2023年12月31日(日)
定点観測
年をとると歳月が誠に速く過ぎる。
つい先日師走を迎えたような気がするのに、もはや大晦日である。

小欄では大晦日に掲載する内容は、里庭を写す3枚の定点写真と、当日の温度記録をセットにして載せることに決めている。
昨年の記事に、それらの経緯を載せているので こちら→(2022/12/31)
ここでは割愛する。

今年のものはこちら。


昨年は雪景色であるが、今年は過日降った雪もほとんど消え、雪のない景色になった。
一時寒波があったが、この2,3日は暖かく、最高温度は大方2桁になる。今日も12時過ぎに10℃となり2桁の値を示している。

2016年の大晦日に思いついたこの企画を こちら→(2016/12/31)
中断することなく8回続けることができた。
ありがたいことである。



2023年12月30日(土)
今年の正月飾り
我が家の正月飾りは毎年12月30日に行うことにしている。
Mの方は、この日からぼちぼちおせち料理作りに入り、正月飾りはKの役目になっている。

ざっとではあるが煤払いをし、はたきをかけてのち掃除機で各部屋の掃除をする。
さらに仏壇と神棚の掃除をする。

その後正月飾りである。
正月飾りとして大層なことはしないが、玄関にしめ縄をかけ、神棚の榊を変え、そして神棚と仏壇にそれぞれ鏡餅を飾るというのが恒例になっている。

ただ、今年は少し様子が異なった。
というのは、今年8月に義母が亡くなり、 こちら→(2023/12/2)
形ばかりではあるが、服喪中である、からである。


毎年玄関の軒先にしめ縄を飾ることにしているのだが、今年はそれをやめた。
しめ縄は、これまで毎年Mが作っていて、一方今年は、老人会でKが作ったしめ縄が出来上がっている
 こちら→(2023/12/21)
にも拘らずである。 

そして、神棚と仏壇の鏡餅であるが、こちらは飾ることにした。
先日Mが買い物に出る前、「鏡餅はどうする?」と相談をかけてきて、「全く何もないのはさみしいから飾ろうか」ということになって、買い求めてきたものである。

と言う経緯をへて、午前中をかけて、今年の正月飾りを終えることになった。

蛇足になるが、義母の死による服喪の影響は正月明けにも出ることになって、地域の公民館で開かれる新年互礼会や氏神様への初詣は、今回は行わないことにしている。



2023年12月29日(金)
紙書類情報の整理
紙情報の保管法については以前小欄で触れている。 こちら→(2016/12/4)

今でもこの整理法を踏襲しているのだが、書類が増えて少し入れづらくなってきたので整理をすることにした。
ここ1,2年整理をした記憶がないので、久しぶりの整理と言うことになる。


もちろん作業は左側から始めることになる。
 (注) 左から4,5Cmは空の封筒が保管してあり、これは整理の対象外。

封筒から中身を出して確認するのだが、処分を迷うものも少なくない。
ただし今回は、少々思い切って処分することにした。
作業終了後、処分した袋の枚数を数えたら18枚あった。

要した時間は、約1時間である。

蛇足;2016年の記事には俳句を載せているが、当時1年ほど句作を頑張ってみた時期がある。才能の乏しいことを認識し、今は全くやっていない。



2023年12月28日(木)
鋸の目立て
今月の半ば雑木の剪定をした。 こちら→(2023/12/13)
その折思ったことであるが、鋸の切れ味が悪くなっている。鋸の目立てをしなければならないなと思った次第であった。
今使っている手鋸は目立てができる仕様のもので、4月に買い求めている。 こちら→(2023/4/16)
その後目立てもせず使い続けているわけで、ここらで整備をしなければと思ったわけであった。

ただその後、旅行が入ったり、また寒くなったりで、ついつい延び延びになっていて、若干気にはなりつつも、来春になってからするか、などと思ったりもしていた。

ところが、昨日からの思わぬ陽気である。寒暖計を見ると8℃。
急に思い立って鋸の目立てをすることにした。

目立てにあたっては自分なりに、鋸の固定治具を製作している。
納屋から持ち出してみると、バラシが入っていて、再度組み立てようと思うとその方法がわからない。
昔小欄に載せた記憶があって、こちら→(2020/3/10)
その写真を見直したりなどして、ようやくのことで復元した。


復元にあたっては、少し改良も加えたりなどして小1時間を要した。

ついで、目立て作業。
こちらも久しぶりの作業で、要領を忘れていてなかなかうまくいかない。
30分あまりかけて作業をしたが、結果の程はわからない。
来春使ってみて、切れ味が悪いようなら、再度また目立てをするつもりでいる。



2023年12月27日(水)
2週間ぶりの太陽
久しぶりの太陽である。
調べてみたら、12月13日以来。2週間ぶりのお日様になった。

陽が出たのは11時過ぎからであるが、ウォーキングはまだ雲の多い時間に済ませている。
午後になり、天気の良さにつられて、久しぶりの裏山散歩に出かけてみた。


朝ウォーキングの時は4℃示していた寒暖計が、この時は10℃を示している。

ずいぶん暖かい。
過日40Cmを超えた雪も、ところどころでは既に消え、多いところでも半分以下になっている。
雪の後Mも歩いていないようで、動物の足跡はあっても人跡は無い。
人跡未踏のところへ足を入れるわけで、気分は爽快。里庭の主の特権を行使することになった。

30分あまり歩いて戻ってみると、山水が止まっている。
先日の寒波の時ホースが縮んでつなぎ目が外れ、しかも寒波でホース内の水が凍り、出なくなったものである。
春までは無理かと半ば諦めていたが、今日のこの陽気。
万一と、思いを改めてつなぎ直してみると、ありがたいことに水が出た。

太陽様々である。



2023年12月26日(火)
映画「秋刀魚の味」
小津安二郎監督の映画「秋刀魚の味」を見た。
今日の午後、NHKBSで放送されたのを録画しておいたものである。

録画した映画を当日見るということはあまりないが、今日は夕方少し空き時間があり、夕食を挟んで全てを見終えることになった。


昭和37年に作られた映画で、小津監督の最後の作品と言う。
笠智衆が演ずる父親が、岩下志麻が演ずる娘を嫁に出すというストーリーである(娘は24歳)。
小津調の流れがあり、味わいのある作品であった。

映画に描かれる時代背景も面白かった。
昭和37年といえば、Kは高校2年生。
田舎で、手植えの田植えを手伝って居た頃、東京で一流企業であろうサラリーマン世帯の生活ぶりは、冷蔵庫やゴルフクラブを買い求める話が出たりなど、目を見張る感じである。
高度成長の初期であった。

以後日本では、高度成長そしてバブル時期が続き、その崩壊があり、そして失われた30年へと続く。

我々もその中にまきこまれていく。
Kが東京に出たのは昭和43年、そして結婚したのは昭和47年。
生活の様式も、そして物の考え方も随分と変わってしまった。

小津映画に描かれる昭和の時代が懐かしい。



2023年12月25日(月)
今夜のおかず
Kが夕餉の話を小欄に載せる場合、鍋の話が多いのであるが、たまには違う話も載せてみる。
今回は煮魚。アジの煮物である。
作るのは3回目であるが、前2回は手違いで載せることができなかった。


アジはMが江川沿いの魚屋で買い求めたものが処理後冷凍保存してあり、それを解凍して使う。

レシピは こちら→
煮汁の材料はレシピ通りに作る。
添える野菜はあるもので適当に。前2回は牛蒡があったので添えたが、今回はネギのみ。

あとはレシピに従って煮るだけで、造作は少ない。
それでも出来上がった品は絶妙な味で、かなり美味しい。
Mも美味しいと言う。

アジに限らず他の魚でも、この方法を用いれば美味しくできると思われる。

写真右はカリフラワーの一皿。やはり今夕作ったもの。
初めて作ったレシピである。

レシピは こちら→
味付けは原則レシピ通りであるが、少しアレンジして胡麻だれを少し追加した。
簡単な割には美味しくできたと思っている。



2023年12月24日(日)
薪運び
腕まくりをして最初の薪運びをした時は暑いほどであったが、こちら→(2023/12/9)
それから後寒波が来て雪が降り、焚き付け材を準備して、薪ストーブを使い始めた。

以後5,6日燃やして、薪がなくなってきたので薪運びをした。


今回降った雪は最大で40Cmほどあったのだが、その後消えて、半分程度にまでなっている。
運搬車で運ぶことができるか危ぶんだが、車庫から出して運転してみると問題なく動かすことができた。
運搬車が動かず橇で運ぶに比べると、労力的には随分差があり、大いに喜んだ次第であった。

30分余りで作業を終える。
準備での薪運びと合わせると、今冬2回目の作業である。

一冬にどのくらいの回数薪運びをするのだろうと思い始め、備忘録を開いて昨冬の薪運び回数を数えると6回記録が載っていた。
記録漏れも考えられるので、おそらく一冬に7,8回は運んでいるのであろう。

まだまだ序の口。これから冬本番である。



2023年12月24日(日) ラベル1224
入院・入所の準備、パソコン
過日読み終えた「家で死ぬということ」 こちら→(2023/12/1)
に触発された行為である。

入所には今しばらく時間があるにしても、入院はいつ起きてもおかしくない。そのための準備を始めることにした。
長期入院を仮想した場合、自分にとっての必須アイテムは何であろうかと考えると、最初に思い浮かぶのが本とパソコンである。

まず本を整えた。
ただ、詳細の記述は後日に回すことにする。

ついでパソコンである。
デスクトップのような大きなものは持ち込めないので、持ち込むとするとノートパソコンであるが、今手持ちのノートパソコンには若干不備があるように思われる。
現在の品は、昨年求めたもので、 こちら→(2022/12/4)
デスクトップパソコンの脇で補助的に使うことを前提にして、画面が小さく、しかもテンキーが別置きである。
病院で、メインパソコンとして使用するには少し物足りないように思われるのである。

昨年購入したばかりで、新規に買い求めるのはもったいない気がしないでもないが、購入を前提に調べてみることにした。

購入条件は次とする。
・画面はノートで最大の17.3インチとする。
・画面の鮮やかさを考慮して新品とし、性能的には最上級の、Corei7、メモリー16GB、記憶部はSSDで容量1TBとする。
・裏技的であるが、昨年の購入品に付属するOfficeを転用することとし、Officeなしの製品を求める。裏技を試して、転用ができなければ別途Officeを購入する。

いろいろ調べた結果であるが、最終的に行き着いた製品が次であった。


Officeは付いていない。Officeがつけばこれにプラス2万6千円になる。
本来なら富士通製にしたいのだが、同じ性能で調べると、富士通製ならOfficeなしで22万円、Office付きで25万円となる。

当製品を求めることにした。今回はアマゾン経由でなく、日本HP(ヒューレットパッカード)社からの直接購入である。

数日前製品が到着し、設定作業を始めてた。
この数年何台かパソコンを購入しているがいずれも中古品ばかりで、新品を買ったのは2015年富士通のデスクトップパソコンを買って以来初めてになる。
2015年のことを思い浮かべ設定作業を始めたが、この間に、初期設定の内容も随分変わっていた。

初期値の個人情報を入力したところでパソコン側からいきなり問い合わせが来た。
現在メインで使っているデスクトップパソコンのデータ類が「バックアップ」としてクラウドに保存されている。この「バックアップ」情報を、設定中の新パソコンに反映するかという問い合わせである。

バックアップの詳細は こちら→

デスクトップでバックアップを設定しているのは承知しているが、それはデスクトップ用のためで、新規購入用に転用されるとは思ってもいなかった。
ただ転用されればありがたいので、OKと返事を返すと、当該のパソコンが勝手に設定作業をし始めた。


途中、「順調に進行しています」とコメントが表示されたりして、およそ30分後、表示された画面が写真一番右である。
設定の、およそ8割肩ぐらいが完了していた。

そしてさらに驚いたのは、Officeの最新版がインストールされているのである。
結果として、裏技を使わずとも、Officeがインストールされる形になった。
(ただし、認証は必要で、オンラインでは叶わず、マイクロソフトに電話して認証を取った)

以後残る設定作業を少しずつ行って、今日のところで、ほぼ全て完了というところとなった。


さすがに新規品は、動きが早くてしかも画面が綺麗。
入院時のメインパソコンとしても充分に使えそうである。



2023年12月22日(金)
県内で一番の深雪
昨日からの雪は夜も降ったらしく、朝起きてみると30Cm余り積もっている。
そして、強弱を繰り返しながらではあるが昼間も降り続く。
そして昼の県内版NHKニュースでも、雪の話題がトップであった。


各地の積雪量が報道されるのだが、それで見ると、当地から直線距離で10Km離れた淀原の節積雪が一番多く42Cmと出る。

例年島根県の多雪地域は、赤名であったり奥出雲であったりするのだが、今回はそれらの多雪地帯を抜いて淀原が多いとある。
どうやら今回の雪は、当地を含むこの地域が、県内で一番多く雪が積もっている模様である。

当地に戻ってこの20年余、当地方が一番積もった記憶はこれまでにないので、かなり珍しい出来事と思われた。
これが慣例にならないよう望む次第である。

余談だが、昨日の忘年会が今日でなくてよかった。もし今日なら、確実に中止になるほどの雪である。



2023年12月21日(木) ラベル1221
しめ縄づくりと忘年会
集落老人会の行事である。
しめ縄作りと、合わせて忘年会を行った。

大雪が予報されていて開催が危ぶまれたが、起きて見ると左程でもなく無事の開催となった。
役員は9時に集まり、諸準備。必要な人の迎えなどを行って、10時からの開催となった。

最初にしめ縄作り。
各自、自分用のしめ縄を作る。指導者は会の会長。諸材料一式の準備も当会長である。
ほぼ2時間かけて、全員出来上がる。
最後は記念撮影になった。


ついで忘年会。
弁当は外部から取り寄せたが、とん汁は女性役員ほかの手作りである。

忘年会の会食は、1時間あまり。
食事の後軽スポーツを行う予定であったが、その後も雪が降り続いて、車の屋根には10m以上雪が積もっている。
早めの散会がよかろうと、軽スポーツはせずに終了することにした。

後始末をして帰宅した頃には、積雪は20Cmほどになっていた。

少し余談だが、昨年も同じ、しめ縄作りと忘年会を計画した。
ところが昨年は、当日の朝猛吹雪。急遽会を中止にし、弁当を配って歩いた経緯がある。
今年も会を明日に予定していたら、同じ結果をたどることになったかもしれない。



2023年12月20日(水)
薪小屋の支柱整備
午前中ウォーキングに出た。雨が止んでいたので出たのであるが、帰りの途中からまた雨が降りはじめた。この雨は、明日は雪になるなと思った時、重大なことを思い出した。
薪小屋の支柱のことである。

今年の夏薪小屋の屋根を修理していて、 こちら→(2023/8/23)
その時、工事の邪魔になるので倒壊防止用の支柱を外した。それがまだ戻して無いのである。
戻さねばと思いつつ、ついつい忘れていたのであった。

薪小屋は過去に2度雪の重みで倒れたことがあって、都度修理している。
 こちら→
 こちら→
それ以降は倒壊防止用の支柱をするようになっていて、薪小屋維持のための必須条件なのである。

雨の中ではあるが、支柱を戻す作業をすることにした。


支柱3本のうち1本は残していて、戻すのは2本である。

工事は簡単である。
位置を定め根元を土に埋め、上部を薪小屋の横木に90mmの木ねじを2、3本インパクトレンチで埋め込み、固定するというもの。

ただし作業を始めて問題が起きた。インパクトレンチのバッテリーが弱いのである。
昼食前であっなので、昼食中にバッテリーを充電し、昼食後に再度作業をすることにした。

昼食を取って、再度始めると、なんとかなる。
昼食前後それぞれ30分。合わせて1時間の作業になった。

明日以降、少々大雪が降っても大丈夫のはずである。



2023年12月19日(火)
東寺と観智院
11月に行ってきた大津・京都旅の第6話である。
第5話の記述は こちら→(2023/12/15)

旅の5日目になる。
前日4人で夕食をとった後、奥様は少し疲れたということで自宅に戻られ、ホテルに同宿したのは3人であった。
したがって旅の5日目は3人での行動となる。

朝、ホテルで3人で朝食を取ったのち出かけることにした。行く先は、ホテルから歩いて行ける東寺である。
案内役はM。
事前に勉強をしていて、京都に住む友人よりもむしろ詳しい。
若干迷って人に聞く場面もあったが、ほどなく遠目に五重の塔が見えてきた。


中に入る。
東寺も中に入るのは初めてのことと思われる。
中学生時代、修学旅行で京都にきていて、その折訪ねているかもとアルバムを開いてみたが、写真に残っているのは平安神宮と嵐山。東寺は写っていない。
その後京都を訪ねた折、東寺に来た記憶は無いので、おそらく間違いなく初めてのことと思われる。

当時といえば、京都のシンボルマークとも言える五重塔。そして金堂と講堂。ほぼ一塊になっている。やはり内部は撮影できない。1時間程度かけて参拝し、次の目的地へいくことにした。

次は観智院。東寺から一旦外に出ることになる。
少々疲れ気味で、もういい、という気がしないでもなかったが、入場料が東寺とセットになっていて払い済み。Mはあくまでも行くという。
少々迷って到着した。

はじめて聞く名であるが、東寺別格本山とある。
中には、宮本武蔵が描いた鷲の図や、唐の長安から来たという動物の背に仏様が乗る仏像5体が安置してあるが、やはり撮影はできない。
手元に残った写真は、庭を写した一枚だけであった。

京都駅まで歩いて戻り、友人とはここで別れる。

2時過ぎの新幹線に乗り、我が家に到着したのは午後8時過ぎであった。



2023年12月18日(月)
大人の絵本 その7
今回図書館で借りた本の中での一冊、インド哲学・仏教学者である中村元氏の業績を紹介する冊子である。
中村元氏については、仏教学者であることくらいしか承知していないのだが、本の中を見ると松江市の出身の方らしい。
この関係で松江市の中に中村元記念館という建物があり、この冊子は、中村氏の業績を伝えるため、この記念館が発行したものである。
寄贈本となっているので、記念館が邑南町図書館に寄贈したものと思われる。

冊子の構成が少しユニークである。
通常業績を伝える書物は文字を中心に表現するものが多く、写真が挿入されても僅かなものであるのが一般的である。
ところが、この度の冊子は写真が中心で構成され、文字は付随的である。
まさに絵本的になっている。

内容の一部を紹介すれば次のような形である。


氏の業績を知るということよりも、本の構成方法知るという目的が大きいが、図書館から借りてきたのである。

そしてさっそく絵本づくりである。総ページ数は56頁におよび少し厚め。


前回の絵本作りが今年の3月で、 こちら→(2023/3/15)
その後、もう一冊絵本的なものを作っていて、 こちら→(2023/10/4)
従って、今回の「絵本」は10冊目になる。



2023年12月17日(日)
初積雪
今年の初雪は11月18日であったが、 こちら→(2023/11/18)
このときは薄化粧程度で、それ以降一時、1,2ヶ月季節が戻ったような暖かな日が続いて、そしてようやく今日から厳寒である。
本格的に積雪となった。


朝の積雪が約5Cm。その後も降り続いて午後には10Cm程度になる。

予報では、午後からは雪はやんで曇りとなっていて、そして確かに一時小降りになったので、ウォーキングに出てみたのだが、そのとき目に入った寒暖計を見ると温度はマイナス1℃とかなり寒い。
しかも、雪はやまず、粉雪の降る中を歩いて来ることになった。

昨年の積雪を確認してみると、12月18日に20Cmの大雪と記述している。 こちら→(2022/12/18)
しかも薪ストーブを使い始めたとも。

確かに薪ストーブの時節である。
着火剤や焚き付け材などを準備して、明日から薪ストーブを使おうかと思い始めている。



2023年12月16日(土) ラベル1216
おでんの作り方を少し変えてみた
今年2回目の"おでん"作りである(途中ひょっとしたらもう1回作っているかも?)。
前回は こちら→(2023/10/17)

この数年、Kが作るおでんは手順がほぼ決まっていたのだが、今回はそれを少し変えてみた。
参考にしたのは数日前の「あさイチ」。録画をかけていたので、見直して参考にした。
レシピは こちら→
日本料理の荻野シェフのものである。

ただし、レシピをそっくり真似るのではなく参考にした程度である。


レシピにある牛すじ肉は従来通り鶏肉のまま、昆布と削り節でとるだしもこれまで通り粉末だしである。ただし、「濃いだし」という個所を参考にして、粉末だしの量を従来より少し大目に入れた。
さらに塩気も、「飲んでみて塩辛いくらい」というところを参考にして、これまでのKの味より少し辛めにした。

入れる具材も原則従来通りであるが、味を出す具材を先に入れ、味を吸う具材を後に入れるというところは参考にして、具材の煮込み順は変えてみた。
煮込みの最後の段階で、火を消してしばらく置き、具材に味が染み込む時間を作るのは従来通りの手順である。

味の決め手とシェフが言う生椎茸とトマトは、たまたま生椎茸が榾木に生えていたので取ってきて、そしてトマトは冷凍トマトがあったので、初めての試みとして両方入れてみた。

さらに、
これまでは取り出しやすさと鍋の見栄えを考えて仕切り金具を使っていたのだが、味の伝わりやすさを考慮して、今回は仕切り金具を外して煮込んでみた。


さてその結果である。
驚くほどと言っていいくらい味が変わっていた。誠においしい。
Mの評価もよく、美味しいと言う。

今後のおでん作りの定番にしようと思っている。



2023年12月15日(金) ラベル1215
南禅寺と哲学の道
11月に行ってきた大津・京都旅の第5話である。
第4話の記述は こちら→(2023/12/12)

旅の第4日。
場所を大津から京都に移しての話になる。
京都に住む、Kの高校時代の同級生夫妻に会ってきた。

午後、京都駅で待ち合う。
一旦荷物を預けるため、事前に予約をしてもらっていた駅前の都ホテルへ直行。
少し休んでのち、ホテルのロビーで記念撮影した。
座る場所や、カメラを置く場所が用意してある記念撮影用の場所でのことである。


その後京都観光に出かけた。
行ったのが南禅寺と哲学の道である。

南禅寺は臨済宗の禅寺。訪ねるのは初めてである。


三門に登って京都の街を見下ろしたり、赤レンガでできた水路を見たりなど。
大きなお寺で、参詣には時間がかかる。途中でトイレに行きたくなったのだが、トイレがなかなか見つからず苦労した。

その後、近くにある哲学の道へ行く。


記憶が不鮮明なのだが、結婚前Mと一緒にこの道を歩いたらしい。私が喋ったという言葉まで思い出されて少々難渋した。

その後ホテルに帰り、4人で食事という一日であった。



2023年12月14日(木)
「南西湿地」の草集め
11月29日に草刈りした こちら→(2023/12/29)
「南西湿地」の草集めをした。


29日の記述では「後日また気が向けば草集めをする」としているが、若干ながら思うところがあって草集めをした次第である。

というのは
天気予報を見ると、今日は終日曇りで外作業ができるが、明日からは天気が崩れ、しかも17日の日曜からは雪が降ると言う。
となると、今年の外作業は今日が最後かもしれない。
草集めをせず中途半端な状態で放置するより、片づけた方が気持ちがすっきりする、と考えた訳であった。

作業したのは午前中。
例年は2ヶ所に集めるのだが、今年は湿地側の右半分が集めにくく1ヶ所から2ヶ所に増やして、合計で3ヶ所になった(赤丸部分)。

雪が積もり始めれば秋も終わり。いよいよ「冬籠り」である。


2023年12月13日(水) ラベル1213
雑木の剪定
2日ほど雨模様であったが、今日は抜けるような良い天気。外仕事をすることにした。
行った作業は雑木の剪定である。

枝から伸びる徒長枝など一部切断したところもあるが、主として行ったのは、根元から生える“ひこばえ”の処理。
久しぶりの作業になり、3,4年ぶりのことと思われる。


午後は出かける予定があるので、作業をしたのは午前中のみ。
枝の始末まで含めて3時間を要した。

処理したところを振り返ってみると、根元がすっきりし、颯爽とした風景に見えた。



2023年12月12日(火) ラベル1212
うな重と石山寺
11月に行ってきた大津・京都旅の第4話である。
第3話の記述は こちら→(2023/12/4)

旅の第3日。
今回の旅行の目的の一つでもある、息子のお嫁さんのご両親と一緒に昼食を取るという日である。
前回お会いしたのは孫の七五三の時で、奈良でお会いしていて こちら→(2017/11/27)
6年ぶりの再開になる。

11時過ぎホテルのロビーで待ち合わせ、揃って出かけることになった。
場所は鰻屋。
父上が鰻が好物ということで選ばれたらしい。


(写真掲載の了解を取っていないので、
表示写真は小さめにし、薄いモザイクがかけてある)


食事の後は大津市にある石山寺へ参詣。
石山寺は、平安時代紫式部が参籠し、「源氏物語」を起筆したという寺である。
来年は大河で紫式部が描かれるとされていて、来年は大いに賑わうことになろう。

もみじが丁度見頃の時で、孫はKが今年プレゼントしたスマホのカメラ こちら→(2023/6/7)
で盛んに写真を撮っていた。



2023年12月11日(月)  ラベル1211
日没の一番早い日、どこに沈む
12月に入り、日がずいぶん短くなったと実感する。

一年のうち、日が一番短いのは冬至であるが、日没の時間が一番早くなるのは冬至とは少しずれて、冬至より何日か前である。
この、一年のうちで一番早く日が沈む日、“里庭においては、日は山の何処に、何時ころ沈むのであろうとか”というのがKの若干の関心事であった。

今年12月に入って、今度こそこれを観測しようと思い立っていたわけである。
一方、日が一番早く沈むのは冬至の10日くらい前という認識があって、12月10日前後からは注意しなければならないなという思いもあった。

さて、昨日の10日のことである。
里庭で、日が一番早く沈む日を確認しておこうと思い立った。

日没の時間は、その場所の緯度と経度によって決まり、計算で求めることができる。
随分昔、これを計算したことがあった。 こちら→(2016/12/22)

開いて唖然とした。
当地の日没が一番早い日は、12月5日となっている。
すでに観測日を過ぎていたのである。

今年もだめであったかと思ったが、そのときに思い出した事がある。
何日か前、前庭に立っている時、丁度日が山の陰に沈む場面に立ち合い写真に撮った経緯がある。
この日は何時のことであったろう、この日が5日に近ければ良いのだが、とGoogleフォトを開いてみた。

ありがたいことに、その日は6日のことであった。
1日しか違わない。
「一番早く日が沈んだ日のデータ」と言ってよいものであった。


上段が日没写真、下段が前庭の位置から見たパノラマ写真である。
沈んだのは3時50分頃、位置はパノラマ写真の黄色矢印の部位であった。

次は、夏至の頃の日没が一番遅い場所と時間をこれに重ねようと思っている。



2023年12月10日(日)
保養館の大掃除
12月を迎え、一年を締めくくる行事が増えてくる。
今日は、集落の集会所である保養館の大掃除の日。M共々行ってきた。


参加者の顔ぶれもほぼ決まっていて、今年は15名の参加があった。
建物の内外を掃除するのだが、作業の分担はおのずときまっていて、Kは内側から窓ガラスを拭く役目に当たる。
作業はほぼ1時間で終了した。

昨年は、集落で猪肉のいただきものがあって、最後に猪汁が振る舞われたが、こちら→(2022/12/11)
今年はそれもなく、最後はお菓子とお茶で終了した。

今日も昨日と同様に晴れで暖かな良い天気。
こんなに暖かな年末大掃除も珍しい。



2023年12月9日(土) ラベル1209
薪ストーブの準備
12月に入り、冬支度の極めつけである薪ストーブの準備をした。

今年は例年にない作業もある。
それは煙突の話。
1月末であったか、昨冬の最後の頃である。雪ずり時の振動で煙突の先端が落下したのだが、もはや冬も終わり間近なので修理をせず、そのまま使い続けて冬を終えていたのである。
新たな冬を迎えるにあたりこれを修理した。

2階の窓から身を乗り出す形で煙突の上部を一旦切り離し、屋内に持ち込んで、それに落下した先端部を取り付け、再度取り外した場所に煙突を戻すという作業になる。
一人ではできない作業で、身体が2階から落ちないよう身を引っ張ってもらったり、固定金具を外した煙突を支えてもらったりなど、Mの援助を必要とする。
固定金具の一部不具合を直すなどの作業も加えて、小1時間の作業になった。


あとは薪運び作業。雪のない時期でいつもの通り運搬車で運ぶ。
今日は曇ってはいたがいつになく気温の高い日で、動いているうちに次第に暑くなり、上着を脱ぎ、最後は腕まくりをする始末。
腕まくりをして薪運びをする姿は珍しく思えたので、積み作業の最後にわざわざスマホのカメラをセットしてセルフタイマーで1枚写真を撮ってみた。

余談めくが下屋の写真で、積んだ薪の手前にある薪割り機は着火材を作るために準備したもの。
これも今日納屋から持ち出して、この場所に用意した。

小欄に記載する機会がなかったが、雑木の雪囲いも終わったし、下屋の雪除け用腰壁も設置した。

今日の薪ストーブの準備で、”外で行う冬支度”の大方は終了したと思われる。



2023年12月8日(金) ラベル1208
初氷
朝窓を開けたとき景色が白かったので霜が降っているとは承知してが、9時半過ぎ、ウォーキングで外に出たおり、初めて見つけた。
初氷である。
田圃でコンバインの轍の跡に水が溜まっている個所で、氷が張っていた。


今朝は雲ひとつない快晴の良い天気。陽が当たっている場所の氷は溶けているのだろうが、この個所は山の影でまだ陽が当たらず、解けずに残っていたものである。

これまで小欄に初氷の記載をした記憶はないのであるが、それでも万一と思い探してみたが、やはり載せていなかった。
一方、備忘録も、これも万一と思い検索をかけてみたら、こちらは昨年の12月3日に初氷を記載していた。
丁度山水が止まっていて、山水を受ける手水鉢に氷が張っていた、という記述である。

手持ちのデータが1個のみで、したがって、今年の初氷が早いのか遅いのか比較することができないが、まあ平年並みと言って良いのかもしれない。

今後正確を期すために、この時期に、バケツに水を張った「初氷観測機」を設置することも考えられるが、もはや年齢的に、手遅れのような気がしないでもない。



2023年12月7日(木) ラベル1207
定期健診
3ヶ月に1回の定期健診に行ってきた。
前回は9月7日である。 こちら→(2023/9/7)

主たる目的は、血流とコレステロールを改善する薬をもらい受けることであるが、その他に肝臓、腎臓、脂質(コレステロール)、さらに血糖値の状態を調べる血液検査を受けることもある。

診察室に入ると、これら血液検査に対する結果のコメントが医師から伝えられるのだが、前回に続いて今回も、「すべての項目で全く問題がありません」という趣旨の話であった。

そして私が注目している、γ-GTPの値は59であった。


前回は「ゆるゆるの休肝日体制」と記述しているが、昨今は「無きに等しい休肝日体制」になっていて、それでも59である。

当分は、この「無きに等しい休肝日体制」を維持することにする。
ありがたいことである。



2023年12月6日(水)
四季桜
今年も四季桜が咲いている。


今年は、花の色が鮮やかなような気がしないでもない。

この花については昨年も小欄に記載していて、 こちら→(2022/12/13)
詳しいことは割愛する。

奥に見える茶色い葉はモミジ。
大半の木々が落葉する中にあって、モミジは遅くまで葉をつけていたが、このモミジもかなり散ってきた。

冬間近の気配である。



2023年12月5日(火)
二日にわたる落ち葉処理
以前は、秋の落ち葉かきといえば公孫樹のみであったが、この数年は、メイン通路になる「一の坂」周辺の窪みに溜まった、他の落ち葉も処理することがある。
これらの落ち葉は、公孫樹に比べ繊維が弱いので、来春雪が解け、草が生え始める頃には腐ってなくなるので、放置していても問題はない。
ただ、かなりの落ち葉が折り重なっていて、見栄えとしては良くはない。
雪が積もるまでの、景観維持として行い始めたわけである。

昨日と今日、2日にわたって作業をした。
昨日は草集めをし、今日はその集めた草を焼くという工程である。

最初が「一の坂」。昨日の9時過ぎから。


集めて運搬車に乗せ、腐葉土作成場に運ぶという作業である。
運搬車に2台分。1時間あまりの作業であった。

次はそれ以外の「二の畑」よりの場所。


高いところから低い方へ、ひたすらかき集め、最終的には二の畑まで落とすという作業である。
昼食を挟んで3時まで、2時間余りの作業であった。
午前中の一の坂の作業と合わせて、合計3.5時間である。

そして今日。
昨日は雲ひとつない晴天であったが、今日は一転して曇り。ただし風は全くないので、草焼きには都合がよい。
昨日集めた草を焼くことにした。


作業を始めたのは9時過ぎから。
着火してみると、思ったより燃えが悪い。昨日は好天で乾いていたのだが、夜の冷気で露を持ち、湿気たものと思われる。
当初火点は二つと目論んでいたが、燃えが悪いときの手は、運ぶ工数が増えるが火点を増やすのが要点である。 順次増やして 最終 五つなった。順次巡回して上に落ち葉を乗せ焼くのである。
一つ二つなら手持ち無沙汰であるが、五つもあると忙しいほどになる。
そのうちかき集めた草以外で火点の周辺の落ち葉も焼き、予定外の「二の畑」の落ち葉も、ついでに焼くことになった。

作業は午前中で終わらず午後にも及ぶ。合わせて3.5時間の作業になった。

余談になるが、燃えが悪いときは炎にならず、白煙が上る。
今日は私のほかにMも別の場所で草焼きをして、その煙も上る。
合わせて六つの火点の煙が上り、あたり一面白煙だらけという状態になった。


長年草焼きをしているが、これほどの白煙を登らせたのは、これまでに初めてのことかもしれない。



2023年12月4日(月) ラベル1204
比叡山延暦寺と坂本
先月行った大津・京都旅の第3話である。
第2話の記述は こちら→(2023/11/30)

滋賀県といえば、なんといっても琵琶湖と比叡山。
その比叡山延暦寺と坂本に行ってきた。坂本とは延暦寺の門前町といってもよい琵琶湖沿いの町である。
行ったのは11月24日。旅の2日目である。
息子の運転での参拝になった。


比叡山の位置関係がなんとなく曖昧なので、今回改めて確認すると、大津から見て北へ7,8キロの距離にあり、京都と琵琶湖に挟まれた場所に位置していた。
そして坂本は比叡山から東へ下って4キロほど、琵琶湖沿いの町である。

大津を出てから30分あまり、途中からはかなり急な坂になる。紅葉が盛りの時期であった。


比叡山延暦寺はKは初めて訪れる。
東塔、西塔、横川(よかわ)の三つの場所から成り立っているのだという。

東塔と西塔は隣あって並んでいて、そのまま歩いて回れるが、横川は少し離れていて車で移動することになる。
それぞれの場所で、主だった建物はすべて訪れた。
ただ、全ての建物で内部の参拝は出来るが、撮影は禁止で撮ることはできない。撮影できたのは建物の外観のみであった。
それでも、国宝や重要文化財級の建物があちこちに立ち、圧巻である。

ただし中心となる根本中堂は、平成28年から10年の予定で改修中で、建物も見ることができなかった。
改修中でも内部は参拝できる。
有名な「不滅の法灯」も確認した。不滅の法灯は1灯と思っていたが、灯りが絶えるの避けるため三つある。不滅の法灯が3灯から成り立っているとは、これまで知らなかった。

横川の参拝後坂本へ向かう。
穴太衆と言う石工集団がいて、加工しない自然石を積み上げる「穴太衆積み」で有名なところという。

途中で昼食をとり、ほぼ一日がかりの旅。
延暦寺を満喫した一日になった。



2023年12月3日(日)
付録の笹刈り その2
付録の笹刈り、その2である。
その1は こちら→(2023/11/11)

笹刈りした場所は、「原山」と名付けた個所。
昨日と今日の2日をかけた作業で、昨日が1.5時間、今日が2時間の作業になった。


この区域の笹刈りは久しぶりのことで、前回の実施日を探してみたら令和1年の11月に実施していた。


4年振りである。

とりあえず刈ったままで、片付けは、可能なら後日実施と言うことになる。



2023年12月2日(土) ラベル1202
もう一つの自宅死
例年なら今頃、今年の年賀状の構想を練っている時であるが、今年はその必要がない。
すでに11月のうちに、義母の喪中欠礼状を出状しているからである。


欠礼状にも記載した通り、8月3日に義母はなくなった。
昨日の小欄にも係るが、自宅死である。

当日はMの妹が義母の面倒を見ていて、少しではあるが朝食も食べたらしい。その後8時過ぎになって、息遣いが荒くなり、最後に大きく一息吸って息を引き取ったという。

M宛てに電話があり、私も一緒に実家に向かったが、着いたときにはすでに息はなかった。
しばらくして、医者をしている義弟も駆けつけ、確認をしたのち死亡診断書を記述した。死亡診断書には老衰とある。

発病したのは昨年の10月8日である。
妹の本拠地は広島にあるのだが、実家の生業であった養蜂をついでいて、その日も妹が母と一緒に寝起きしていた。
妹は朝、母が寝ているうちにミツバチの管理に出かけ、午後帰宅してみたら、母に異変が起きていたという。

M宛てに緊急電話が入り、私も一緒に出かけ対応した。
救急車を呼び、救急車で移送中にドクターヘリで運ぶことになり、近くにある旧小学校のグラウンドで待ち合わせ、そこからヘリコプターで浜田の病院に搬送された。ヘリコプターにはMが同乗した。
左半身が全く利かない脳梗塞である。それでも、意識ははっきりし、ゆっくりではあるが喋ることができるのはありがたかった。

浜田の病院に12月初旬までいて、その後町内にある病院に転院になる。
町内の病院では、今年の2月中旬までお世話になった。
この間に介護度の判定が出たが、結果は要介護5であった。

一方、Mら弟姉妹3人は、義母が自宅に戻ることを願って自宅を改装する。
風呂やトイレを作り替え、床はバリアフリーにし、台所も車椅子で料理ができるようにするなど、大掛かりなものであった。

さて今年の2月、町内の病院で退院が近づくにつれMらは迷った。自宅か、あるいは施設に頼むかである。
しかし相手は要介護5の身、24時間の全介護が必要である。自宅での看護は無理と判断し、施設に頼むことにした。

多くの方々の支援を得て、町内の特別養護老人ホームに入居した。今年の2月15日のことである。

ただし、入居後の生活は必ずしも思い通りにはゆかなかった。
施設側の責任ではなく、コロナ禍という特殊な事情による。
面会はパネル越しで、当人は身をさすってほしいというのだがむりである。自宅の改造を味わわせたいと、一時外出を願い出てもそれも叶わない。
そのうち、だんだんと、弱っていく様子が伺え始めた。

このままでは悔いが残る。
弟姉妹3人で相談の上、施設を退去し自宅で介護しようと決めた次第である。
退去したのは7月12日であった。
医療面は弟が支え、日常の介護は介護サービスを利用しながらも主として妹が担当する。Mはそれぞれのバックアップに当たると言う役割分担である。

それからおよそ3週間。若干の弱りは認めるも、大きな変化はなく、突然に8月3日の朝を迎えたという経緯であった。

本人も、そして家族も、あるいは近隣の人々も、全く予期してなかった昨年10月8日の発病であっが、それ以降の十ヶ月、紆余曲折を経ての看取りであった。

それでも義母は、息子が医者であり、娘2人が近隣に住むという類まれな幸運に恵まれて、自宅で死を迎えることができた。
義母のもつ、人徳の結果かもしれない。

昨日と今日、2人の自宅死を見てきた。
人それぞれであるが、死を迎えるというのはなかなか大変な作業である。



2023年12月1日(金) ラベル1201
「家で死ぬということ」
10月29日付の読売書評記事である。


もはや対象年齢に達しているKにとっては、こういうタイトルの本はどうしても読みたくなる。
2週間前図書館に行くおり、書名と筆者名をメモして出かけた。
新刊らしく、所蔵はないと思われるので、取り寄せてもらおうと予約票に書名や筆者名を記入して提出すると、「先ほど戻ってきました」と係員は言って、事務所内の書架から引き出してきて貸出手続きをしてくれた。


大津旅に出かける前、2,3日かけて半分程度読み、戻ってから昨日と今日の2日をかけて読み終えた。

力作と思われる。
書評にある通り「冷静に淡々と、しかも要点を外さない。情報に過不足なく、それでいて溢れるような思いが伝わって」きた。
これまでは薄ぼんやりと、しかも楽観的に死を迎える姿を思い描いていたが、これを読むと、そうやすやすと死を迎えることはできないと思い知る。

Kもまた、家で死を迎えたいと思っていたが、どうやらそれは無理で、家以外の場所で死を迎える覚悟をする必要があると考え始めた。

もはや、そのための具体的準備を始める時かもしれない。



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