、6日くらい前から花が咲いた様子がうかがえるが、その数は極めて少ないように思われる。

3年前、タムシバが咲き誇っているときの状況を掲載していて こちら→(2016/4/4)
今回も同じ画角で写真を撮った。

この時に比べると、少なさが歴然としている。

我が家にとってタムシバは桜に並ぶ花木で、花の少ない今年の春は、若干ながら寂しいものになった。



2019年4月14日(日)
椿の不思議

小欄に何度も登場している場所で「横庭」と呼ぶ場所がある。
ここは長細い形をしていて、片方は道路に面し、その反対側は高さが1メートル半くらいの石垣になっている。
石垣の上は昔は田圃で今は畑として利用している。

2、3日前のこと、横庭に行ったとき目に入った。小さな椿が石垣の間から芽を出している。
石垣にとって植物は大敵である。根が張ると石垣が崩れる。
目に入った椿の苗は高さが20Cm弱、抜いて鉢植えにでもするかと、引っ張ってみたが根が絡まって抜けそうにない。近くにはアジサイも石垣から芽を出している。
葉が出そろった頃に除草剤でもかけて枯らさなければなるまい、などと思っているときに、ふと気がついた。

アジサイの実は小さい。風に飛ばされて石垣から芽を出しても不思議ではない。
ところが、椿の実は直径が1Cmくらいはある、はずで、風に飛ばされるものとは思われない。
確かに椿の木が石垣から2mくらい離れた場所に1本はあり、実をつける。
この実が落ちた弾みで飛び跳ねるとも思えるが、芽と木の距離は3mくらいあり、しかも、芽の位置は地面から30Cm近く上がっている。いくら偶然が重なっても、落ちた実が石垣に入るとは思えない。
そして、 仔細に見ると、椿の芽(苗)は3本あった。遠いものは、木から4mは離れている。
こうなると、椿自身で実を運ぶことは考えれれない。
そして、石垣の上の畑に椿の木はない。

残るは鳥か、動物。
最も有力なのはカラスか? カラスは近くにたくさんいる。
カラスが立ってくちばしを上げても、届かないものもある。カラスがホバリング?

と、今の自分では全く解決できない問題が浮かび上がっている。

事情が判る方がおられれば、お教え願いたい。



2019年4月13日(土) ラベル413
椎茸の植菌

4月6日の続きである。 こちら→(2019/4/6)
椎茸の榾木に菌を植えた。
今回は、菌を2種類にした。実の厚い、いわゆる”どんこ”と並みのものである。それぞれ500個づつ。合わせて1000個である。
作業は半分づつ、前半は4日前、残りを今日、いづれも好天を選んで実施した。

菌の入った袋に駒を植える配置図が載っていて、それによると、私の方法とは異なるが、私の植え方は義父の教えによるもの。そのまま、私の方法で実施した。

500個植えるに、およそ2時間半かかる。全部で5時間の作業になった。

話が少しずれるが、今日の小欄タイトルをつける時に迷ったことがある。
それは「榾木」の定義。
「榾木」は菌駒を植える前までをいうのか、それとも、菌を植えたものも「榾木」というのか。
もし、後者なら4月6日を受けて今日のタイトルは「榾木(ほだぎ)作り その3」にすればよい。

調べてみた。
三省堂大辞林には「シイタケの種菌を植付けた原木」
広辞苑には「椎茸・なめこ・ひらたけなどを栽培するために伐った椎・栗・櫟などの木」
とある。

意見が分かれるが、広辞苑派の小欄は菌を「植える前まで」を榾木と呼ぶこととし、今日は新たにタイトルを起こすことにした。



2019年4月12日(金)
土筆の群落

通常、野生植物の群落は好感を持って迎えられる。
が、土筆の群落はあまり喜ぶべき話ではない。
なぜなら、土筆そのものは悪くないのであるが、これがスギナと同根であるところがいただけない。

その土筆の群落が、再生雑地と呼ぶ場所に現れた。

元々、スギナは生えるので土筆が出ても不思議はないが、土筆が群れをなして生える光景は初めての気がする。

も少し生態を調べたいとネットを開いたら、土筆とスギナが同時に写った写真が見つかった(上写真、右)。
これまで、なんとなく、土筆が消えてからスギナができるイメージがあって、不思議な感覚を覚えて写真を保存した。
ネットによれば、「スギナはいたるところに自生するが、スギナがあっても土筆がでないこともある」との記述もあった。

今回の再生雑地は生態が一定しない性質がある。これまであった植物が翌年にはない、ということがしばしばある。
土筆の群落、このままではスギナが大量発生かと危惧したが、得られた情報などを総合すると、その兆候ではない気もしてきた。
すぐに打つべき手も思い浮かばないので、当分静観で様子を見ることにする。



2019年4月11日(木)
ブラックホールの撮影

今日世界中で報道されたニュースである(発表されたのは昨日のこと)。
NHKや新聞でも取り上げた。

アインシュタインが予言したブラックホールが、初めて映像化されたというニュースである。
地球から5500万光年離れた場所にある「M87」というブラックホールを撮影した。

このプロジェクトの一部始終を撮影した記録映像が、期を同じくして、NHKで夜10時から放送された。
「コズミック・フロント」という番組。録画しておいて見た。

日米欧の科学者200名余が10年以上かけて達成した偉業という。
チームリーダーはMITのシェップ・ドールマン教授。月面に置かれたオレンジを撮影するに例えられる事業。
高精細の映像を得るには望遠鏡は大きいほどが良い。このため、地球上6か国、8台の望遠鏡をネットワークで結び同時に観測することを考えた。これで口径が1万キロの地球規模の大望遠鏡が出来上がる。この観測システムを、イベント・ホライズン・テレスコープと呼ぶ。
準備に10年かけて、観測を実施したのが2017年4月5日から10日間、多くのトラブルを乗り越えてようやく観測を終えたという。
得られた膨大なデータをスーパーコンピュータなどを駆使して映像化を試みた。
映像化作業は4チームに分かれて行われ、どのチームの映像も同じ形に集約することをもって、正しく映像化された証拠にしたという。

テレビでは2018年6月に、アメリカチームが初めて映像化に成功したときの喜びが写し出された。
そして今回の同時発表に至る。

同時発表は世界6か国で行われた。
見えないものを世界が初めて見た日になる。

遠い将来、ドールマン教授がノーベル賞を受ける日があるかもしれない。もし、その日に立ち会うことができれば、再度小欄に乗せることにしよう。



2019年4月10日(水) ラベル410
桜事情

当地は今、桜(ソメイヨシノ)が満開。
そんなこともあって、「里庭」の桜事情を報告。

里庭には大小合わせると30本余の桜があるが、八重や山桜などの遅咲きの木が多い。
その中にあって、今盛りに咲いているのが下の写真に写る木々。

左、里庭には少ないソメイヨシノ。7年前に植えたものが  こちら→
一昨年初めて数輪花をつけ、今年は随分見栄えが良くなった。今後が楽しみである。

中、四季桜。秋から冬に向けても花をつける。しかしながら春は花の数が圧倒的に多い。
この木、昨年の雪で根こそぎ倒れたが、起こして添え木をしていたら見事に復活した。

右、彼岸桜。これらの彼岸桜は2代目になる。
初代の桜は一時隆盛の時期があって こちら→
大いに愛でていたのであるが、雪で倒れたり、根から腐って枯れたりで、無くなってしまった。
代わりにとMが植えたのが今回のもの。彼岸桜は小さな木でも花を良くつける。

これらの花が散るころには遅咲きの桜が咲き始めることになる。
里庭は始動の時期を迎えてきた。




2019年4月9日(火)
タラの芽栽培

昨日のお昼のNHK放送である。
途中から見始めたのでいきさつは判らないが、これまで日曜の朝に放送していた「うまいツ!」という番組を昼食時に放送していた。

内容は、ハウス栽培したタラの芽を味わうというもので、栽培の方法も合わせて放送していた。

方法はいたって単純で、タラの木(枝)を芽がある場所で切断し、片方を水に浸けておくだけという。芽は枝にある栄養で発芽成長し、なにもしないでよいという。大事なのは温度管理で、15℃位に保つのが肝要ということであった。

我が里庭にはタラの木はいくつもある。ただ、自然のタラでは、芽は枝の先端にだけ生え、大きくなったタラの木では芽を採ることがことができない。
紹介された方法なら枝を切って持ち帰ればよい。真似てみようと思いついた。

先端部は長めに、太い個所は短く切った。
放送では発芽した芽が回りに当たらないようにと言っていたが、それは発芽してから考えればよい。
問題は保管場所で、室内にするか屋外にするか迷ったが、自然任せでやってみようと下屋の下で保管することにした。

「うまくツ!」行けば儲けもの。成否の結果は追って報告のつもりである。



2019年4月8日(月)
石垣作り

Mの仕事である。
場所は横庭。
これまでは杭を打って、厚めの板で土止めしていたが、板が腐り土が落ちかけていた。
修理法を思案していたらしく、城跡か何かを見に行った折思いついたという。

聞いたのか、調べたのか、「野面積み」という工法であると講釈していた。

石は数度に分けて、Mが実家からもらってきた。
手前の丸いのは、漬け物用の重石。母がもはや使わない、とのことでもらい受けたという。
Kは全く手伝っていない。ただ一度、この重石を下すときのみ手伝った。

どのくらい時間をかけたのかも承知していない。一度積み終えたが、中程が出っ張った感じになり、見栄えが悪いとして積み直しているので、相当数の時間をかけていると思われる。

この後、モルタルで目地詰めするというから、かなり堅固なものになろう。
構築物として後まで残るはずで、記念して小欄記事に採用することにした。



2019年4月7日(日)
「令和」 3題
昨日、ほぼ2週間に1回の図書館に行ってきた。
入室してすぐのところに「令和」コーナーが出来ていた。


「令和」の文字が墨書され、万葉集関連の本が並べてある。
中央部には、万葉集があって引用の原点になった、梅花の歌32首の序のページが開かれていた。


今朝の読売、2面に掲載されたコラムである。
当地の新聞は夕刊が無いので、1面に「編集手帳」が載り、2面に前日の夕刊に載ったコラム「よみうり寸評」が転載される。


改元を受けて防人のひとを偲ぶ。上手いものだ。
不遜な言い方であるが、1面コラムの担当者が替わって、昨今面白い文が減ってきた。2面の方が面白いのが多い。


県知事選挙の投票に行った帰り、Mが面白いものがあると連れて行ってくれた。


我が家が見えるところまで帰った場所で、田んぼの土手の修理工事が行われている。
その工事概要を示す看板があり、工事期間を示す月日の記載が修正されていた。確かに、5月31日は令和に改元されている。
素早い対応に恐れ入った。



2019年4月6日(土) ラベル406
榾木(ほだぎ)作り その2
3月1日に切り倒した原木  こちら→(2019/3/1)
を、榾木にした。
2日掛かりの作業である。

最初は、わざと残した枝の整理。3日前に実施した。
薪ストーブの燃料になるものは残し、それ以外を処分する。
およそ3時間の作業になった。


次が定寸に切り出す作業。今日の午後に行った。
我が家はほぼ90Cmに決めている。義父の教えをそのままに踏襲。
太さはせいぜい20Cm位まで。
今回切り倒した木は、根元は30Cm以上あるので、中程から上の部分しか使えない。
今年は1000個の菌駒を用意したので、榾木の必要本数は30余本。
なんとか36本の榾木を切り出した。


こちらは3時間余り。
榾木にならない、細い部分と太い部分は後日ストーブの薪にするつもりである。

榾木作りは2年に1回と決めている。これまでその決めごとをほぼ守っているので、今回を含めてこれまでに9回作ってきたことになる。
今後、どこまで作れることやら、と思案するところである。



2019年4月5日(金) ラベル405
野の花

3月3日に、野の花のこととしてオオイヌノフグリのことに触れている。 こちら→(2019/3/3)
オオイヌノフグリの花期は長いらしく、今でも盛んに咲いているが、そうは言いつつも別の花が目を奪う機会が増えてきた。

今どき、最も多く目につくのが白い花。場合によっては田圃一面に広がり、田が白く見えるほどの場合もある。

これまで、あまり気にしたことはなかったが、一面覆われたさまをみて気になってきた。
もちろん名は判らない。1本抜き取って名を調べた。

「シロイヌナズナ」というらしい。北アフリカなどが原産で、日本では帰化植物になる。
1年草で、日本全土に広がるという。花期は4〜6月。

花を持つ植物(顕花植物)の中では構造が簡単らしく、植物学者が研究対象にするに便利な植物という。2000年に全ゲノムが解読されたとも、ネットにはある。

普段何気なく見過ごす植物にも、調べれば、知らない秘話がある。

2、3か月前に、三浦しをんの小説「愛なき世界」を読んだ。東大の植物教室がモデルで、「リケジョ」の話であるが、中では色々な植物の名が登場していた。シロイヌナズナの名も登場していたかもしれないが、そこいらの記憶は全くない。



2019年4月4日(木)
花見

運動教室の花見である。昨年と同じパターンで、日付も同じになった。
昨年は少し散り始めていたが、今年は満開前である。

昼食は、途中でショッピングセンターに立ち寄って各自好みのものを買い求めたものを食べる。

写真5枚を重ねたパノラマ写真。

帰り途中に別の桜街道に寄る。
桜尽くしの一日になった。



2019年4月3日(水)
春祭り

集落の春の祭りは4月3日と決まっている。
今年も参った。

444段の階段を掃除しながら登る。
お祓いとお神酒。これは例年通り。

例年と異なったのは、町のケーブルテレビが撮影に来たこと。テレビカメラがお参りしたのは初めてであろう。
祠まで登った人数は13名。例年は20名位。これもいつもと異なった。
異なったことがもう一つ。タムシバが咲いていないこと。
いつもはこの時期、周囲の山にはタムシバが白く咲き、遠方からも良く見える。これが今年は全くない。寒くて咲くのが遅いのか。それとも今年は咲かないのか。参詣者の話題の一つになっていた。

余談;タムシバを当地の人はコブシと呼ぶ。いつだったか、正しくはタムシバというのだ、と私が言ったことがあって、それを引き合いにして、「上田さんがいるから、えせ(似非)コブシが・・・」という人がいた。



2019年4月2日(火)   らべる402
改元に伴う初仕事
Kは集落の会計を2回に分けて合計7年担当した。
その後半の時に、会計のソフトを作成して使用した。一度データを入力すると、その値が決算書にまで反映されるという、便利にできたソフトであると思っている。
Kの後任の人がそのまま流用し、さらに会計役が交替したが、そのまま受け継がれ使用されている。
作成当時は改元のことなど頭になく、「平成」の文字を使う場所はそのまま「平成」と、文字そのものを使用して制作していた。

さて先日、年度末の集落常会が開催されたが、その折、現会計役の人が改元に伴うソフトの変更して欲しいといって来られた。
世間では、改元に伴うシステム変更が話題になっているが、これが私にまで影響するとは思いもしなかったわけで、政府が1月前に改元名を決定する正統性を実感したところである。

昨日新たな元号が定まった。思いついてソフトの修正に取り掛かる。
約20枚のシートでできたExcelソフトで、作成時から年月を経ており思い出しながら修正した。
「平成」の文字がかなり使われている。「検索」と「置換」機能を利用して「平成」を「令和」に置き換え、その他の不備の有無を確認し、3時間くらい要して修正した。

作業を終えて一息ついているときに、ふと思い至った。
次の改元の折りは確実に私はいない。一方、ソフトは予想外に受け継がれ、次の改元まで生き延びるかもしれない。その時は誰が修正するのか、ということである。
それなら、複数の改元に耐えるようにしておこう、と再改修を思い立った。
こちらは30分ほどで完了した。


改修したソフトである。


「1年」は「元年」にしたい。これを実行するとエラーになる個所があって、こちらは過日習得した
こちら→(2019/2/12)
「IFERROR」関数で免れた。

少し余談になるが、日付データとして「令和」を使用することは、マイクロソフト社が対応しているという。
Office10以降なら、通常の自動更新で修正されるらしい。
Office7以前はサポート期間が終了していて対応されない。
私のパソコン(Office16)を試してみたが、まだ対応されていなかった。




2019年4月1日(月)
令和
驚くことに小欄は4年目を迎える。有難いことである。

今朝起きたら、外は雪であった。


4月の雪は珍しい。エイプリール・フールにふさわしい天候といえよう。

小欄は政治向きのことは触れない建前であるが、今日の新改元は触れざるを得ない。
テレビのどの局も一斉に取り扱っていた。
政治がらみとは言え、国民の多くが喜ぶ慶事になった。

何事もきっちりと運ぶ感じの現政府は、予定された11時30分には間違いなく発表すると思っていたが、予想外の遅れがあって、その時刻は11時41分であった。


テレビ中継では「天皇の署名(御璽)をいただいてから発表、そのぶん遅れているのでは」と言っていたが、どうもそうではないらしい。
今後、週刊誌などで「遅れた10分の真相」などと騒がれるかもしれない。

新たな元号は「令和」と定まった。悪くはないと思うが、年寄りには「ら行」の発音はし辛い感がないでもない。
ところで、本稿は只今2日の早朝にパソコンで打ち込んでいるのであるが、「れいわ」と入力すると「令和」の文字が独りでに出現する。この間にマイクロソフト社が漢字登録をしたのであろうか?
当方で登録しなければと思っていたので、ちょっと驚いたところである。



Kの散歩帖