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Kの散歩帖
2020年8月11日(火)
今年の唐楓の発芽 その3
6月14日の後日譚である。 こちら→(2020/6/14)

前報では、緑が7鉢、赤みが12鉢としたが、結局赤みの鉢の苗は全て枯れてしまった。
残ったのは7鉢である。

かと言ってその7鉢を全力をもって育てるという気概には欠け、夏場になって日照りが続くと水やりが不足で葉がしおれそうな日も出てくる。
反省の意味も込めて鉢を一段大きくすることにした。
昨年はこの作業を7月21日に行っている。 こちら→(2019/7/21)

方法は昨年と同じ。


畑の土に腐葉土を混ぜ、化成肥料を少し足した。
後は小ポットの土ごと移し替えるだけである。

これで元気に育つはずである。



2020年8月10日(月)
自註鹿鳴集

読売の日曜読書欄。
コロナ禍でどこにも行けない夏休みを読書で過ごそうと、「
ファンタスティックな本を、読書委員が総力を挙げてお薦め」という企画である。20余名の読書委員が自分の推薦する1冊を上げている。
その中の一つ。

「自註鹿鳴集」、確か自分も持っていたはず、と思い始めた。
捨ててはいまい、と探してみることにした。

”表紙はかなり赤茶けている・・・、岩波の文庫本・・・”とそのイメージまでも浮かび始めてくる。
まず、書棚を探す。文庫本が並んだ棚が1列ある。
全て外に出して探したが、似た様相の本はあるものの、求める本は出てこなかった。
まてよ、別棟かもしれない、と思う。
別棟と呼んでいる建物があって、そこにも古い本が捨てずにある。鍵をもって別棟に向かい、書棚を探すがやはりなかった。

別棟からの帰り道である。ふと、別の映像が頭に浮かんだ。
箱入りで背に筆字で書かれた「自註鹿鳴集」の文字である。
”文庫本ではない”と気がついた。

自室に戻って再び書棚を探す。文庫本以外の個所。
書棚の最上段ですぐに見つかった。

出して中を見ると、写真入りで、なかなか立派な本である。
出版社は「中央公論美術出版」とある。
初版が昭和40年、求めた本は3版で昭和42年となっている。価格は1200円。

昭和42年はKの大学3年に当たる。当時の身ではかなり高価な本であったはずである。

紹介者が勧める「若者」ではないが、
これを機会に、ぼちぼち読み返してみようかと思っている。



2020年8月9日(日)
朝顔

Mに「朝顔が咲いているから見ておいて」と言われたのを思い出して見に行った。
一仕事を終えて、新聞を取りに出たときのことである。
場所は家の横。

青紫の花が見事にに咲いていた。
数は5、6輪。

夏の日の朝の情景である。

毎年この場所にMが咲かせるのだが、小欄に登場するのは初めてのことと思われる。



2020年8月8日(土)
外山滋比古さん亡くなる

英文学者の外山滋比古さんが無くなったとの報である。NHKのニュースと読売の記事で知った。
96歳。
亡くなる直前まで知的好奇心を失わない生き方であったという。

氏の著作で最も有名なものが「思考の整理学」という(らしい)が、Kはこの本のことを全く承知していない。
今回の記事に出会って「思考の整理学」を調べてみたら、1983年刊行とある。
1983年はKが39歳の年に当たる。会社で多忙を極めた時期で、ベストセラーなどに目を向ける余裕はなかったのであろう。

Kが氏のことを承知したのはかなり近年である。
英文学者とあるが、Kにとっては英文学は全く関係がない。むしろ、日本語である。
手元にある資料で、氏に関係する最古は2008年の次の新聞記事と思われる(他には出てこなかった)。

購入して読んでいる。
日本語の”作法”もさることながら、氏の文章自体に感銘を受けた記憶が強い。
難しい用語を使わず、しかも理路整然としている。文章をもって、意を告げる書き方とはこういうものか、と思い知らされた。
書棚を探したら、他にもう1冊読んでいた。発行年は2010年となっている。
求めたきっかけは思い出せないが、おそらく先の本で受けた印象からであろう。
本のタイトルはまさに「文章のかきかた」を表示している。

この2冊、今回は書棚から探して引き出したが、一時は机の端に置いていた時期もある。
いわゆる”座右の書”である。
文の書き方で行き詰まったときなど、取り出してパラパラっと読むと、文の先が開けるときがあったりした。

少し余談だが、Kの場合、これから書く文章の文体をイメージするとき2人の人が頭に浮かぶ、ことがある。
普段の平易な文章をイメージするときは、外山滋比古氏である。
一方、ちょっと凝った文を書こうとするときは、幸田文氏の顔が浮かぶ。
幸田文氏の文は、少し古風で小粋である。歯切れも良い。
とても、真似して出来るものではないが、気取ってみようと思うときは幸田氏の顔が浮かぶのである。
幸田文著の「季節のかたみ」は今も机の端に置いてある。



2020年8月7日(金)
傑作を味わう

今年はMが作るトマトが誠に見事である。
雨除けを工夫したらしく、またそれ以外にも試し技が効いているらしく、色形、完熟度など、どこをとっても申し分のない品が採れる。

味わい尽くさなければ罰が当たる、という次第で2回目の登場となった。
トマトのすき焼き。

7月20日に一度作ったもの。 こちら→(2020/7/20)
「年に1度くらいならいいね」と言っていたが、2度目でも文句なしに美味であった。
トマトが傑作、調理法も傑作といっていい。

レシピを再掲する。

この中に、肉を入れる前にトマトを一口味わってみるという件があるが、これが誠に味わい深い。割り下の甘さと融合して、絶妙な味となる。
このレシピでは、特に割り下は指示通りの配合でで作るのが良い、と思われる。

肉は、今回は豚のみ。
それでも、全く問題なしに美味であった。
”締め”はパスタ。赤ワインを足してレシピ通りに作れば申し分ない一品になる。

次回は鳥でやってみようかと思い始めた
そうなると、3度目の登場となる。



2020年8月6日(木)
仏法僧(ブッポウソウ)今昔

仏法僧が今年も来ている。
5月の初旬から姿を見せ始め、8月には去ってゆく。したがって今年のブッポウソウも、見ることができるのは今が終盤である。

仏法僧に係わり始めて10年あまりになる。
当初は夢中になっていた。仕事が手につかないほどである。
関わりの経緯を示す。
最初がこれ こちら→
次が  こちら→
巣箱を移動して こちら→
撮影を開始 こちら→
そしてクライマックスが こちら→
さらに、2018年には何度か餌運びを確認し、巣立ちも見た。 こちら→(2018/7/9)

ところが昨年と今年は、来ているのは間違いないのだが、具体的に何をしているのかあまり分からない状態にある。
時折り数羽が飛び交って啼き声を発散したり、巣箱に入る姿をたまに見せたり、など垣間見ることはあるのだが、進行状態が良く分からないのである。
ただ、よくわからないのには我が方にも責任の一端はあって、いささか関心度が薄れ以前ほど熱心に観察していないことも分からない理由ではある。

まとまりのない構成になったが、ブッポウソウを取り巻く今昔である。

今日も、巣箱の上空で3羽の仏法僧が啼き声を発しながら飛び交っていた。。

森の宝石と言われる仏法僧であるが、それを居ながらにして、飽きが来るほど見られるのであるから、贅沢な話ではある。



2020年8月5日(水)
墓掃除
Mとの間で、
昨年はお盆が迫ってから大慌てで掃除をしたので、今年は余裕ををもって掃除をしようということになっていた。

これまでに、Kが2日、Mが1日、周辺の草を刈ったり墓所の草を抜いたりしていて、今回が仕上である。
Kは周辺の草を集めて焼き、Mは墓周りの草焼きと掃き掃除をした。


作業は午後にしたので暑い盛りである。
熱中症にならないよう、それこそこまめに、水を飲みながら実施した。
要した時間は一人当たり2時間余り。

これまでに要した時間を2人分全て合算すると10時間を優に超す。
墓掃除と言っても馬鹿には成らない。



余談;この墓は2010年の秋にKの生地から移築したのであるが、その折の写真を若干ながら。




2020年8月4日(火)
藤井恵さんレシピ 2題

旬のとれたて野菜を使ったレシピである。
じゃが芋ときゅうり。期せずして藤井恵さんのレシピが並ぶことになった。

じゃが芋の方。
レシピは次である。

読売の切り抜き。
混ぜて揚げるだけなので手間は要らない。
1.5Cmで切ると大きすぎるのではと思うが、これが食べてみるとなかなか良いのである。

もう一つのきゅうりのレシピは こちら→
豆腐をボウルで混ぜるだけ。すり鉢などを使わず、こちらも手間いらずである。

我が方の出来上がりは次である。

じゃが芋の方は調理後すぐに写真を撮った。
一方きゅうりの方は、食べている途中で撮影を思いつき、量が半減しているので皿を変えて写真に収めた。すこしくたびれた感があるのはそのためである。

いづれも今回で2度作っている。
じゃが芋の方はMの記憶にあるが、きゅうりの方は食べた記憶がないらしい。
食べる側の記憶は、大方そんなものであろう。

それはともかく、
藤井恵さんのレシピは我が方の好みに合うものが多く、有難い。
それでも、同時に二つ並ぶのは珍しい出来事で、小欄に登場する所以になった。



2020年8月3日(月)
永久次席
昨日行われた集落行事の話。
毎年、お盆を前にしたこの時期の日曜日に実施される集会所周辺の草刈りである。


以前にも報告したことがあり、 こちら→(2018/8/5)
この時は、たまたま最長老であった。

毎回20名弱の人が集まるが、昨今は女性で参加される人は減ってきた。
今回も参加者は男性のみで、参加者を見渡すと、Kの年齢序列は上から2番目になる。
Kより1ヶ月前に生まれた人がいて、したがって、2番目ということになる。
その人は、めっぽう元気で、Kが弱って参加できなくなる時期が来てもその人は参加するような人。
この人を抜いてKが最長老になることは大方あるまい。

この夏の草刈りでは終了後「直会」が開かれるのが恒例であるが、今年はコロナ禍で省略された。
大いに残念であった。

予期せぬ出来事で慣行が代わることはあっても、Kがその人を抜いて最長老になることはまずない。
永久次席である。



2020年8月2日(日)
照ノ富士優勝

照ノ富士が優勝した。
今場所早々に「照ノ富士特集」を載せた小欄にとっては こちら→(2020/7/21)

大いなる慶事である。


先のの記事中、大関、横綱への復帰を期待したがそれは少し先のことで、今場所は勝ち越せば十分程度の心持であった。
それが、まさかの優勝である。

「地獄を見た男」の復活。
昨今、暗いニュースに満ちているが、「人生まんざら捨てたものでもない」ことを教えてくれる、誠に嬉しいニュースであった。

怪我や病気で思いがけない事態に陥る、人間いとっては避けられない出来事である。
要はその出来事の受け取り様であろう。反発するのか、致し方ないことと受け入れて、、その中で道を探るのか。
照ノ富士は後者であった。
良寛の「災難に逢う時節には逢うが良くて候・・・」の極意である。

若いのに大したものだ。



2020年8月1日(土)
扇風機
毎度申し上げるように家財がテーマになるのはネタ切れの場合が大半である。
今回も同様。お付き合いいただきたい。

只今我が家で稼働している扇風機は、新旧入り混じって2台ある。
1台は2階自室、もう1台は1階台所兼の居間。


写真左が自室のもの。
Kが会社に入った年の夏に買い求めた品であるから相当古い。50年以上前になる。
会社の独身寮で使い始めた。

サンヨー製である。
機能はOn-Offと強弱切り替えを決める押しボタンが4個あるだけ。首振りは背後のモーター上部に配置されたボタンを上下して設定する。もちろん、リモコンはない。
羽根は3枚。
価格がどの位であったか記憶がなく、ひょっとしてと思ってネットを調べたが、さすがに出てこなかった。
風の強弱が切り替えられ、首も振る。これさえあれば機能としては十分で、今でも全く問題なく使っている。

台所兼居間にある品は1月余り前に購入したものであるから相当新しい。
その前の扇風機はおよそ20年使用したが、2-3前首を振らなくなった。中を開けてみたが、プラスチック製のギアが欠けていて修理ができない。
仕方なく、今年新規に買い求めた次第である。

新規購入品は羽根が8枚付いている。これが効いているの分からないが、体に当たる風が柔らかで心地よい(気がする)。
機能として新しいのが、室温を感知して自動で風の強弱を調整するもの。ただし、この調整は本体のみで可能で、リモコンに付いていないので、ほとんど使用することはない。
どのくらいの寿命があるか分からないが、おそらく我らの余命よりは長いであろう。

そういえば、朝ドラ「半分、青い。」で扇風機を開発する場面があったのを思い出す。
ドラマの最終部で主人公2人が「そよ風の」のような風当たりの扇風機を作りだすという。
当時、そんな風が作りだせるのと”眉唾”で見ていた気がするが、今回買い求めた扇風機を使ってみて「なるほど」と思い直さないでもない。

梅雨が明けていよいよ夏本番である。
扇風機をかけながら、今年も何とか暑い夏を乗り切りたい。