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Kの散歩帖
2024年8月31日(土) ラベル831
映画;北のカナリヤたち
今回の北海道旅行の2日目に、礼文島訪れ、映画「北のカナリアたち」のロケ地を見た。
 こちら→(2024/8/16)) 

この「北のカナリアたち」はプライムビデオに載っていることは承知して居て、折角ロケ地を見たのだから、そのロケ地がどんな風に使われているのか、映画を見ることにした。
プライムビデオを探すと有料400円で載っている。
録画の方法はすでに導入済み。 こちら→(2024/7/28)

パソコンで取り込み、そのデータを移動して、テレビでも見られるよう準備した。実施したのは昨日の事、台風で外に出られず、丁度よい折りと思い作業を行った。

映画を観たのは今日のこと。やはり台風の影響で外は雨。Mと2人でみることにした。


東映の創立60周年を記念して撮影された映画らしく、なかなか力作。約2時間の映画であるが、途中一度トイレ休憩で間を置いたが、あとはラストまで集中して観る。
そして最後は、涙腺を刺激されるほどの感動ものであった。

映画「北のカナリアたち」が、あらすじも含めどういうものであるかは、紙面の関係もあって、説明を割愛する。
資料があるので こちら→
参考にしていただければよろしかろう。

ただし、映画を理解するには相当の力量を必要とする。素早い、理解力と判断力、それに記憶力が必要である。
というのは、映画では、現在と回想シーンが相当の頻度で切り替わる。中には、回想シーンの中にまた回想シーンが出てくるという場面もある。
今流れている場面は、現在なのか回想シーンなのかを瞬時に判断し、その意味を理解して、これまでの物語に結びつけていく必要がある。

若い人ならいざ知らず、我々は高齢者。
これらの力がすべて衰えていて、途中で意味が理解できない場面が出てきたりなどする。
幸い今回は、録画したものを見ている。理解できない場面が出た時などは、画面を巻き戻して見直し、ようやく理解をするということも結構あった。

さらにもうひとつ映画を見るにあたっては、冒頭にも書いたように、我々が実際に見た景色が、映画の中で如何に写っているかという興味がある。


まずは校舎。この校舎は映画のために作られたセットと言うが、外観は撮影時のままの姿が保存されている。
そして中に入ると、校舎の骨組みは、おそらく撮影時のままであろうが、置いてある展示物は、もちろん当時のままではない。

映画の中では、生徒と先生がカナリアの歌を練習するシーンが2度あるが、2度とも、「カナリア」の歌詞が後ろの黒板にチョークで書いてある。
そのチョークの文字と、我々が見物した時に見た黒板の歌詞が同じ文字であるかと見比べたが、文字は映画の中とは別の文字で、その後に書き換えられたものになっていた。

映画の中では、校庭にブランコと丸型のジャングルジムのような構造物が出てくるが、今回の旅で見た時の校庭には、ブランコはあるがジャングルジムはない。そして仔細に見比べると、ブランコも映画とは異なるものが別の位置に立っていた。

もちろんこれは致し方ない。今回見たものは歴史遺産ではなく観光施設である。
我々が勝手に当時のまま残っていると空想したのが間違っていた訳である。
それでも校舎がそのままの形で残っていて、映画のシーンを思い出すには、充分の施設となっていた。



2024年8月30日(金) ラベル830
台風10号、当地への影響
この数日、日本中を混乱に陥れている台風10号であるが、本日午後、島根県に最接近した。

ただし、直近の予想図で北側を通れば広島県上空を通る予報で島根県にかなり近づいていたのだが、結果的には、予想図で一番南側を通ることになり四国を通ってくれて、島根県からはかなり離れた位置を通過することになった。


そのために、恐れていた風は全く吹かない。庭木の枝も、大げさに言えば微動だにしない、という状況であった。
唯一の影響は雨で、今日は強弱はあるものの、ほぼ一日中降り続くという状況であった。


特に、午後には比較的強い雨が降り続いて、近くの公民館に設置された雨量計では昨日からの累計で110mmとなっている。
昨日が15mmであるので、今日は95mm降ったと言うことになる。

テレビなどのニュースによれば、台風から遠く離れた関東地方も含め、風雨による被害が出たと報告されているが、以上のように、当地は被害というものは全くないという結果であった。

台風や地震などの災害報道の度に常々思うことであるが、当地はまことに災害が少ない。
気を緩めてはいけないが、有難いことであると思っている。



2024年8月29日(木)
台風10号への備え
今朝、九州に上陸した台風10号は、上陸時は935hPaで「大型」で「非常に強い」と形容されているが、風に乗り遅れて、動きが遅いのだと言う。

台風が発生した当初の予報では、島根県に最接近する時期は水曜日頃であって、実は昨日であった。それが予報の度に遅れて、今日時点の予報では、島根県に最接近するのは明日の午後になるという。

いよいよ襲来ということになるわけで、とりあえず今日の午後台風への備えを行った。


と言っても大したことはない。
物干し竿を横に倒し、台の上に載っている鉢物を地上に下す程度のことである。

九州や東海地方では大雨が降っていると報じられているが、当時の雨を調べてみると、


雨は未明の午前1時頃からポチポチ降り始め、今日一日の累計で15mmである。

乾燥が続いていただけに、今のところは、“良いお湿り”という状態である。



2024年8月28日(水)
「一騒動」の顛末
予期せぬ一騒動であった。
ことの始まりは昨日の午前中である。2週間に一回の図書館に行こうとした。
早朝の外仕事を終え、遅めの朝食をとってのち、9時半ごろの出発である。

運転をし始めて間もなくのこと、時折りお腹が痛いように感じ始めた。車に積んであったペットボトルの水を飲んだりする。

図書館の前に、銀行や郵便局で用事を済ませので、図書館に入った10時半を回った頃であろう。
借りていた本を返却し、新たに借りる本を探していた時である。便意を催し始めた。
はじめは気に留めていなかったが、その意は次第に強くなる。我慢できなくなり、図書館で借りて用を足すと、ひどい下痢であった。

用を済ませて帰宅する。帰宅後Mに、お腹に異常はないかと尋ねたが、Mは何事もないという。

その日はKが昼食当番。
作ったのはマーボー豆腐丼であるが、作りながらも便意を感じて用を足したりなどする。

食欲も少なく、少量の昼食を取って休むことにするが、その間にも便意を感じて用を足すという事態になった。

事態の変化が激しいので、午後3時から再開する近郊のクリニックに行くことにする。行く前に体温を測定すると36.6℃であった。

クリニックに入ると受付の前に赤外線の検温器があり、顔を映して検温すると37.2℃となり異常表示になる。
別室に案内されて受診した。
問診があり、聴診器を当てての診察があり、後に、のみ薬と下痢がひどいときの「とんぷく」が処方されて家に戻った。

戻った後も、外仕事をする気にはなれず、一階のクーラーをつけて、ありきたりの用をする。
そのうちクリニックの受付で体温が高かったことを思い出し、体温を測ってみることにした。
測ると37.2℃ある。


少し間をおいて図ると、温度は次第に上がり、1時間後には37.9℃になる。
7月にコロナに感染した時と同じ値であった。 こちら→(2024/7/23)

事態の急変からして、コロナに再び感染したのではないかと思い始めた。

7月に感染したばかりでと思いもするが、ネットを調べると こちら→
10万人に1人弱、1-3ヶ月で再感染しているという報告もある。

ともかく、用心するに越したことはない。
7月に実施したときと同じように、1階と2階に分かれて生活することにした。
昨日の夕食と今朝の朝食は、Mが作り2階まで運んでくれて食べることになる。

そして今日である。
兎も角コロナの検査を受けることにした。クリニックの開院は朝8時である。
8時直前にクリニックに行き、インターホン経由で検査の申込みをした。
特定の駐車場所が決めてあって、そこで待機となる。
8時20分頃医者が来て、検査となる。「15分後には結果が出ます。結果が陰性なら病院室内に入ってもらいます」と言葉を残して、医者は戻った。

20分程度時間が経った頃携帯が鳴って、「室内に入ってください」という。「コロナではなかったのですね」と念を押すと、「そうでした」と返事が来て、一安心した。

下痢が収まらないことから、炎症反応を測定するための血液検査があったりして、医者が「も少し強い程度の薬を試しますか」と言うが、“コロナで無かったことに安堵して”、「今の薬のままで良いです」と返事をして帰ってきた。

帰宅後は、一度トイレに行くことはあったが、その後は行くことはなく済んでいる。

そして、下痢の原因であるが、医者との会話の中で、怪しいと思われる事項が一つ浮かびあがったが、断定は出来ていない。

ともかく、コロナが原因でなかったことは確定した。
思わぬ一騒動であった。



2024年8月27日(火)
本日休刊
2024年8月26日(月)
稲刈り始まる
稲刈りが始まった。ただし昨日のことである。

昼過ぎのこと、Mが「稲刈りが始まった」と言うので台所をから窓ガラス越しに見ると、大勢の人が集まっていて、稲刈りが始まっていた。
我が家から見える範囲において、集落内では第1号である。


しかも、出動しているコンバインは3台。並走しながら同じ田圃を3台のコンバインで刈っている。こういう光景も珍しい。

ただし、そのまま見続けるわけにもいかず、その場を離れて戻ってきて、午後4時頃確認すると、すっかり稲刈りは完了していて、人影は全く見えなかった。
刈り取られた田圃の数は3枚であった。

昨日の時点では、刈り取られた田圃の写真を撮り忘れていて、今朝になりその様子を写真におさめた。
家の2階からと、ウォーキング時のものである。

異例の暑さが続いているが、それでも朝夕は少し涼しさを感じる時もあり、僅かながら、秋が近づいている気配を感じるのである。

秋本番が待ち遠しい。



2024年8月25日(日)
予定外の草焼き
今日は、自治会主催の防災訓練の日である。
予定では、8時半に防災無線で避難訓練の放送があり、定められた場所に一度集まり、その後公民館に集合して、消防署による救命処置の講演が予定されている。
終了するのは、おそらく10時を過ぎると思われた。

一方、天気予報を見ると、10時からは雨の予報となっている。
さすれば、今日は外仕事はできないな、と思っておよその今日の予定考えた。

講習会は予定通りに終了し、帰宅したのは11時少し前であった。
外は曇っているものの雨は降っていない。
Mは仕事をすると言って外に出た。


私も出ようと思ったが今日はあいにく昼食当番。とりあえず昼食を作ることにした。
天気予報を見ると、10時からの雨が消え、雨が降るのは午後となっている。

昼食をとった後である。
外を見ると雨は降っていない。

Mは再び外に出る。
ならば私も外に出ようと思ったが、今日は外の仕事を計画していない。
外に出るとして何をするのか一瞬迷ったところで、格好の仕事を思いついた。

数日前、2日に渡って母屋前の町道沿いの草刈りをしている。この草の乾燥が進み、焼くには丁度よい。しかも仕事の量も丁度よい。
この草を焼くことにした。

要した時間は1時間半。
雨の予報が外れて、予定外の仕事が完了した。
結局のところ、今日はほとんど雨は降らなかった。



2024年8月24日(土)
枝焼き
大分前から、Mとの間では話題に昇っていた作業であるが、ようやく実行の運びとなった。
枝処理場に置いてある、雑木などの枝の焼却処分である。

周辺が朝露に濡れていて、風も穏やかな、朝早くから始めると言うことで、明るくなった6時頃から作業を開始した。

最近開発した“塩バナナ”でとりあえず作業を始め、途中Mが朝食を作り、現場に持ち運んで食べるという算段である。


前回の実施日を調べてみると、1年半前のことで
 こちら→(2023/3/28)

時間が経っていて量が多く、しかも、溜めた枝の上を“ヤブガラシ”が覆っているという始末もあって、午前中一杯はかかると踏んで作業を始めたが、思いのほか早く、10時頃には作業を終了した。

幸いにして曇りの日で陽は当たらなかったが、それでも暑い。
汗びしょびしょになる。途中で一回着替えたほどである。
この時期に行う作業ではないと、反省した。

今回は枝類がたまり、やむを得ず実施したが、今後は少し早めに夏を除いた時期に行うことにしよう。



2024年8月23日(金)
さだまさし 岬まで
これまでも、小欄に何度か載せてきたように、寝るときには枕元にiPodを置いて寝る。
寝る時から聞くこともあるが、夜中に目が覚めたときに付けることも多い。イヤホンをセットして一人静かに聞くのであるが、聞きながら、いつの間にか寝ているのが常である。

今夜もそうした。
そして丁度2時ころ目が覚めたので、いつものようにiPodをつけてみる。
アンカーの声が聞こえる。今夜は村上里和アナらしい。おっとりとした、耳に優しい口調である。

コーナーの説明が始まって、「今夜は月に一度の、みんなの子育て深夜便」を、お送りしますという。
このコーナーはかつて1・2度聞いた覚えがあるが、視聴者からのリクエストに応えて音楽を流すコーナーで、希望者は、自分の経験した子育てにまつわるるエピソードを添えてかけてほしい曲ををリクエストする。

そして、一番最初に流れた曲が、さだまさしの「岬まで」というもの。
40歳代の女性のリクエストであったと思う。“さだまさし”らしく静かな語りの曲で、岬までゆくなら伝えておくれと呼びかける内容。しみじみと聞き入った。
特に今回、北海道旅行で、宗谷岬とか礼文島のスコトン岬とか、岬と名のつく場所を訪れたこともあって、曲のタイトルの「岬まで」という言葉が、自分にとって共感を覚えた節もないではない。

これまで、さだまさしの歌は数多く聞いているのだが、この「岬まで」という曲ははじめて聞く。
もう一度聞いてみたいと思ったのだが、深夜便において、2時台と3時台は聞き逃しサービスをしていない。したがってきくならええ、他の手段を持って聞くしか無いのである。「岬まで」という単語を記憶にとどめて、またいつの間にか寝に入っていた。

午前中は、外仕事他所用があって、「岬まで」を聞く作業を始めたのは夕方のことである。

ただいま、アマゾンミュージックには入会しておらず、聞くことのできる手段はSpotifyのみ。
 こちら→(2019/8/7)
しかも、昨今は音楽収集から遠ざかっていて、プログラム操作も久しぶりである。
ようやくのことで録音までこぎつけた。


画像をクリックして別の画面を表示すると、
「岬まで」の一部がながれます

歌詞に出てくる、蝦夷富士とは羊蹄山のことらしく、さらに、神威岬の場所を地図で調べると、両者とも北海道の南部に位置している。
我々が旅した、宗谷岬やスコトン岬からは随分離れた場所ではあるが、北海道がテーマになった歌らしい。

北海道旅行の直後に、好みの歌手が歌う北海道をテーマにした歌に出会えて、幸運であったと思った次第であった。



2024年8月22日(木)
大人の絵本 その8 そして、それを参考にして丼
久しぶりに大人の絵本を作成した。
前回が昨年の12月であるから こちら→(2023/12/18)
8ヶ月ぶりのことになる。

今回の元資料も図書館で借りた「暮しの手帖」。
写真は撮って保管していたのだが、本はすでに返却済みで、何号であったか記憶が不鮮明なるも、たしか2024年の初夏号であったと思われる。


記事のタイトルは「大原千鶴さんの夏をしのぐおばんざい」。
大原千鶴さんはKが好む創作料理家の一人であるが、その大原さんが夏向けのメニューを色々と紹介している。
絵本としてページをめくるという目的も無いではないが、むしろレシピ集として作成した感が強い。

そんな次第で、後者の目的でさっそく参考にさせてもらった。

料理のタイトルは「焼き穴子とピーマンの玉子とじ丼」。


材料は、焼き穴子の代わりに穴子の“みりん干し”があったのでそれで代用。ピーマンの代わりにしし唐。そしてホタテの貝柱の干物があったので水に浸してのち追加した。これはアレンジ。
あとは、味付けして煮て、卵とじをするだけ。いたって簡単な料理である。昼食にはもってこい。

穴子という材料はなかなか手に入らないが、他の素材で代用を考えれば手頃な丼である。これからも、ちょくちょく参考にしたいと思ったのであった。



2024年8月21日(水) ラベル821
金婚+2記念 北海道旅行 その8 旅行最終日
北海道金婚記念旅行の最終日になる。日付は8月7日。
前回の記述はこちらになる。 こちら→(2024/8/19)

本日の予定では、出発は7時半となっている。
ただ、目が覚めたのは4時過ぎ。時間があるのでホテルの周りを少し歩いてみた。
ホテルは不思議な構造をしていて、フロントは4階にある。歩いてみるとその理由がよくわかった。

層雲峡温泉郷は深い渓谷沿いある。泊まったホテルは、谷の底の川面に近い面に建っているのだが、傾斜が急なため、道路の走る高さはかなり上部になる。その上部に車をつけてホテルに入るという構造で、したがってフロントが4階になるという経緯であった。


朝食を摂ってのち、当日の最初の目的地に向かう。バスがホテルを出発したのはほぼ7時半であった。

バスは遠くに大雪山系を望みながら進む。北海道の中央部に位置して、形状は盆地。夏は暑く、冬は極寒の土地柄と、ガイドさんが説明していた。

9時半過ぎ、最初の目的地である「ファーム富田」と言う農園に着いた。個人農園で、ラベンダーの花で有名なところらしい。説明では少し時期が過ぎているとのことであったが、それでもなお、目を見張るような色とりどりの光景が広がっていた。

この農園にはおよそ50分滞在して、9時半前バスは最終目的地である、新千歳空港に向かう。

ただし、この間は少々長い。道の駅などでトイレ休憩をとりながらのバス旅となった。
新千歳空港に着いたのは12時50分頃である。

ツアーの旅はここで散会になる。

B

添乗員さんは、それぞれの人が向かう空港ごとに世話をする。仙台空港に向かう便が一番早いらしく、我々には待機するよう指示をして、その人らの世話をしていた。

しばらくして我々のところに帰ってくる。
我々の広島行きは、一番遅い出発組で、15時半の予定。
広島へ向かう便の予約番号が記載してある用紙をもらっていて、その予約番号で搭乗券を入手するのだが、それが人のいるカウンターではなく、自動発券機なのである。
添乗員さんが我々に「経験はあるか」と尋ねたが、「ない」と答えると「手伝ってあげる」と答えてくれた。
発券機に向かい、添乗員さんのアドバイスを受けながら、手続きをする。
K分、M分そして羽田までと広島までの計4枚の搭乗券をようやく入手した。

問題はそれだけではない。手荷物の預けである。
広島で手荷物を預ける時は、窓口に人がいて、荷物を渡すだけでことが済んだが、新千歳空港はこれが自動になっているらしい。
添乗員さんのアドバイスをもらいながら、搭乗券に印刷されたQRコードを受光器にかざしたりなどして、何とか預けることができた。
添乗員さんにお礼を言ってここで別れる。

大元の2人だけの旅に戻った。
出発までには少し時間があり、昼食を取ったり等する。
今回、記事をまとめるにあたって写真を整理してみたら、新千歳空港から羽田へ向かうまでの写真が、新千歳空港のロビーの写真2枚を於いて他に全く無い。いろいろ気ぜわしく、写真を撮る余裕もなかったのであろう。

羽田での飛行機乗り継ぎも慌ただしかった。
国内線乗り継ぎ通路に向かうと、係員がいて、用紙を渡しながら、「搭乗ゲートが変わった。搭乗ゲート番号に従ってひたすら歩き、さらにバスに乗って搭乗ゲートに向かう」と説明がある。
ところどころに、目的ゲートまでの距離が示された掲示板があるのだが、その距離が最初は2キロ近い。まさかと思いつつ歩いたら、それが少しずつ短くなって、どうも確からしい(水平に動くエスカレーター式の歩道が何か所もあり、実距離はそれより短い)。
結果、2Km歩いてバスに乗り最終の搭乗ゲートに辿り着いた。
辿り着いたときは、飛行機の出発時間が迫っている。

飛行機は、予定より約十分遅れて飛び立った。
今回の旅では合計4回飛行機に乗ったことになるが、これまでの3回はすべてMが窓側であった。ところが最後の便はKが窓側になる。
遠慮なく、そのまま窓側に座ることにした。
窓から撮れる外の景色を何枚も写真におさめた。そして幸運なことに、富士山も写真に収めることができた。
飛行機はおよそ1万mの高さを富んでおり、1万mの高さから見下ろす富士山の山頂であった。

そして広島空港に降りる。到着したのは、予定より6分遅れた19時36分であった。

預けた機内荷物を受け取り、駐車しておいた車に戻り、夜道なので注意しながら帰途着く。
自宅に到着した時刻は、初日に示した「タイムライン」で見ると こちら→(2024/8/8)
22時22分となっていた。




2024年8月20日(火)
今どきの白いユリ
今の時期、植えたわけでもないのに、思わぬ所に白い大き目なユリが咲くことがある。
名前はすぐに思い出せなかった。


写真上段の前庭のものは、一昨日1輪咲いているのを確認していたが、今日見ると2輪になっていて、写真下段の花畑の縁に咲いたものは、今日初めて気がついた。しかも2ヶ所で咲いている。

このユリのことを以前小欄に掲載した記憶があって、探してみると3回載せていた。
 こちら→(2016/8/21)
 こちら→(2017/9/1)
 こちら→(2019/9/1)
これで見ると、名前は「シンテッポウユリ」と紹介している。

そして咲く場所は同じ個所であったり、異なる場所に咲いたり、そして株の大きさも大きくなったり小さくなったりしている。

そしてこの数年は記載がない。
咲いていても、記載をしなかったということは考えられるが、この目立つ白い花の存在があれば、記載する気が起きる可能性が強い。さすれば、咲かなかったので記載しなかった、という可能性のほうが大きい気がする。

たまたまの偶然ではあるが、丁度コロナが流行って行った時期は、咲かなかったということになる。

2019年の記事で、植物の戦略について少し触れているが、数年ぶりに咲いたと思われるこのユリの生存戦略はなかなか読み取れない。



2024年8月19日(月) ラベル819
金婚+2記念 北海道旅行 その7 旅行3日目
一連の、北海道旅行の話である。前回は こちら→(2024/8/17)
利尻島の旅館に泊まった翌朝である。

朝6時発でバスに乗り利尻山の3合目まで行ってくると言う、希望者のみのイベントがあったが、Mは参加したものの、Kは足が痛くこちらへの参加は取りやめた。
その代わりに、旅館の前の道を、杖をつきながら少し散歩をする。現在地の状況は分からないまま、下り方向に歩き始めてみる。10分後海岸に出た。小さな船が漁をしている様子も目に入る。長居せずUターンして旅館に戻る。
イベント参加組も戻って朝食になる。今朝も海鮮中心の朝食。これも誠に美味であった。


朝食をとってのち、まもなくバスが迎えに来た。やはり宗谷バス。
バスに乗って鷲泊港へ向かう。予定の時間表によれば、8時55分に港発で、稚内港には10時35分着の便。
今回のツアーでは3回目のそして最後のフェリーになる。それぞれに最後の船旅を味わった。



稚内港のターミナルを出ると、そこにはやはり、赤い宗谷バスが待っていた。
このバスは、今日と明日、終点の新千歳空港まで同じバスのはずである。

バスに乗り込み、バスが出発したのは11時頃。今日目指す場所は宗谷岬と北海道のほぼ中心に位置する層雲峡温泉である。
バスには運行予定の路線が表示してあり、今日の工程にはピンクの色が塗ってあった。

途中、大地が大きくえぐられた場所があって、ガイドさんの説明によると、これは氷河が流れた跡であるという。かつて大昔、北海道には氷河があってその痕跡らしい。
たまに、エゾシカが見られることもある。

30分ほどバスに乗って、今日の最初の目的地に到着した。
宗谷岬である。着いたのは11時半過ぎ。
この宗谷岬も、かつて娘と旅行した2人旅 こちら→(2024/8/12)
で訪れた場所であり、今回の旅行においても、ぜひ訪れたい、望みの場所であった。

24年前の記憶をたどりながら歩く。当時と比べ、変わったものもあり、変わらないものもある。
見える風景はかなり整備され、観光地らしい体裁が増えている。
一方24年前の時は、ダ・カーポの「宗谷岬」の歌がスピーカーで繰り返し放送され、宗谷岬に来たのだなと言う感慨を呼び醒ましてくれたが、今回はそれがない。ちょっと寂しい気がしたりなどした。
(「ふたり旅」における、宗谷岬を訪れた時の内容は、同上、PDFの19ページに記載)
宗谷岬を離れたのは12時10分頃であった。

その後バスに乗り、ホタテの養殖に成功したという猿払村という場所を訪れ、そこで昼食となった。「ほたてづくし」の昼食である。ホタテは美味しかったが、それを説明する人のセリフが長すぎて少々うんざりした。

昼食を食べ終わって出発したのが13時30分頃。
それから延々4時間半のバスの旅である。
今日最後の目的地、層雲峡温泉郷に入る。18時頃のことであった

この「郷」にはあちこちに滝が見える。30分程度散策して、「流星の滝」と呼ばれる場所で記念撮影。参加者全員が写った、たった1枚の写真である。

そしてホテル。
このホテルがあまり良くない。中国人らしき人を含めて多くの外国人客がいる。日本人客の数倍と思われる人数である。
そして騒々しい。
かつて、日本が伸び盛りの頃、農協の団体さんが外国を訪れ顰蹙(ひんしゅく)を買った時期があったが、まさにそれと同様なのであろう。
そして料理も。
量は多いが、味がよくない。もったいないと思いつつも、多くの料理を残してしまった。

そんなこんな、諸々の出来事を踏まえて、3日目の旅を終えたということになる。
案内書によれば、当日のバス走行距離は315Kmであったという。



2024年8月18日(日) ラベル818
塩バナナ
NHKの番組で「新日本風土記」というのがあり、毎週録画をかけて暇な折り見る。
日本で見られる各地の慣習というようなものを取り上げる番組で、たまに永久保存用に消去防止の鍵をかけることはあるが、たいていは、見終われば消去をする、という番組である。

今回のものも、7月に放送されたもので、副題は「おやつの話」。
宮大工の棟梁の下で働く人々の「おやつ」を取り上げたり、田植えの折りの”よもぎ”だけで作った「おやつ」を取り上げたりなどした。

その中にあって、Kが今回ヒントをもらった話題は、建設現場で出されている「おやつ」のことである。

建設現場の環境は苛酷である。その建設現場で出される「おやつ」に“塩バナナ”があるという。
バナナの皮をむき、それに塩をかけて食べるというもの。
スポーツ選手などがエネルギー補給にバナナを食べるという話はたまに聞くが、塩をかけてバナナを食べるという話は初めて聞いた。
バナナにはカリュウムが含まれていて、それに塩かけてナトリウムを補給すると、栄養のバランスがとれて塩梅が良いらしい。
特に汗をかく建設現場などでは、もってこいの「おやつ」なるという。

その時は“なるほど”と思ったりもしたが、番組を消去してしまった後のことである。
これは我が生活にも利用できると思いついた。

朝の草刈りどき時に、である。
昨今はひどく暑い。草刈りはできるだけ朝早くに行いたい。
一方、朝食はMがいつも用意してくれる。その朝食の時間は7時を過ぎることが多い。朝食を摂ってのち草刈りに出ると、その時間は8時、9時になることもある。

さりながら、朝食を取らずに草刈りに出るのも、身に及ぶ危険も予想され問題がある。

そんな時のピンチヒッターとして思いついたのが「塩バナナ」であった。
先日街に出たついでにバナナを買い求め、冷蔵庫に保存しておいて試みた次第である。

実行したのは一昨日(16日)。


少し早目ではあるが、作業を始めた「秋じまい」の現場である。 こちら→(2024/8/13)

14日にも作業をしていて、この地域の草刈りは3日目である。

7時前から「塩バナナ」を食べ始めた。
塩のかけようがわからず、大目にかかった部分は塩辛い。“濃いめのパラパラ”程度が良いらしい。

食べ終えてすぐ作業に出た。
7時から刈り初め、9時前には刈り終えた。
普段なら作業に出る頃である。

Mには、朝食は食べて置いて良いと言ってでかけていて、作業を終え戻ってから一人で食べた。
その後、もう一度番組を見たいと思ったのだが、もはや消去して消えていた。



2024年8月17日(土) ラベル817
金婚+2記念 北海道旅行 その6 旅行2日目午後

昨日の続きである。

昼食後、フェリーで利尻島に向かう。

礼文島の香深港を出発したのが1250分。利尻島の沓形港に到着したのが1330分。40分の船旅である。

昨日乗った稚内へ向かうバスの中で、バスガイドさんが説明するには、この島巡りの航路は荒れることが多いという。したがって船酔いが出る。船酔い防止のためには、防止の薬もあるが、簡単なのは「リポビタンD」が良いと言う。用心のため、コンビニで買っておくのが良いと勧めていた。

ただ今日は、有難いことに波は静か。穏やかな船旅になった。


Mは客室で、はがきに絵を描いたりなどしている。
外に出てみると利尻島が見え、頂きは雲に覆われている。ただその雲は船が港に近づくにつれだんだん薄くなり、港に入る頃にはほとんど消えていた。

船を降りて外に出ると、やはり「宗谷バス」が待っていた。このバスの色は赤色。目立つ色で、探し出すには都合がよい。

13時40分頃、バスが走り始めると、新しいバスガイドさんが案内を始める。その口調に、独特の節回しがあって面白い。若干講談調に似た節回しであった。

最初の目的地に向かう途中のこと、バスがスピードを遅くする。ガイドさんの説明では、海岸沿いの眼下に奇岩が見えるという。熊が寝そべった形の「寝熊の岩」と「人面岩」。
とりあえず、立ちあがって写真に収めておいた。

最初の目的地、「仙法志御崎公園」には14時ころ着いた。
海岸沿いに奇岩が多数見え、また利尻山の山麓がきれいに見えるところという。
トドが一匹放し飼いにされて見ることができ、また近場では利尻昆布が干されているところもあった。


次いで訪れたのが「オタトマリ沼」。沼越に利尻山の山頂が見える所。
仙法志御崎公園では雲に覆われていた山頂が、このときはくっきりと見える。今回の旅の最優先事項が達成され、大いに安堵した。
この場所には、碑が建っていて、平成30年8月に平成天皇と皇后がこの場所を訪れておられるという。

バスガイドさんの説明によると、摩周湖が霧に覆われて湖面が見えない確率と、利尻山の山頂が雲に覆われ見えない確率を比べると、利尻山の山頂が見えない確率が多いらしい。それが見えたのだから“すごい”とガイドさんは言っていた。

最後に訪れたのが「姫沼」。周囲700Mほどの湧水を堰止めた人造湖という。外周には木道が設置されており、この木道の上を20分あまり歩いて帰ってきた。

2日目の夜はそのまま利尻島で迎える。泊まった宿は「ひなげし館」という旅館。
到着したのは17時ころ。

ここで出された夕食が「利尻海鮮膳」。まことに美味
今回のツアーでは3回夕食が提供されたが、3回の内では、この夜の夕食が最も美味であった。



2024年8月16日(金) ラベル816
金婚+2記念 北海道旅行 その5 旅行2日目午前
前回 こちら→(2024/8/14)
の続きである。

日付は、8月5日。
今日から明日にかけ、島巡りの旅である。

朝は早く、4時に起床。5時から朝食、5時半に集合である。
ホテル前にはバスが迎えに来ている。やはり「宗谷バス」。ホテルが二つ分かれていて、我々が寝泊まりしたホテルを最初に出発し、ついでもう一つのホテルに行き、全員集合してフェリーターミナルに向かった。

ここから、稚内→礼文島、礼文島→利尻島、利尻島→稚内、と3回フェリーに乗る。
その3回分の乗船券を渡された。「なくさないように」との注意付きである。

船室は一等と二等に分かれている。
我々は記念旅行なので、少し贅沢して一等で予約した。二等は席が決まっていないので急いで乗船する必要があるが、一等は席が決まっている。
しかも乗船の時間は1回あたり2時間前後でかなり長い。余裕を持って船旅を楽しむことができ、一等選択の判断は正解であったと思った次第。


フェリーは予定通り8時半頃、礼文島・香深港に到着した。

ターミナルにはバスが待機していた。やはり「宗谷バス」。
バスはフェリーには乗らないので、島毎に別のバスになる。従って運転手もバスガイドも違う人。
今回の旅では、我々は合計で6回バスに乗ることになったが、それぞれ異なるバスで、運転手(男性)もガイドさん(女性)も異なる人であった。


最初が花散策。
バスの外に出てみると、少々風がありしかも寒い。長袖のシャツの上にベストを着用し、その上に風よけのコートを着て丁度よい程度である。
舗装された山道を、両側に咲いている花の説明を受けながら、30分程度下るコース。下りた先ではバスが待機して待っていた。

次で訪れたのがスコトン岬。
島の北端にある北に突き出た岬である。バスを降りた先に、かなり急な坂を下ってのちに別の広場が待っている様子であったが、足が痛いKは下るのをやめ、Mのみ降りていった。
Kは降りる代わりに、バスが着いた広場の奥に日本での「最北端のトイレ」があり、これを利用したのち写真に収めて、スコトン岬を体験したことにした。

礼文島最後の観光先が、映画、「北のカナリアたち」のロケ地。ロケ地をそのまま保存し公園として開設した観光地である。
2012年に、吉永小百合さんが主演で撮られた映画というが、校舎なども映画用にセットとしてで作られたものが、そのままの形で保存されている。
映画の名前は承知しているが、まだ見てはいない。以前アマゾンプライムに載っているのは見たことがあり、近く、これを機に見てみようかとも思っている。

礼文島最後のイベントがフェリーターミナルに戻っての昼食である。
ツアーパック標準での昼食メニューは「ほっけチャンチャン焼きと鮭いくら親子丼」なのであるが、初日新千歳から稚内に向かうバスの中で案内があり、4000円の追加料金で「うに丼」に変えることができるという。
うに丼は食べてみたいが、それにしても1食4000円の追加は痛い。
とりあえず、1食のみ変更することにして、半分ずつ食べてみることにした。

その結果であるが、標準メニューの「鮭いくら丼」もおいしく、もちろん「うに丼」も美味しかったが、Kの舌では4000円の追加分の違いを味わい分けることはできなかった。
ついでに言えば、「うに丼」には「ほっけチャンチャン焼き」は付いていない。

昼食後は、再度フェリーに乗り利尻島に渡ることになるが、これの詳報は次回に回す。



2024年8月15日(木)
一時だが 干天の慈雨
午後3時過ぎのこと、1階に仮設置のノートパソコンで写真の整理をしていたら、Mが「雨ではない?」という。
外を伺うと暗くなってていて、雨らしい。
そのうち、強い雨が降り始めた。

Mが、「雨が降り込んでいない?」と続ける。
2人で2階に上がってみたら、もはやびしょびしょに濡れていた。

たまたま近くに干した雑巾がぶら下がっていて、その雑巾で吹き込んだ雨をMが拭き始めてくれる。
それをいいことに自分は、久々の雨の写真を撮ったり、パソコンで雨雲の状態を確認したりなどした。


小さいながらも強い雨雲が八色石の上空を覆っている。雨はほどなく、30分弱の時間でやんだ。

後刻、直線距離で1Km離れた公民館に設置してある県の雨量計を確認すると、合計で6mmの雨が、合わせて20分の間に降っていた。

久々の雨である。
いつからの雨であろうかと、備忘録を繰ってみると、7月25日の日付で「曇り一時雨」の記載がある。

公式記録ではないので正確さを欠くが、「干天の慈雨」であることは間違いない。



2024年8月14日(水) ラベル814
金婚+2記念 北海道旅行 その4 旅行初日
北海道旅行の話である。
前回は こちら→(2024/8/12)

前置きが長すぎたが、旅行の詳報を記述することにする。
大まかな旅程は第1回に記した。 こちら→(2024/8/8)
今回は、その初日8月4日の内容である。
我が家を立って、北海道の北端、稚内にたどり着くまでである。

案内状によれば、広島空港7時集合となっているので、安全を見て、我が家を4時前に出発した。
空港にはほぼ6時に到着する。
今回のツアーパックの主催会社は阪急交通社。国際線出発ロビーに受付カウンターが設置してあるとのことで、探しながら出向く。そこで当日の搭乗券を受け取った。
説明によれば、広島からの参加者は5名とのこと。そしてツアーの全参加者は33名と言う。

添乗員が待機しているのは新千歳空港。そこまでは独自でたどり着く必要がある。
羽田で乗り継いでの飛行機の旅であった。


広島空港の内部に入るのは、息子が盛岡局に勤めていた折り、2005年に仙台空港まで飛行機に乗って以来の、ほぼ20年振り。
ましてや、羽田空港の内部に入るのは、1975年に、購入設備の操作法マスターでスイスに出向いた以来、ほぼ50年振りの事である(当時は成田がまだなく、国際線も羽田であった)。

久々のことで戸惑うことも多かった。

予定は、広島発7時35分、羽田着9時。羽田発11時、新千歳着12時35分。
羽田にはほぼ予定通りに到着したが、羽田での出発が遅れて、新千歳空港には予定より約30分遅れで到着した。
新千歳空港では添乗員さんが旗を持って待っていてくれた。


我々の到着が最後であったらしく、案内されたロビーでは、すでに他の旅行者は待っていた。
案内されてバスに乗る。バス会社は宗谷バスと言う。

バスが出発したのは13時半頃であった。


向かうは北端の街、稚内。案内書によれば370Kmのバスの旅である。途中までは高速道、後半は一般道の旅。1〜1.5時間前間隔でトイレ休憩を取りながら、稚内に着いたのは19時半頃であった。

途中トイレ休憩で立ち寄った道の駅のすぐ脇に、番屋と呼ぶニシン漁時の網元の家がある。かつてニシン漁の時には2・3百人の男衆がこの建物の中で寝起きしたのだという。

北限に近づくと、風が強いらしく、あちこちに発電用の風車が立っている。スマホで現在地の気温を見たら、19から17度。島根に比べると10度以上は低い。

ホテルに入ってすぐに夕食となった。「毛ガニ」や「たこしゃぶ」、そして宗谷牛の鉄板焼きなど。美味しくはあったが、量が少なめで、物足りなさを感じたりなどする。

食事後、ホテルから歩いて5・6分という稚内駅を訪ねてみた。夜の21時頃である。
外は涼しいというよりは寒いほど。
Mは別の目的があったらしいが、Kは以前娘と2人旅をした時、2人で並んで写真を撮った鉄路の北端を訪ねることである。

建物の中に入るが、どうも様子がはっきりしない。分からないまま写真を撮って帰ってきた。
旅を終え自宅に戻って調べてみると、稚内駅は平成22年(2011年)に商業施設と合併した新たな建物に移ったのだという。
これに伴い、北端は南側に100mほどずれたらしい。
この説明を読んで、判らないまま撮ったそれぞれの写真の意味が、ようやく理解できた。

ホテルに戻ったのは22時頃。
次のの朝は早い。すぐに寝ることにした。



2024年8月13日(火) ラベル813
秋じまい 開始
時期としては少し早いのだが、今年の「秋じまい」を開始することにした。
実は、一昨日の出来事で、作業をした場所は「勧ヶ原」である。

北海道旅行をはじめ他用が重なって、他の場所で草が伸びすぎた場所がないではないが、今の時期に草刈りをすると、草刈り後にまた草が伸び、「秋じまい」にならない。
その点、この「勧ヶ原」は裏山の一番奥に位置していて、草刈り後にまた草が伸びてもさほど気にはならない。
例年ならこの場所は、「秋じまい」の一番最後に、もし時間に余裕があれば刈ることにする場所であるが、今年は方針を変えて、「秋じまい」の一番最初に行うことにした、と言う経緯である。


作業を始めたのは9時頃。
決して早い時間ではないが、この場所は両側に高い木が茂っていて、その時間になってもまだ日陰の場所が多い。

草刈りを終えたのが11時頃。
その時間になって、ようやく陽が差し始めた。

山あいなので、刈ったあとの草は、火事が心配されて焼くわけには行かない。
後日集めて、一か所にに運び、積み上げて腐るのを待つという算段である。



2024年8月12日(月) ラベル812
金婚+2記念 北海道旅行 その3 もう一つ別の北海道旅行
今回行った北海道旅行に関係する。
 前回は こちら→(2024/8/9)
 そして第1回は こちら→(2024/8/8)

その第1回記事において「利尻・礼文島を選ぶにあたってはKの意思が強めに働いた」と記述しているが、そのことについて触れてみようと思う。

実は、Kは以前、北海道旅行を一度経験しているのである。
ずいぶん昔の話で平成12年(2000年)、24年前のことで、神岡で在勤中の出来事である。
娘と2人で、車で北海道旅行を行った。
5月の連休のことで、当時娘は京都に住んでいて、神岡で一度合流して出発した7日間に渡る北海道旅行であった。

その折、旅の経過を一冊の冊子にまとめた。
配布先はわが家族が対象の、印刷数限定4部の冊子である。


神岡を車で出発し、東北自動車道を北に向かい、フェリーで北海道に渡って、さらに北に向かって日本海沿いを走り宗谷岬まで行って戻ってきたという旅の顛末を記載した。

この時強く残っている光景があって、それは最果ての海沿いを走っていたおり、遠くに雪をかぶったに利尻山を見た記憶である。

この光景は冊子の写真集にも載せていて、この利尻山の山頂を間近かに見てみたい、と思ったのが今回の旅で利尻を選んだ理由であった。

そんな経緯を踏まえて完成した、今回の記念旅行でであった。



補足;先の冊子についてもう少し触れてみる。

その冊子の「あとがき」にも書いているのだが、それまでKは文章表現をExcelで行っていて、初めてWordに挑戦した、ある意味では記念すべき出来事であった。
先にも記した通り、発行数4部で印刷し、作業を完了しているのだが、原文のWordが一連のパソコン資料に残っているはずである。探し出してみることにした。
24年前の作成で、探し出すに少々時間を要したが、ようやく探し出した。
ただしWord原文ではなくPDFに変換したファイルの形で残っていた。

折角の機会なので、ここに紹介して見る。  こちら→

ただし原文では娘の名前が実名で出ており、写真集には顔が写っている。
そのまま出すわけにはゆかないので編集を行った。娘の名前の個所は「〇〇子」に置き換え、顔の部分は覆いをかけた。
PDFファイルでは編集ができないので、一度Wordに戻し(初めての経験で、苦労した。最終的には、Adobe Acrobat Proの体験版(無料1週間)を利用した。)、編集後に再度PDF化している。



2024年8月11日(日)
散水装置を設置
北海道旅行から帰ってみると、当地は雨の降らない猛暑が続いていた模様で、周辺はカラカラに乾いている。
特に、Mが管理する畑の野菜類や、今年6月に移植した裏庭の野芝の株などが、水不足で枯れそうな気配である。
慌てて散水ホースを設置することにした。

とりあえずの処置は帰宅した翌日に実施したのだが、接続部品が不足し、それらの部品を慌ててアマゾンに発注し、それが届いて、今日ようやく完成である。


表庭と裏庭はホースは共用。
それぞれの水道の蛇口にワンタッチ用の治具を取り付け、ワンタッチで取り付け取り外しができるようにした。ホースは一式持ち運ぶことになる。

一方、畑用は別のものを用意した。
母屋の横にある水道の蛇口にホースを取り付け、その先端部分を野菜畑と花畑に振り分ける格好である。

これで一大事は避けられようが、とても雨が降ったほどの効果は期待できない。
そろそろ、一雨欲しい所である。



2024年8月10日(土)
自治会主催の夏祭り
自治会主催の盆踊り兼夏祭りが開催されたので、参加した。
コロナの時期は中止されていて、案内状にもある通り久々の開催である。4・5年ぶりの開催と思われる。


旅行後のバタバタもあって、若干疲労気味。
参加には億劫な気分を伴ったが、義理もあり参加せざるをえないと思い行くことにした。

そんな次第で、早めに行って、早めに帰ろうと会場に到着したのは丁度6時半。開催のアナウンスがなされた時期である。


到着した時は、人影はまばらであったが、そのうち参加者も増え、主催者発表ではおよそ100名の参加があったらしい。

案内状には、飲み物は有料、食べ物は無料とあり、その気で参加したが、「花代」要請のアナウンスがありそれに応えると、食べ物無料では元がとれなかった。

そのうち、地域別に分かれた、盆踊りが行われたりなどする。
最初は1時間もすれば帰るつもりで参加したのだが、酔うにつれ時間を忘れたりなどして、結局最後のビンゴゲームまで居残ることになった。

ビンゴゲームでは、Mはかなり早い時期に「ビンゴ」になり景品をもらう。
景品は表面がカバーされていて中身はわからない。Mは少し大きめの重量のある箱を選んでもらってきた。
Kはなかなか「ビンゴ」にならず、もはやダメかと思われる頃に成立し、景品をもらった。小さめの箱を選んでもらって帰る。

帰宅後景品の箱を開けてみると、Mのものは「午後の紅茶」のペットボトル詰め合わせ9本セット。Kのものは「ミニハンディファン」であった。

ビンゴでもらった景品まで含めると、「花代」での投資は、充分元がとれるものであった。



2024年8月9日(金) ラベル809
金婚+2記念 北海道旅行 その2 2日前に怪我
昨日記載した北海道旅行に関係する話である。
 こちら→(2024/8/8)

ただいま、薪割りの最中なのであるが、  こちら→(2024/7/29)
その後作業は進んでいて、できれば出発前には薪割り作業を全て終わらせ、関連の設備を撤収してのち旅行に出かけたいと思っていた。

出発2日前の8月2日、金曜日のことである。
今日と明日、2日かければ薪割り作業は終わると踏んで、午前中早い時間から薪割り作業に着手した。
開始後1時間程度だったとき、太めの薪材を機械に乗せ、半割りしたときである。
普段なら、少し引っ掛かりができて、割れた材料はすぐには落ちないのだが、このときは綺麗に割れて半割りされた薪材がすぐに割れて落ちた。瞬間足を引っ込めたつもりだが運悪くそのまま右足の甲の上に落ちたのである。

しばらくは様子を見ながら作業を続けたが、どうも痛みが強い。
もしや骨でも折れていたら旅行に差し支える。
もはや薪割りどころではない。近くのクリニックへ行って診察を受けることにした。

レントゲン写真を撮ってもらった。整形外科の先生が不在で内科の先生が担当である。
「専門ではないのではっきりとは言いかねるが、大方骨は折れていないと思われる。痛むようなら、月曜日に再度来てほしい」とのこと。
旅行に出かけたい旨伝えると、「痛み止めの頓服を出しましょう」と言って処方していただくことになった。

クリニックに出かける前、骨でも折れていたら旅行はキャンセルかと思い、事の次第をMに伝えると、Mは1人でも旅行に出かけると言う。
これまでの苦労を考えると、心が痛んだが、Mの覚悟を聞いて少し気分が楽になった。

ともかく、骨は折れていないらしい。準備を整えて、自分も旅行に出かけることにした。


準備した一つが杖である。
裏木戸の隅に長年使っていない杖がある。
持ち出してきて伸縮させようとしたが固くて動かない。小1時間かけてようやく伸縮できるようになった。

飛行機に乗る際、杖は凶器とみなされて機内には持ち込めないであろう。預ける荷物に固定して持ち込むことにした。

道内での移動はバスである。バスにはこの杖を持ち込んだ。
そして、あちこちの見学時には杖をついて歩いた。

結果として、計画された全行程をすべて完結することができた。
昨日の結びに「安堵している」と記載したが、今回記載したような事情も含んでいるのである。


補足;帰宅後の昨日、痛み未だが続くので、診察医が整形外科の先生であることを確認して後、再度クリニックに行ってきた。
医者の曰く「骨に異常はありません」とのこと。「靴を履くと特に痛い」と訴えっると「サンダルでも履いて、過ごしてください」と、笑いながら返事が返った。



2024年8月8日(木) ラベル808
金婚+2記念 北海道旅行 その1 プロローグ
我々KとMの結婚は昭和47年(1972年)秋のことで、今年は結婚52年目にあたる。
50年目にあたる一昨年は、いまだコロナ禍の中にあり、それが解けた昨年は義母の死亡などもあって記念旅行には至らなかった。

さて今年。Kは傘寿。
2人揃って出かけるのはもはや今年が最後かもと思い立ち、記念旅行をすることにした。

旅行先は北端の島、利尻・礼文が中心の北海道旅行。
8月4〜7日のツアーパック旅行である。

利尻・礼文島を選ぶにあたってはKの意思が強めに働いたが、その他の、手続きをはじめ諸々の業務はMが中心になって作業をした。

旅行内容のすべてを自分たちで立案するのはもはや無理と判断し、ツアーパック旅行で行うことにした。
動き始めたのは6月頃からであるが、この度ようやく実現し、無事に行ってきたことになる。


上の写真はGoogleマップの「タイムライン」という機能。
出かける前から準備したわけではないが、帰宅後、調べてみると、この機能が使えそう。
表示させてみると見事に一日ごとの行動が図示された。

一日ごとの詳細内容は、折を見つつ、後日小欄に載せる予定ではいる。

「牛にひかれて善光寺参り」ではないが、「Mにひかれた北海道旅」、無事に完結して安堵している。



2024年8月3日(土)
本日休刊
義母が亡くなったのが昨年の 今日 こちら→(2023/8/3)
実家で、一周忌のの法要が営まれ参加しました。

主だって、取り仕切ったのは、Mの妹。島根と広島を、ほぼ半分ずつ住み分けています。

無理せず集まれる人のみ参加の、内輪の法要となりました。


補足; 本件とは無関係の出来事ですが、所用が出来、明日から数日休刊します。



2024年8月2日(金)
観天望気
朝6時過ぎ、2階自室から見た風景である。
山あいに霧が昇っている。
夏の時期しばしば目にする光景であるが、こういう日は、概して好天が多い。

今日も晴れの良い天気、のように思われた。


そして一日を終えたその結果である。
観天望気通りに、ほぼ一日中雲の少ない天気。

しかも暑かった。
30度を超える時間が、朝の9時頃から夕方の6時頃まで。9時間も続く。

あと1ヶ月、この状態が続くかと思えば、少々うんざりではある。



2024年8月1日(木) ラベル801
映画;土を喰らう十二ヵ月
先日、息子が撮った内村航平の着地映像の話の中で こちら→(2024/7/28)

「iTop Screen Recorder」という録画ソフトを再購入しているのだが、その購入理由として、「理由はほかにもあるのだが」と記述している個所がある。
この、「ほかの理由」にあたる話題が、今日の話のことであった。

Kが昨今映画を観る場合は、NHKで放送される番組を録画をかけて観るか、あるいは、目的のタイトルがある場合は、アマゾンのプライムビデオで検索をかけて観るのがほぼ慣例である。

そのプライムビデオで、1年以上探している映画があって、これまでは探す度に見つけることができず、「まだ出ないか」と失望していた映画である。

その失望を繰り返していた映画が、内村用に録画ソフトを買うか否か迷っていたその日に、プライムビデオを探したら出てきたのであった。


映画のタイトルは「土を喰らう十二ヵ月」。


映画には台本の母体になったエッセイ集があって、著者は水上勉。エッセイのタイトルは「土を喰らう日日 わが精進12ヶ月」という。

映画が公開される以前に購入していて、映画を見終えてから書棚にしまおうと、今でも机の横に積んである。
エッセイ集を覆う紙表紙は、映画の宣伝になっていて、全国公開は11月11日とある。この11月11日は2022年のことで、映画を見ることが叶わず2年近く机の脇に積んであったと言う経緯がある。

その、待ちわびた映画がプライムビデオに表示されたのであった。
ただし有料、買い取れば2500円、レンタルなら407円であるが、視聴時間は48時間である。

映画は購入せず、レンタルで視聴することにし、視聴可能な48時間以内に、録画ソフトを更新して録画をかければよい、という判断になったわけであった。


録画が済んでいるので、もはや視聴時間に制限はない。
昨日と今日、午後の暑い時期に2回に分けて映画を見た。
期待値が大きかっただけに、見終えた感想は、100%充分とは行かなかったが、それでも写る景色は豊かで、自然の中で悠然と暮らす様は見ていて気持ちのよいものであった。