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Kの散歩帖
里庭掲示板
2024年12月18日(水)
初冬の里庭
初冬の山陰は天気が悪い。曇り時々小雨の日が続く。

そんな日の午後、雨の合間を縫ってウォーキングに出た。
その最終部、普段ならそのまま家に帰るところだが、ふと、里庭を通りながら帰ろうかと思い始めた。

大方の木の葉は落ちている。
秋の紅葉時は華やかな里庭であるが、静まり返った雰囲気になっていて、これもまた良い。

帰りながら、所どころで写真に収めてみた。


公孫樹の葉や「一の坂」など、一部で落ち葉かきをしたところがないでもないが、残る大半の場所の落ち葉はそのままである。落ち葉の色が大地の色を変えていて、それもまた面白い。

先日の初積雪は一旦消えた。
次降ればおそらく根雪になるのだろう。



2024年12月17日(火)
ウラジロノキの1年
ウラジロノキ。
2階自室から窓外を見たとき、眼前に見える木のことである。

昨年の秋、少し大きくなりすぎて邪魔になり、剪定をして木の高さを低くしたのだが、
 こちら→(2023/11/22)
その後枝が伸び、次第に背が高くなってきた。
直前にあるため、2階から写真を撮ると、意図せずともその木が写る。

Googleフォトを繰ってみると、何枚かその木が写っていて、集めてみると図らずもその木の成長知ることになった。


夏の、葉が生い茂った写真が無いのが口惜しいが、1年の経過が伺える。

木の頂点の話になるが、当初は眼下に見えていたものが、背が高くなって、最終的には2階から見てほぼ目の高さにまで伸びている。
1年で、およそ1m以上背が伸びたと思われる。
成長の速い木だ。

今年は我慢出来たが、来年の秋にはまた剪定が必要のようである。

葉もすっかり落ちてきた。



2024年12月15日(日)
広田弘毅の書と動画 その2
一昨日の続きである。 こちら→(2024/12/13)
広田弘毅の動く映像を入手することができた。

静止画に比べ動く映像は、生身の人物を知る上では情報量が多く、自分にとっては貴重な映像となったが、入手の経緯は意図せぬ結果である。

NHKBSで「バタフライエフェクト」という番組を放送している。
いつから始まった番組かは承知せぬが、我が家では昨年の秋以降に見始めている。
過去に起きた世界中の出来事の中から、主要テーマごとに、映像を取り出しまとめた番組で、ナレーターを糸井羊司ナウンサーが担当しているのも誠に良い。

番組の中でこれはと思うものは保存して残している。


広田弘毅の映像が出てくるのは、その中の「東京裁判」という番組である。
東京裁判の一部始終をまとめたものであるが、番組の長さは45分で、その中で広田弘毅は3カットの場面で登場する。
罪状認否の場面、犯罪の詳細を説明する場面、そして判決の言い渡しの場面である。

この広田弘毅が登場する場面のみを抽出してみた。次である。

 こちら→

45分の番組で広田弘毅が登場するのは4分30秒、ほぼ1割に相当する。番組制作者も、対象の中で重要人物と捉えているのかもしれない。

K自身も、小説を読んで思い描いた人物像に近い人が、この映像の中にも現れていた。
広田弘毅なる人物を、再認識する上で重要な映像になる。



2024年12月14日(土)
初積雪
朝、まだ暗いうち外に出てみたら雪が積もっていた。
1週間程度前であろうか、みぞれが降ったので新雪とは言えないが、今年の初積雪である。

もともと今日には予定が入っていて、出かけることになっていたが。この荒れ模様、予定が中止になって、居宅してのんびり初積雪を愛でる日になった。


積雪の量は1.5Cm程度。
終日ほぼ間断なく降るが、降る端から消えていくので、積雪の量は終日1.5Cmほどが続くことになる。

午前中のことだが、雪の合間を縫ってウォーキングに出てみた。
支線に入るとしばらくは車も通っていないのであろう、前方は薄っすら雪で覆われ白い景色が続く。一方振り返れば、自分の足跡だけが残っている。この景色全体を独り占めしている訳で、気持ちの良いものであった。

Mは出かけていて不在。
昼食を自分で作って食べ、午後は本を読んだり、撮りためてあったテレビの録画を見たりなど。

のんびりした良い一日になった。



2024年12月13日(金) ラベル1213
広田弘毅の書と動画
広田弘毅とは、戦前外務大臣や首相を務めた人で、戦後開かれた東京裁判において、絞首刑になった7名のうち唯一人の文官である。

Kが広田弘毅を知ることになったのは城山三郎の小説「落日燃ゆ」に依るもので、その本は今でも所有し、入院入所の時に持ち込む本 こちら→(2024/3/9)
にも入っている。

所有する「落日燃ゆ」の奥付を見ると、印刷日は昭和51年となっているから、Kが32歳の時のもので、かなり若い時に読んだものになる。
”凛とし“た生き方に感銘を受けた記憶があり、それを、今なお読み返してみようかという気が起きるのだから、我が人生に、相当影響を与えたことになる本、といってよいかもしれない。

その本の冒頭部に、気になることが書いてあった。


広田弘毅が書いた“書”が、福岡市にある神社の鳥居で掲額になって残っているとある。
「天満宮」という文字。

見てみたいものという気は起きるが、わざわざ福岡市まで出向くこともできない。そのうち忘れていた。

そんな折、2年くらい前から福岡市に住む娘が、今年の8月に帰ってきた。
娘に頼めば、写真に撮ってもらって、どんな書体か見ることができると思いついた。このページをコピーして娘に渡し、いつでも良いから写真に撮って送って欲しいと頼んだのである。

その後かなり時間が経って、娘から16枚組の写真が送られてきた。そのうちの4枚を抜き出したものである。


子供が書いたものとは思われないほどの、伸びやかで堂々とした書体が残っていた。
昔から抱いていた、なんとなくもやもやとした疑問が、溶けるような気がして、掲額の文字を見たのであった。

広田弘毅に係る情報としてもう一つ、東京裁判での様子を示す映像を入手していて、今回一緒に掲載するつもりで小欄を書き始めたが、紙面がたりそうにない。
ここで一旦筆を収め、次回に回すことにする。



2024年12月12日(木)
定期検診
三ヶ月に一回の定期健診検診に行ってきた。場所は邑智病院。
前回は、 こちら→(2024/9/5)

以前から新しい病棟が建設中であったが、今回行ってみたら新病棟にかわっていた。
完成はまだまだ先のことと勝手に思っていたので、いきなり変わっていて少々驚いた。

採血の時、技師に尋ねたら、全システムが新病棟に変わったのは10月15日のことと言う。移動は大変な作業であったと言っていた。


余談になるが、1年位前広島県の安佐市民病院が、やはり新病棟に移って、そのときは省力化がひどく進んで、受診手続きに大いに迷ったものだが、今回の邑智病院の場合はそれほどの大きな変化はなく、適当に人が介在していて、ありがたいと思った次第である。


さて肝心の受診結果である。


これまで注目していた、γ-GPTとPSAの値は、今回も特段の問題無しと言うことであった。

そして前回の検診時に、急に問題視されたHbA1cの結果である。
前回は、この値が連続して上昇しているのが問題になった。
そのときは、具体的な対策法が思い浮かばず様子見としていたのだが、その後突拍子もない対策を思いつき、以後実行している。
 こちら→(2024/10/1)
昼に飲む缶ビールの種類を糖質ゼロの物に変えると言う、笑い話のような対策である。

その結果であるが、値は6.8に下がった。

下がった原因が、缶ビールの種類を変えたことに起因する、とは言えない気も大いにするが、少なくとも値は下がっているわけで、しかも缶ビールの味は全く問題がなく、この対策方法を当分は踏襲してみようかと考えている。

ともかく、心置きなく酒が飲めるのが有難い。



2024年12月11日(水)
三日がかりの落ち葉かき
晩秋の行事である、通路上に舞い落ちた落ち葉かきをした。
昨年は二日で終えているが、 こちら→(2023/12/5)
今年は三日がかりである。

しかも、昨年は半分の落ち葉を焼いているが、今年は湿気ていて焼けそうになく、すべてを腐葉土置き場に運ぶことにした。


作業をしたのは、7日と昨日と今日。
昨日は栗の木ベンチと名付けた場所の葉をかき集めただけで、1時間で作業を終えたが、7日と今日は集める他に、運搬車で運び、それぞれ2時間をかけている。

運搬車で運んだ回数は、7日が2回、今日が3回であった。
運搬車から掻き下ろしただけでは嵩張るので、毎回落ち葉を踏みつけて嵩を減らしている。



2024年12月10日(火)
椿三十郎
12月7日の読売記事、「五郎ワールド」である。


小欄での、前回登場が
 こちら→(2023/7/1)
であるから、久々の登場である。

NHKプロデューサー「林 新」氏のことに触れている。
初めて承知する名前で、調べてみると、1957年生まれとあるから、Kより大分若い。7年前、60歳でなくなっている。
闘病を含め、凄まじい生き方をした人のようで、“五郎ワールド”では、「安楽を求めぬ生き方」と紹介している。

若い頃は別として、昨今では、「閑に生きる」を信条にしているKにとっては、
 こちら→(2018/3/5)
もはや参考にできぬ生き方ではあるが、その林氏が、人生の手本として来たのが映画「椿三十郎」とあり、100回近くは観ているという。


この映画、Kも2・3度は見た記憶があるが、生き方の参考にするという目では観ていない。
もう一度、観てみようかと思い始めた。

以前集めたDVDデータの中にあるかもと確認したが、
 こちら→(2024/7/1)
その中にはない。
アマゾンのプライムビデオで購入して観た。


久しぶりの黒澤映画で,さすがに面白い。
ただし残念ながら、、人生の手本にするという目では見ることができなかった。
やはり、感受性が違うのであろう。


今度は林氏がプロデュースしたという作品を、探して見てみようと思っている。




2024年12月9日(月)
指の先を削る
右手親指の先端を削るという災難に遭った。
起きたのは12月1日で、夕食作りをしていたときのことである。

大根を薄く削ろうとしてスライサーを使っていた。

大根などの被削物が薄くなれば、スライサーの刃が指にあたり怪我をするということは充分頭にあって、薄くなれば専用の治具で抑えて削るということも承知し、その時も実行していた。

大根の数にして三つ四つは治具を用いて削りを終え、次の大根を削っていて、薄くなってきたので、治具で押さえねばと思っていた瞬間に指の先に痛みを感じた。「しまった」と思ったが後の祭りである。
しばらくすると血が出始めた。

処置をして、その場はゴム手袋をはめ、夕食を作り終えたという経緯である。

以後、普段はバンドエイドを貼り、風呂や炊事などの水を扱うときは、さらにゴム手袋をはめるという生活が続いた。

切ったものなら2,3日もすれば傷が塞がるのだが、削ったわけで、傷が塞がるには日数を要する。
1週間近くは不自由な日が続くと予測したが、用心をした部分もあって、結果的には昨日までバンドエイドとゴム手袋をつかい、それらから解放されたのは、やっと今日のことである。


右手の親指が使えないというのは不自由な部分が多く、当初数日は不自由な思いをしていたが、その後はその生活様式に慣れてきて、この2・3日はあまり不自由さも感じないほどに変わっていた。

今日は夕食当番であったのだが、それに取り掛かる前には、「さて、ゴム手袋をして!」という思いが、頭をかすめたほどである。



2024年12月8日(日)
八色石方言集
八色石地域の方言集作りを始めている。
作業が始まったのは、先週4日の「サロン田屋」に参加した時の話で、きっかけは思い出せないのだが、当地域の方言を集めたら面白いかも、と言う話になり、書記役を買って出た。

こんな言葉もあると、お茶を飲みながらワイワイがやがや、2・30分話をして30余りの用語を集めた。

もちろんこの作業は当日のみで終わるものではなく、当分の間折々に集めて、何かの具体的な形にまとめるつもりのものである。


そして、話が少しずれるが、今日は集落の集会所である保養館の大掃除の日である。
9時頃からおよそ1時間掃除をし、その後お茶になった。


話に花が咲く。その中には方言がまじる。

これは記録しなければならないと気づき、近くにあった用紙を持ってきてメモを取ることにした。


(左は田家でのメモ、右が今日のメモ)

今日のお茶会は凡そ1時間。その中で今日集めた方言は20弱である。

今後当分の間は、何らかの集いの場があるときは、この作業を続けるつもりでいる。



2024年12月7日(土)
寺尾沙穂のうた
前回借りた「暮しの手帖」の冒頭部分に載っている、ルポルタージュ記事の最初のページである。


写真に収めたときは、寺尾紗穂氏なる人物を全く承知して居なかったが、暮しの手帖に載るほどの人である、並の人ではないのだろうと写真におさめた経緯がある。

2,3日前、Googleフォトを開いたとき偶然この写真が目にとまった。
こんなおりである、少し調べてみようかという気が起きた。

調べてみると、ただいま43歳、東大大学院卒のシンガーソングライターであり、文筆家であると言う。
そして注目すべきは、NHKの「Dearにっぽん」のテーマソングを歌っているともある。

「Dearにっぽん」なら息子が撮影した番組が、録画してある。 こちら→(2024/4/23)
この動画を確認してみることにした。

テーマソングと言うから、動画の最初の部分に出るかと思って見たのだが、歌が出たのは番組の最終部であった。
エンディングロールなどに重なって出る。


(画像をクリックすると、別の画面になり、
寺尾沙穂が歌う、テーマソングがながれます)

番組を録画したときは全く気づかなかったのだが、エンディングロールでは、息子の名前のすぐ上にテーマ音楽寺尾紗穂とあり、曲のタイトルは「魔法みたいに」としてあった。

「Dearにっぽん」は、他にも何度か見ていて、聞き覚えのある歌が流れる。
ナレーションの音声に重なっていて、聞きづらい部分がないでもないが、澄み切った、心に染み入るような声に思われた。

他の歌も聴いてみたいと思い、YouTubeを開いてみると。たくさんの歌が載っている。
一つ二つ聴いてみると、なかなか良い。録音して保存しようかと思い始めた。

ここのところ長い間音楽録音をしていない。
特にパソコンを更新して以降は全くしていないらしく、音楽録音に必要なソフトでインストールしてないものもある。


それらを取り揃え、テレビ番組で流れた音声も含め、合計10曲の音楽を録音し、編集した。
久しぶりの作業で、手順を思い出しながら行うことになり、半日を起こす作業となった。

収録曲のアルバムタイトルは「寺尾紗穂のうた」とした。
これからは必要な時に、いつでも聞くことができる。



2024年12月6日(金)
冬支度 その3
ここのところ西高東低の冬型の配置となり、小雨まじりの日が続いている。
その雨の合間を縫って行った冬支度の作業。
実際には、昨日行った作業である。


下屋がらみの作業。内容は二つある。

一つは、
夏の強い日差しを遮るため屋根の上に“よしず”を敷いているのだが、このよしずを取り外す作業。
大きな三脚を持ってきて、屋根に上り、よしずを丸めて下におろすと言うものである。

もう一つは、
下屋の中に雪が舞い込むのを防ぐ処置。
半透明の波板を4枚、腰壁として張るという内容である。

波板は毎年同じものを使う保管していて、それぞれには番号がふってあり、同じ位置に貼り付ける。
波板にも、柱にも、それぞれすでに下穴が開いていて、その場所にビスを打つようにしているので造作は少ない。

二つ合わせて、小1時間で作業を終了した。


天気予報によれば、明日・明後日は温度が下がり、山沿いでは雪が降るかもしれない、と言っている。
冬の本番も、そう遠くないものと思われる。



2024年12月5日(木)
本日休刊
2024年12月4日(水)
黒井千次著 「老い」シリーズ その2
今朝の読売、2面に掲載されたコラム記事である(写真、上段)。
夕刊のない当方地域では、昨日の夕刊に載ったコラム記事が翌日の朝刊に掲載される。その記事にあたる。


1週間ほど前、小欄で取り上げた こちら→(2024/11/27)
黒井千次氏の著作「老いの深み」に触れている。

読売新聞に掲載されているエッセイが本になったものを、読売のコラム記事で紹介するに何の不思議は無いが、K個人が興味を持った本について、コラム記事で賛辞を呈してくれるのは、嬉しいような気がして、興味を持って記事を読んだのであった。


記事には「金言満載、わが近未来と考え心したい」とあるが、Kにとっては、以前も述べたように10歳先輩の同世代。
買い求めた3冊を結構熱心に読み始めている。

読む際、著者が何歳の時に書いた文章なのかは興味のあるところで、それがすぐに分かるよう、本のそれぞれの帯に、著者が何歳の時に書かれたものであるか分かるように年代をメモ書きした。

今、73歳から77歳までに書かれた“かたち”と77歳から82歳までに書かれた「味わい」、を同時並行で読み進めているが、70歳代と80歳代とでは、書かれた文章で、ものの見方の違いを感じる。
著者自身が老いているのがわかる気がするのである。

それは同時に、私自身に起きている違いであって、まさに同感するわけである。

著者はただいま92歳。
おいおい読み進め、我が身に起こるであろう、これからの姿も見つめて行こうと思っている。



2024年12月3日(火)
公孫樹の落ち葉掻き
11月22日の記事 こちら→(2024/11/22)
は、大間違いであった。
「2,3日もすると全ての葉は落ち」と記しているが。大方の葉が落ちたのは、それから10日経った今の頃である。
もはや、黄色の絨毯は充分に堪能したので、落ち葉掻きを行うことにした。

昨年は11月28日に行っていて、こちら→(2023/11/28)
一日で終了しているが、昨日と今日の、2日がかりの作業となった。

まず昨日。
快晴の良い天気。10時頃から作業を始めた。


例年通り一の坂から始め、ニの畑へ向かう。
掻き集めた葉を一輪車に乗せ、捨て場まで運ぶと言う作業である。

午前は11時半ころまで作業をして、昼食で中断。午後は1時半頃から始めた。
12月にしては、まことに暖かく、汗ばむほど。

3時を過ぎた頃、今日中に終えるのは無理かもと判断して、残る作業は明日に延ばした。


そして今日。
天候は曇りなれど寒さは薄い。
9時半頃から作業を始めた。


最初に、公孫樹の葉の密度の濃い部分をかき集め、こちらは一輪車で運ぶ。

もう一つ「二合庵」に近い部分は、捨て場に近いので、部分的には一輪車に乗せるが、大半はそのまま捨て場まで掻いて捨てるという、2面作戦で実施した。

思ったより早く11時頃には全ての作業を終了した。
要した時間は昨日が3時間、今日が1.5時間合わせて、4.5時間ということになる。

昨年と同じように、一輪車で運んだ回数を算木で数えたら、26回運んでいた。

晩秋の行事を、ことしもまた、一つ終えたことになる。



2024年12月2日(月)
”トランプ”登場の背景
11月に行われたアメリカの大統領選では、ハリス氏の当選を節に願ったものであるが、結果は意に反してトランプ氏が再当選するという、望まぬ結果に終わってしまった。
おそらく、多くの日本人が、同じような思いをしたのではないかと、私自身は思っている。

第2次大戦後の日本人にとって、民主主義という考え方は、なじみのあるものではなかった。
その民主主義を、日本人に教えたのが、良し悪しは別としてアメリカであった。
アメリカは、日本人にとって民主主義の先生である。

その先生であるアメリカ人が、なぜゆえに、あのような日本人が嫌う人を大統領として選ぶのであろうかと、不思議に思うわけであった。

その答えらしいものが見つかった。昨日の読売記事である。


民主党が負けた主要因は、民主党の行過ぎた(先鋭化した)左傾化にあると読み解いている。

たとえば、人種差別はよくない、多様な性自認は尊重されるべき、いう意見がある。確かにこれは意見として、頭では理解できる、ただ心がついていけない、ということが起きる。しかもそれがどんどん先鋭化して行くと、もはや私にはついていけないという、違和感が起きるのである。
昔はよかった。という思いが起きる。

と説いている。


これは日本に住む我々世代でも起きている。
かつてKが勤めていた頃はパワハラは無きに等しいものであった。上司の言葉は理屈なしに正しいのである。
職場で、女性のお茶くみは当然の作業であった。
これは「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」と同じく、“差別”ではなく“分業”なのである。
昔は悪くなかった。思い返せば美しいのである。


記事を読んで“トランプ”再選の合点をした。

ただ合点はするが、結果は正しいものではない。
受け入れ難い結果であるが、受け入れざるを得ない結果でもある。

これから世の中はどうなっていくのであろうか・・・。
もはや参加する時期は終わった。
ただ、呆然として見ているだけである。


2024年12月1日(日)
冬支度 2題
昨日と今日冬支度の作業を二つ実施した。

昨日がタイヤ交換、そして今日は雑木の雪囲いである。
例年11月の中旬前後に行うのだが、やはり暖かいのであろう、何とはなく例年より10日前後遅れてしまう。

昨日行ったのがタイヤ交換。
昨年は11月16日に行っている。 こちら→(2023/11/16)

今年はMも一緒に行うという。


ジャッキが一つしかないので、同時並行の作業はできない。
最初にK用の車のタイヤ交換を行ない、次がM用である。
Mのタイヤも、3個はKが取り替え、練習も兼ねて残る一つをMが実施した。

2台合わせて約2時間。昨日午前中の作業である。


今日行ったのが雑木の雪囲いである。
昨年は作業結果を小欄に載せていないが、備忘録繰ってみると11月21日に実施していた。


小さな幹や枝などが雪の重みで折れないようにする処置で、枝を引っ張ったり、幹を縛ったりなどする。
黒いビニールテープで縛るもので、兼六園などのような美的要素は全くない。むしろ、目立たなくするのが技術の要諦になる。

数えてはいないが、50本を超える雑木の処置を行ったものと思われる。
要した時間は1.5時間であった。

まだいくつか冬支度の作業が残っている。
一方、ここにきて急に寒さが増してきた。一気に冬が来そうな気配もある。
なんとなく気ぜわしくなってきた。