(写真をクリックすると、大きな写真が表示されます)


Kの散歩帖
2021年12月31日(金)
定点観測
6回目の定点観測になる。
5年前の大晦日に3枚の写真と当日の温度変化を記録し、「もしも」と記した希望的な願いをかくも長く続けることが出来たことになる。
有難いことである。


昨日までは暖かめであったが、今朝からは寒い。
気温は氷点下になっていた。
そして雪景色である。
昨年ほどではないが、5センチメートル程度の量。
ほぼ、終日降り続いたが、雪が小粒の性で大してつもりはしなかった。

予想外は「コロナ」。
昨年「コロナコロナ」と書いた折りは、まさか今年も続くとは思わなかったが、昨年よりも程度は酷かった。
果たして来年は如何。



2021年12月30日(木) ラベル1230
山水復旧
今回の寒波であるが、「数年に一度」と言われた割には、当地の場合は差ほどでなく、程なく暖かくなってきた。
温度計の値を調べてみると下図のようであった。


極端に寒かったのは、25日の深夜から27日の午前中までで、その後は最低気温が0℃を上回るという状況にある。
この影響で、先に降った雪も一気に融け始めてきた。

こうなると、もしやという気が起きる事態がある。
先日凍結した山水の話である。
もしかしたら融けているかもと思い始めた。
明日からは再び寒くなるというから、試すなら今日しかない。

午後になって始めることにした。
水が漏れている現地に行ってみると、周りの雪はかなり融けている。
この分なら、繋ぐだけで復旧するかもしれないとも思われる状況であった。
慎重に繋いで、家まで戻り、山水の出口を覗いたが、期待に反して水は出ていなかった。

やはりである。
致し方なく、先の繋ぎ場所まで戻ることにした。
どうするか思案する。
このままあきらめるかと思いもしたが、閃いたことがあった。
この場所から出口までの間には数ヵ所ゴムホースを繋いだところがある。このつなぎ部を順次外して、水が出ているか否か調べてみようという案である。

2、3ヵ所外してみると、そこまでは水が出る。そして、最終的に詰まっている個所に行きあたった。
そこは納屋の裏で、雪ずりでホースは雪に埋まり、しかも位置的には最も低い場所にあたる。
ホースの中を覗いて見ると氷で詰まっているように見えた。
仕方なく引っ張ってみると、その先のゴムホースは5メートル程度の長さで難なく雪から抜けてきた。
抜けたホースを近くの立ち木に当てて振動を加えると、ホースの中から氷が飛び出すのが目に入った。
しめた、と思った次第である。


そのホースを繋いでのち、家に戻って水の出口を確認すると、水が出ていた。

今回の詰まっていたホース個所は理屈的に見ても溶けにくい場所と思われる。
今後、もしこのような凍結事態に遭遇したら、真っ先にこの場を調べればよい。
凍結対策のノウハウを掴んだような気がしている。



2021年12月29日(水) ラベル1229
長靴、2代目
今次降雪の二日目のこと、雪も収まったのでウォーキングに出た。いつものように長靴履きである。
少し歩くと右足の踵(かかと)付近が冷たくなってきた。ウォーキングを終え、家に戻って靴の裏を見ると穴が開いていた。

この長靴はMの御下がりであるが、甲の部分が幅広でしかも軽く、極めて履き心地がよい。
ウォーキングの時は雨でなくても履いて出ることがしばしばある、という代物。
数ヶ月前、靴の上部に割れ目が出来て、修理をして使用していたものである。 こちら→(2021/6/21)
(補足;瞬間接着剤では流石に無理で、修理後間も無くに剥がれた。よって、ゴムにも使えるという接着剤をアマゾンで買い求め、修理し直して以後問題なく使用していた。)

靴の上部なら修理も効くが裏側では修理の方法がない。
弱ったなと思っていた。

そんな話をMにすると、「買ってあげようか」と言う。
願ってもない事なので頼むと、Mは早速動き始めた。
今回の破損品を買ったのはすぐ近くの町内の店らしい。そこに行って探したが、その品がない。
その足で、隣町の店に行って探したら、探す品があったという。ただし、Kにあう寸法の品がない。
Kにあうのを取り寄せるように頼んで来たという。2、3日前のことになる。

そして、その品が入荷した連絡があったらしい。
今日の午後、行ってくると言って買ってきてくれた。


全く同じ品である。
履いてみるとやはり具合が良い。
「超軽量」とか「年中快適」のタグがついていた。
これで、心置きなくウォーキングができるという次第である。

新たに買ってもらえるとは思っていなかったので、予想外の思いがした。
Thanksである。


余談;2、3ヶ月前の事と記憶する。修理した長靴を履いてウォーキングに出たら、たまたま集落内の知人に会って、「長靴くらいは、買ってもらいんさいや」と話しかけられたことがある。
どうも、小欄を見ていてもらえるらしい雰囲気もある。
今度出会うことがあったら、「買ってもらった」と知らせるつもりでいる。



2021年12月28日(火)
山水凍結
秋口には注意していたつもりではあるが、また失敗してしまった。
気がついたのは、一昨日。今次大寒波の襲来後である。
裏に出てみると山水が止まっていた。

この時点では、まだ事の重大性に気がつかず、いつものように復旧できると道具一式を持って雪の中を取水口へと向かって行った。
雪は10センチメートルあまり、歩くに左程困難はない。
修復のルートは決まっていて、ゴムホース沿いに上ってゆく。途中の接続部が外れていることもあるわけで、当然のルートと言えばそれだけの話しになる。

裏納屋の背後を回って山に上ることになるのだが、その納屋から50メートル位入ったところで水が噴き出していた。


有難い、と一瞬喜んだ。
取水口まで行かずとも、外れた接続部を繋ぎなおせば修復となる。
いつもと同じ要領で繋ぎなおした。
完了、と思った瞬間である。繋いだ個所が外れて水が吹き出し、下半身の大半が水で濡れた。

ここに至ってようやく事の本質に気がついた。
そうか、凍結させたのか、ということである。
最早手の打ちようはない。
繋ぐのをあきらめ、家に戻って下半分を着替えたという次第である。

冬季雪の下を這うゴムホースは、水が流れている限り凍結することはない。
ただし、万一凍結させてしまうと、ゴムホースの中で凍った水は容易には融けない。ゴムホースを覆う雪が断熱材の役を果たして、日中で温度が上がっても融けないのである。
春になって雪が融ける時期まで待たなければならないときもある。

過去20年の間に2、3度このような事態になったことがある。

この事態を避けるため、秋口には接続部を入念に締めるのだが、うまくいかないときもある。
どうやら今年も、その轍を踏んだらしい。

寒波が収まって気温の上がる日があれば、再度繋ぎなおしてみるつもりではあるが、駄目である可能性も大いにある。

春まで山水は”お預け”かもしれない。



2021年12月27日(月)
「晴天を衝け」余話
大河ドラマの「晴天を衝け」が昨夜終了した。
今回もあまり熱心な視聴者でなく、それでも始めの頃は見た確率も高かったのだが、後半はかなり落ちてしまった。
ただ、最終回は見るのが礼儀と見始めたのだが、途中でうとうとしながら、ようやく最後までたどり着いたという始末であった。

あまり気に入らなかった理由の一つが、主演者(吉沢亮氏)が若くイケメンすぎるところにある。立志するころまではまだしも、後半は美男すぎて実業家の渋沢栄一にはみえなかった。
もっと無骨な人なら、渋沢氏の実情に迫られた気がする。人物に迫れなければ大河の意味が半減する。

脚本は面白かった。担当の「大森美香」氏は承知していなかったが、先般NHKのあさイチに出演され朝ドラの「朝が来た」も同氏の作と知った。
「朝が来た」は好んで観たドラマの一つ。なるほどと合点した。

話しが変わるが、只今図書館で借りている文藝春秋は9月号で、この中に渋沢栄一像を紹介する文が載っている。著者は鹿島茂という方でフランス文学者という。
内容は、渋沢栄一は相当な女性好きであったという話である。


妻が二人いて、お妾さんは何人もいたという。
渋沢の女性好きは若いころからの性癖と記述し、後年の日記には「一友人」を訪ねると渋沢自らが、お妾さんを訪ねた事実を残している、と記事の冒頭で紹介している。

もっともこの時代は、お妾さんがいるのは男の甲斐性で、であったらしい。
著者は渋沢のこの性癖を悪くは思っていないわけで、これらも含めて「日本資本主義の父」たる人と捕らえている。

著者が、渋沢の言を最後に引用している。
「明眸皓歯に関することを除いては、俯仰天地に恥じない」

色恋沙汰を除けば恥じることのない生き方という意味らしいが、こういう人物像が渋沢栄一たるところと、紹介しているのである。

大河の最終回が放送された時期にたまたま同じ人物を描く記事に出会って面白く読んだ、次第である。




2021年12月26日(日) ベル1226
取り貯めた音楽をスマホで聴く その2

12月19日の続きである。 こちら→(2021/12/19)
新たにスマホを買うなら、iPodで持ち運んでいる音楽一式をスマホでも持ち運びできるようにしたいと考えた。

iPodの場合、パソコン上に「iTunes」というソフトを取り込み、このソフトと同期する「音楽ファイル群(フォルダ)」を作成して運用する。
このファイル群の大きさを確認してみると、音楽数が5千曲余りで、容量がほぼ60GBである。欲しい音楽は粗方取り貯めたと思われ、今後増える可能性はそう多くならないであろう。とすると今後増える量は2、30GBと見ておけば十分と思われる。
この事を前提にスマホの仕様を考えることにした。

先の値は持ち運び音楽のみの量である。その他にスマホ本体を動かす容量も必要になる。両者合わせると、最低でも128GB程度のスマホを購入する必要がある、と思われた。

iPodで運用している音楽類をスマホで運用する最も簡易な方法は、アップル系のスマホである「iPhone」を購入するのが一番である。おそらく、買い求めたらすぐに聴ける体制が出来上がるであろう。
ただ、これには問題がある。高価なのである。
「iPone」には外部ストレージ(SDメモリー)が取り付けられないので、全てを本体ストレージでまかなわねばならない。
アマゾンで128GBのiPone価格を調べると最近の製品ならおよそ10万円である。その上の256GBなら14、5万円する。とてもKらの買い求められる価格ではない。

ではどうするか。
アンドロイド系のスマホである。アンドロイド系のスマホには内部ストレージのほかに外付けでSDカードを装着できる仕様になっている。
(注)アンドロイド系でもその機能がないものもある。Kがこれ以前使用していたNEXUS5にはついていなかった。
本体を動かす内部ストレージとデータ類を保存するSDカードを別に考慮することができる。
しかも、SDカードは内部ストレージに比べて極めて安価なのである。

以上の判断に基づいて今回購入したのは、本体がAQUOS sence4である。 こちら→(2021/12/10)
内部ストレージは64GBでSDカードを装着できる仕様になっている。

SDカードは別に購入しなければならない。昨今は装着できるのはマイクロSDである。
容量は128GBとした。不足の事態になれば大きな容量に買い替えることができる。
アマゾンで調べてみた。
国産の東芝は4、5千円であるが、クチコミで評判の良いのを買い求めた。韓国、サムスン製である。
価格はほぼ2千円。今や国産品は性能、価格両面で外国産についてゆけないらしい。寂しい限りである。

装着に配慮はいるが難しいことではない。装着後電源を入れれば「SDが認識されました。使用しますか」という内容のコメントが出る。OKとすれば使用可能となる。

ここまでの手順でやってみて難しいことはないが、始めて実行の時は不安もある。
注意事項などを記載したネット記事など、確認はしてみた。例えば こちら→

以上でハード的な手続きは終了した。
次はアプリの準備などソフト的な動きになる。



2021年12月25日(土) ラベル1225
薪運び
今日は午前中から雨が降りはじめ夕刻からは雪になった。
天気予報では、明日から”数年に一度の寒波”が来ると報じている。
このような天気概況を元に、実は、昨日にしておいた作業である。

薪運びを実施した。


運搬車で運べれば雑作はない。
1時間もかけずに終了した。
後は寒波待ちである。



2021年12月24日(金)
年賀状に新技術二つ
遅ればせながら、ようやく今日年賀状印刷ファイルを作成した。
我が家の年賀状は粗方パターンが決まっている。
新年を祝う文字と簡単な近況報告を述べて、次に何らかテーマのある写真を数枚載せる。そして住所や電場番号などを記載という様式である。

写真の選択はMの役目。
その写真を元に印刷画面を作成するのはKの役目になっている。

KはExcelで作成する。
使い慣れた技法で作るのであるが、その中にあって今年は新たな技法を取り入れた。
しかも、2個である。


新年の「新」の字であるが、赤、黄色、青の3色のグラデーションがかかっている。
これまでも、1文字色を変えるということは承知していて多用してきた。
しかし1文字の中で色を変えるという技法は知らない。ところがある偶然で知ることになった。
Evcelでは出来ないがWordならできるらしい。
Wordを開いて試してみると確かにできる。
Wordで作成してExcel画面に貼り付けて作成した今年の「謹賀新年」の文字である。

このWordで行うグラデーッション文字の作成法をネットで探してみた。
「ワードアート」の文字にグラデーッションをかける方法はいくらでも検出されるが、通常文字にグラデーッションをかける法はなかなか出てこない。
ようやくにして一つ探し当てた。 こちら→

もう一つの新技法はQRコード。
昨今は新聞紙上やNHKニュース画面などにもしばしば登場する。
ホームページなどの誘導コードである。

今年の我が家の年賀状テーマを紹介するのに丁度良いページが我が家のホームページの中にあって、これを紹介する道具として思いついた。
QRコードの作成で調べると幾つも紹介される。
その中の一つで こちら→
で試してみた。
誠に簡単に作成できる。しかも無料である。
こうして作成したQRコードを年賀状画面に貼り付けた。
印刷した画面のコードをスマホで読んでみると、目的の我が家のホームページが表示される。
狙い通りの結果となった。

今日Mが年賀状を買ってくる手はずになっている。
明日から印刷して、そしてあて名も印刷して、ぎりぎり間に合う状況であろうか・・・。



2021年12月23日(木)
小修理 2題
小春日和気味の好天。ただし、明日からは寒くなるという。
一気に二つの小修理を行った。

一つは腐葉土製作場の囲い。支柱が1本腐り、囲いの横木が1本落ちてきた。以前からMの要請を受けていたもの。
もう一つはブランコ。ブランコを支える横木が片方外れて落ちている。ウォーキングの帰り道傍を通った時気がついた。Mに言わせると数日前から落ちているという。
風の強い日があって、ブランコが風に煽られて横にずれ、固定していた紐が切れて落ちたらしい。
横木に腐ったりなどの異常は無かった。

Kが作業をするときは事前に作業内容をシミュレーションして必要な道具一式をそろえて現場に向かう。
そろえた道具で間に合うときもあるが、不足して途中でとりに戻る時もある。成否の割合は五分五分というところであろう。


腐葉土場の方は問題なく終わる。30分程度の内容であった。

ブランコの方は少々難儀をした。ブランコ自体は台に乗せ横木に荷重がかからないように準備をしたが、横木そのものがかなり重い。
一気に上まで持ち上げることが出来ず、途中で一旦保持する必要が出てきた。これは事前に予想していない。
思案して思いついたのがロープでの仮止め。このためのロープを取りに戻った。
持ち上げてはロープで縛る、という作業を繰り返す方案である。

この方式で作業を始めたときに運よくMが傍を通りかかった。Mを呼び止める。
Kが持ち上げ、Mにロープを引きつつ支えてもらう。これを2、3度繰り返したら簡単に所定の位置まで持ち上げられた。
後は横木を紐で縛るだけである。
かれこれ1時間の作業となった。

ちなみにそれぞれ最初の製作時期は
腐葉土場 こちら→(2017/11/8)
ブランコ  こちら→  と  こちら→(2018/6/7)
時は経ち、問題が現れても致し方ない。



2021年12月22日(水)
しめ縄づくりと忘年会
八色石集落・老人会(龍和会)の催しである。

昨年はコロナ禍で忘年会が開けず、弁当を会員全員に配るのみで終わったが、今年は落着き気配があって催しを計画した。
しかも初めての試みで、しめ縄作りに挑戦するというイベント付きである。

10時に開会。2時間弱かけてめいめいしめ縄作りに挑み作り上げた。
材料調達と講師役は会の会長。こういう伝統技術には滅法強い人で、わら細工用専用に丈の高い稲をわざわざ作っている、というツワモノである。


しめ縄製作を終えて昼食会。弁当をとって缶ビール付きである。
参加者は予定では13名の希望があったが、用事が出来て1名欠席、開催を忘れていたという人が1名で、都合11名の参加となった。

昼食会の後は体操教室がいつも通り行われて、最後にケーキが出てお茶会となった。
以前は20名近くの参加者があったが、随分と減ってきた。寂しい限りである。

さて初めて挑戦のしめ縄づくり。Kももちろん初めての体験である。
忘備のために記録を残した。


1.わら、24本と10本の2束用意する。
2.24本束を8本づつ3つに分ける。
3.3つに分けた2つで左縄(それぞれ右側方向に捩って左側に束ねる)を綯う(なう)。
4.これに残る1つをやはり右にねじって先の縄の合間にねじり入れる。縄の先は10Cm位残して縛る。
5.縄を大小二つの輪を作って重ねる。和の上部を紐で縛る。紐の先は残す。
6.1項で用意した10本のわら束を、5項で作った輪の裏側にあて、5項で残した紐で縛る。
7.わらの先をそろえて切り落とす。これでしめ縄の基本部が完成となる。
8.飾りつけに、ゆずり葉、松、南天の葉、南天の実をそれぞれ2つ用意する。
9.順に乗せゆずり葉の葉で丸めて固め紐で縛る。
10.9項の飾りを7項のわら輪に乗せ紐で縛って固定する。
11.写真にないが、別に用意するウラジロ2枚を、10項の縄の裏に当て縛って完成となる。

(注)ウラジロの葉は枯れてすぐに丸まってくるので、飾るまでは水に浸して保存し、飾りつけをするときにセットするのが良い。



2021年12月21日(火)
師走の草焼き
今日は晴れでしかも11月後半の暖かさ、と予報がいう。
一気呵成で昨日の続きの草焼きをすることにした。
昨日の記述で草焼きが年内に終わるか半々としたが、草は立ち枯れているし、燃えやすいススキも雑じっている。
刈ってすぐではあるが燃える可能性は十分にあると踏んで、仕掛かることにした。

いつものことであるが、延焼防止には心を配る。
草は上から掻き下ろし、下した草をおよそ4分割してから後着火した。
火点は2か所。風向きと直上の木の枝や葉が熱で枯れないように配慮して火点とした。


案の定、問題なく燃え上がる。しかも燃え広がる心配のない程度に大きな炎にはならない。

着火後すぐは忙しい。火点周りの草を掻き集めたり、他の2か所の草を運んで火点の上になせたりなど。
そして粗方燃え終わると、後はゆっくりとなる。
15、20分位の間隔で点検に訪れ、火を絶やさないように周りの燃え残りを火の上に被せる、という作業になる。

午後1時くらいから始めたが、全て燃え終わるのは5時前の頃であった。

ともかく、これで里庭の秋草処理は全て完了となった。
K喜寿の年の草処理噺でる。



2021年12月20日(月) ラベル1220
師走の草刈り
わずかとは言え雪がある中での草刈りは初めての経験である。
一昨日の雪が周辺には散見されるが、風がなく寒さも左程感じないので思い立って最後に残る草刈りをした。
「リンドウ特区」の草刈りである。

リンドウが花を付け、実をなし、そして実を落として後に草刈りをすることにしていて、大方11月の終盤に草刈りをするのが慣例である。
ところが今年は、その慣例の時期に熊本行を行った。特区の草刈りができないまま、これまで日を過ごしていて、ようやく思い立って取り掛かったという次第である。


長年刈りなれたところで、1時間もあれば完了すると踏んで取り掛かったが、思いのほか足場がぬかるむ。
用心しながら行った性か、1時間半を要した。

あと、草焼きの仕事が残る。
これまでも越年したことがないことはない。
年内に終わるか、確率は半々である。



2021年12月19日(日) label1219
取り貯めた音楽をスマホで聴く その1
このほどスマホを更新した。 こちら→(2021/12/10)
それ以後も、付随する細かな設定などを行って後のこと、K用のスマホに新たな試みを導入することにした。
それは、これまでに取り集めた音楽類をスマホに取り込み持ち歩きが出来るようにする、という作業である。
この3、4日は試行錯誤も含めてかなりの時間をかけてこの作業に取り組んだ。
ほぼ成功したと思われ、この間の経緯を忘備の意味も含めて記載することにした。
1回には収まりそうにないので、数回に分けて記述する。

今日は1回目として、これまで(新スマホ購入以前)の経緯について触れて見る。

Kの取り貯めた音楽は、クラシックから、ポピュラー、歌謡曲、そして落語など曲数にすると6千曲あまりになる。
これらの曲を聴くには目的の曲を探し出す方法と、聴くための装置が必要になる。
探すための方策としては、曲ごとに、曲名、アルバム名、演奏者、ジャンルなどなどと符号を付けて、符号を元に探し出す(詳細は割愛)ことになる。
一方、聴くための装置として屋内ではNASシステムという方法を構築した。 こちら→(2017/9/5)
これによって、1階でも2階でも、場合によれば納屋でも聴くことができる。

そして屋外の場合である。
屋外用にはiPodを買い求めた。 こちら→(2020/1/31)
このiPodではiPod本体内に音楽を取り込んでいるので、電波が届かない場所を含めて、いつでもどこでも音楽を聴くことができる。


それではスマホではどうか。
スマホでも聴くことはできる。KはGooglePlayMusicというサービスを利用していた。 こちら→(2019/5/31)
この方法はストリーミングという方式で、音楽一式をスマホ本体でなくクラウドの上にあげておき、必要の都度電波を通じて音を拾い聞くという方式になる。
電波さえあれば、使い勝手の良いアプリで重宝して使用していた。

ところがである。このGooglePlayMusicというサービスが中止になった。 こちら→(2020/10/12)
代わりがYouTubeMusicというのだが、これが使い勝手がかなり悪い。望みの音楽がなかなか取り出せないのである。
致し方なく、スマホのみ携帯の時は音楽を聴くのをあきらめラジオを聴くという状態が続いていた。
そして遠出や通院など音楽を聴く可能性のある時は、スマホとiPodの両方とも持っていくという状態になっていた、という次第である。

そんな折に、スマホを更新することになった。
新たな挑戦の気が起きた、ということである。



2021年12月18日(土)
初積雪
昨日からテレビの天気予報で今冬初の大荒れと言っていて、そして予報通り昨夕からチラチラ降り始めた。
今朝になり、かなり積もったかと屋外に出てみたが、案じたほどのことはなかった。
目算で2センチメートル程度である。
それでも今冬の初積雪に変わりはない。


昼間は緩み、薄日が差すときもあって、すこしばかりは減ったりなど。
ただ、夕方からはまた降り始めた。
それでも予報によると、「今回の雪は峠を越えた模様」と報じていいるから、第1回積雪はこの程度で終了かもしれない。

昨年の実績を見ると 初積雪は12月14日であったが、薄化粧程度 こちら→(2020/14/14)
しかし年末には大雪となっている。 こちら→(2020/12/31)

今年も初雪は軽微で終わっても先は分からない。
それなりに覚悟はしておこう、と思っている。



2021年12月17日(金)
モグラ塚
里庭を歩くと直径10〜20Cm程度の盛り土に出会うことがある。
以前はこの盛り土の成り立ちが判らず、地下水が土を吹き上げたのかなどと推定していたのだが、この2〜3年はこの成り立ちは一応承知している。何時、どこで承知したかの記憶はない。
成り立ちはモグラが原因で、モグラが穴を掘る時邪魔になる土を地上に運び出しているものであるという。

数日前であるが、二の畑に、このモグラ塚の立派なものが出来ていたので写真にした。


これまでに何度か見たモグラ塚であるが、これほど完璧なものを見るのは初めての体験であった。

モグラが穴を掘った跡は里庭内でもアチコチにみられ好ましい生き物ではないが、生態について調べたことはない。
小欄の掲載を契機にネットで少し探してみた。


かなり地中深くに生活圏を作っているらしい。
モグラの一般常識を知るページもあった。 こちら→

また別の情報によると、捕獲するのは容易ではないらしい。
猪に比べるとその被害は些少なので、大方現状の付き合い方がこれ以後もつづくことになると思われる。



2021年12月16日(木)
母校訪問
熊本行の折りの話し。
いよいよ最終盤で、島根に帰る途中である。

計画は出発前から立てていて、帰途には母校九州工大によることにしていた。
学校のある戸畑は九州高速からは離れるが、沿岸周りの高速道が整備されていて戸畑駅近くで高速を降りる。
戸畑駅で確認したいものがあって探してみたが、駅が建て替わっていて目的のものは探せなかった。
後は、ナビをセットして学校に向かう。
駅から遠くはない。程なく到着。
見覚えのある正面玄関前の駐車場に車を止めた。

実は母校を訪ねるのは島根に帰郷後2度目である。
2003年に九州旅行を行ったことがあって、1度訪れている。


したがって、前回訪問からは18年振り、卒業からは49年振りの訪問である。


先の三井金属のとき機密保持と言って中に入ることを許されなかったので、おそらく今回もキャンパス内の見学は無理と思っていたのであるが、日曜日の性か守衛の人もいず出入り自由であった。
2003年の時も「本学関係者のみ」の看板があり、写真も胸像の個所までしかない。その時は内部見学はできなかったものと思われる。

兎に角、中に入ることにした。ほぼ50年前とは全く様子が異なる。
入学時は辰野金吾が設計した「旧講堂」が威厳を放ち、レンガ建ての建物もいくつかあったが、皆姿を消していた。
見覚えのある建物は、入学時は新しかった「新講堂」のみが覚えのあるものである。

それでも敷地事態に変化はないので、雰囲気は残る。金属棟はこの辺り、寮はこの辺りと、昔を偲んで奥まで足を運んだ。

そして最後にまた昔と同じ姿があった。
グランドである。
この風景はかつての姿と代わりが全くない。運動会の風景や、君原選手の練習姿などを思い起こし懐かしんだ。

かれこれ1時間余りいて帰途についた。
「九工大」は、Kの青春時代の思いでの中で三指に入る、晴れやかな”時の記憶”である。



2021年12月15日(水)
久し振りのサロン田家
ほぼ2週間に1回、水曜日に開催される「サロン田家」である。
用事と重なったり、横着気分でさぼったりがあって出席率はおよそ5割なのだが、今日は久し振りに参加した。

参加者はいつもの顔ぶれである。
自分の車で参加する人、送迎車でくる人、様々であるが今日は12名の参加があった。
これを迎えるスタッフ陣は3名。料理を作っていただく女性が2名。運動指導などの世話係男性1名である。

11時前に集まって会場準備や体調測定(体温と血圧)。
雑談ほかで待っていると昼食になる。


今日のメニューは写真で上から右回りで、手作りコンニャクの酢味噌和え、デザート(キーウィとパイナップル)、小豆と里芋の頭の煮物、石狩汁、鶏のから揚げ南蛮漬けとポテトサラダ、そして黒豆ご飯という豪華メニューであった。
誠に美味。普段の昼食の2倍の量を頂いた。

しばらく休憩。ここでKは大方昼寝。今日は30分程度。

1時過ぎから小1時間が体操教室。かなりハードである。
体操教室の常連は何とかついてゆくが、料理係の女性2人は結構ばて気味、継続の力を見せたりなど。

体操教室を終えると、会場を再び整えてお茶の時間。今日はケーキとコーヒーが提供された。

散会は午後の3時である。
これで会費は500円。
至れり尽くせりのサロンである。



2021年12月14日(火)
長男お手植えの桜
実はこの二日体調が悪かった。
特に起きがけが悪い。頭の前頭葉部がジンジンするような気がし、指先と足先もジンジンする気がする。
血圧を測ると高めの値にあり、13日などは一時190程度の時もあった。
例えると、血糖値不足でフラフラになったような状態と形容できるかもしれない。
再び横になって、少し寝るという状態であった。
そんな次第で小欄の投稿を、無理することもない、と考え止めた次第である。

折しもこんな状態の時に長男が帰省してきた。
実は長男は11月に東京から滋賀の大津局に転勤している。単身赴任である。

大津からは島根まで車で5時間程度。
我々の熊本行と同じ理由で、コロナ禍が落ち着いている今がチャンスと急に思い立ち帰ることになった。
2年振りの帰省である。
12日の11時前に我が家に到着、2泊して今日の午後2時過ぎに帰って行った。

孫がいないのは物足りないが、いれば孫中心の動きになる。今回は孫抜きで久し振りの親子3人であった。
特に出かけるわけでもない。3人それぞれ作業をしたりで、ご飯時に集まる程度。
それでも充実した雰囲気を味わった。

帰り際になって急に思いついた出来事がある。
義母のおすそ分けの桜の苗木があって こちら→(20121/12/6)
長男が帰ったら植えようとしていたのを、急に思いついて「長男お手植えの桜」にしようと、思いついたのである。
長男に声をかけると、やるという。
急いでの決行となった。


植付け完了の写真は長男が撮っていて、後日送付すると言っていた。
場所は雑地入り口で、県道からも見える。
20年もすれば立派な花を付けるであろう。



2021年12月13日(月)
本日休刊
2021年12月12日(日)
本日休刊
2021年12月11日(土)
寄り道で三井金属
熊本行の話し。長逗留の後半である。

Kが「観光はもういいのでは?」というと、「お父さんは待っている? 私らは行くよ!」と娘が言うので結局ついて行くことになった。
行く先は福岡県の柳川。
娘が運転、Mが助手席、Kは後部座席である。
海岸沿いを上る。途中、山の側面全体がミカン畑のところを通った。傾斜に石垣を積んで畑を作っている。
石垣を積む労力の膨大さに目を見張った。

更に国道501号を福岡県に向かい上る。座席に座ってスマホのマップを見ると、どうも大牟田市を抜けるらしい。それなら、三井金属の三池精錬所の近くを通るのではと思い始めた。
スマホで所在を探すと、「三井金属・三池事務所」とある。
それも国道501号をわずかに外れたところにある。
「行ってみようよ」と提案すると、ここは二人ともすんなり受け入れてくれた。
ここからは、Kがスマホを見ながらナビ。
若干迷ったり間違ったりなどして、ようやくにしてたどり着いた。


守衛所に行き、「20年前に三井金属を退職したもの。工場入り口付近の散策と写真撮影を許してもらえないか」と案内を乞う。
守衛さんは判断できずに電話、「担当のものが来る」と回答があった。
待っていると、男性社員がみえる。
名刺をもらい、Kも名刺を渡し、「20年前に退職。最後は神岡部品。三池には2、3度来たことがる」などの説明をする。
「折角来訪され、気持ちは理解できるが、昨今の企業機密保持の観点から工場内部の写真撮影は一切許可できない」と答えがあった。
ただ、「工場外から、景色として三井金属名くらいが写るものなら許可できる」と言って、しかも、「撮ってあげましょう」とカメラマンの役も引き受けてもらって撮ったのが下段左の写真である。

若干話もした。
「この周辺に幾つか工場があり、合わせると3千人位従業員がいる。」
「Kが訪ねた工場は現在の場所ではなく、『横須工場』で1キロメートル位離れたところにある。」
「私(社員氏)は35年前に入社した。」
などなど。

見送ってもらって三井金属を後にした。
車に乗ってゆっくり名刺を見ると、「副所長」「総務課長」の肩書がある人であった。

そんな出来事を経て、目的の柳川へ。
柳川では、「川下り」、「北原白秋記念館」、「うなぎ」を楽しみ熊本へ帰ってきた。


余談;
島根に帰宅後今回の出来事を思い出し、35-36年前は何をしていたかを確認してみた。
そのころのKの役は、工場が川崎から韮崎に移転するための”移転室次長”を担当している。こちら→
当時、新工場に見学者があれば、説明や案内は移転室が行うのが決まりになっていて、しばしばその役を果たした記憶がある。
一方、三井金属の決めごととして学卒の新入社員は、入社後本社での説明を受けたのち2週間程度をかけて国内にある工場を見学して回っていた。
新工場の韮崎工場にも当然来ているはずで、その時はKが説明役を担っていた可能性もある。
となると、Kは今回対応して頂いた”社員氏”と初対面ではない可能性も出てきた。
因縁めいた話で面白く感じ、記してみることにした。



2021年12月10日(金) Ravel1210
スマホ、本体更新
KとMのスマートフォン本体を揃って更新した。
二人とも同じ機種である。
機種はシャープの AQUOS sence4(SH-M15)で、外装の色はK用はシルバー、M用はライトカッパーである。
更新前の機種は、K用が韓国LG製 NEXUS5でM用がシャープのAQUOS SH−M04であった。


買い替えた動機はM用の本体の記憶容量が極めて少なく(Kが買い手配を間違えたのか?)データを消去しつつ使用していたのだが、ここにきてそれも限界にきて、また一方K用はバッテリーの能力が落ち、長時間使うと一日持たなくなってきて、それならと同時に更新を決心した。

我が家は元々アンドロイド派で iPhoneを買う気はもうとうなかったが、それでも機種選定には若干迷った。
日本製で京セラのものもと探したが価格の点で折り合いがつかなかった。
そして目前に5G時代が迫っていて、4Gか5Gにするかも迷った。ただ、5G対応機種の価格はやはり高価である。1台で2万円以上は高い。

そんな時に思い至った。我が家のSIMである。我が家は格安スマホ系。 こちら→(2021/6/2)
月当たりの電波使用量は二人合わせて3GBで、動画やゲームで利用することは考えていない。
それなら5Gにする必要はないと思い至った、という次第である。

そんな経緯を経て、AQUOS sence4と決定した。
4G対応であるが発売開始は2020年の11月で、古い機種ではない。
しかも、1週間はバッテリーがもつと長時間バッテリーが売り物の機種で、スタンダード(安価シリーズという意味)モデルである。
価格は、1台3万円強という品。

熊本から帰って仕様を決定し、5日にアマゾンに発注、8日に2台とも到着した。

着いた日にK用の設定を実施した。
古い機種のバックアップデータはグーグルに保存をしていて、これをダウンロードして設定をする。
うまくいくかとかなり緊張しつつの作業になったが、無事にし終えた。
9日にM用の設定。こちらは一度経験済みで、基本設定はそれほどでもない。
ただ、メールの設定でエラーがでて、この問題は今日、OCNに電話で問い合わせ解決した。特殊なメールアドレスを設定していたので、エラー原因はアドレスかと思っていたが、原因はパスワード違いであった。
(と、簡単に書いてはいるが、やはり設定を全て自前で行うというのは、数年ぶりに行う作業で、なかなか大変ではあった。)

この間に、画面を覆うガラスや本体を覆うカバーを発注。
これらが今日届いて、一連の更新作業を完了した、というところ。
細かな設定など残るところはまだあるが、通常の使用は問題なくできるという状態である。
流石に画面は綺麗であり、動作も早い。


補足;我が家のスマホ履歴
Kが始めたのは、2014年の5月で初号機はLG製のG2、タッチ画面が動かなくなり2016年9月に前述のNXOUS5に取り換えた。したがって今回が3台目になる。
Mは2017年の5月にスマホデビューし、今回が2台目である。
SIMは最初からOCNの格安スマホである。



2021年12月9日(木)
小春日和
朝玄関先に出ると大霜であった。
今冬では一番の大霜のように思われる。
予報ではよく晴れると言っていた。小春日和の一日になりそうであった。

午前中は雑用で出かけることがあった。
午後は好天に誘われ外仕事を少しする。この数日用があって外仕事をしていない。久し振りの外仕事になった。


今日一日の温度を取り出してみると、朝7時過ぎに最も低くなってマイナス0.1度になっている。温度が高いのは午後2時過ぎで11.9℃となっている。

2枚の写真は図らずも、ほぼ最低と最高の時刻に撮っていた。

小春日和の穏やかな一日の出来事である。



2021年12月8日(水) ラベル1208
「由布院行」
今回の熊本行の旅行計画はMと娘が立案した。

数日に渡りああだこうだと電話でやり取りしていて、
その間にMが私に「どこか行きたいところはないの?」と尋ねるので、あえて言えば「由布院」と答えた。
Mは既に湯布岳に登ったことがあってあまり気乗りはしなかったようであるが、娘に「お父さんは由布院に行きたいのだって」と言いつつ、由布院巡りを計画に加えてくれた。

由布院と答えたには理由があって、その本は今でも書棚に残っているのだが、若いころ心酔した雪博士の中谷宇吉郎の随筆選集の中に、由布院を尋ねた時の記憶を綴ったものが載っていた。
この選集の中にはあまたの記述が載っているのだが、この由布院に行ったという随筆のみが妙に記憶に残っていて、そう答えた訳である。

由布院を訪ねることが決まって後、その選集を取り出して、その件を読んでみた。
随筆のタイトルは「由布院行」となっている。

あらすじは
東京大学を前年卒業し研究室にいたときの夏休みに由布院を訪ねたという話。
由布院には叔父が住んでいて、その叔父は、別府に住むホテルの経営者に任されて金鱗湖周辺の6千坪の土地を庭園化しているのだという。
当時の由布院は未だ未開で、叔父は湖畔の藁ぶきの家に住み、育てた野菜や湖で獲った鯉でもてなしてくれたとある。1週間くらいいて、伸び伸びした気持ちになったという内容であった。
記述年月は大正15年5月とあるから95年前の話しになる。

そんな経緯で由布院へ行くことになった。
阿蘇の北側経由で湯布院に向かう。途中北側からの外輪山を愛でたので由布岳が見え始めたのは午後の1時半を過ぎていた。由布岳は既に雪で薄化粧している。
由布院駅で確認して真っすぐに金鱗湖を目指した。


由布院では金鱗湖が最も名高い観光地らしい。
コロナ下でも大勢の観光客で賑わっていた。

ただし、Kの主目的は「中谷」の匂いを探すことにある。
あちこちと探したが、どこにも見つけることができなかった。
外回りを歩いている時住民らしい人がいて、金鱗湖の運営者は誰かと尋ねたら、湖の畔に建つ神社の氏子連と答えが返ってきた。
致し方ない。昔、中谷宇吉郎が立った同じ地に足を踏んだという事実で納得することにした。

1時間余りいて帰途に就く。熊本県まで戻って黒川温泉で一泊した。




後日譚1;帰宅後、再度中谷宇吉郎選集を取り出してみた。第3巻の奥付脇に自書のメモが残っていた。


1970年はKが26歳である。往時を思い出した。

後日譚2;中谷宇吉郎の「由布院行」全文がネット載っていた。 こちら→

後日譚3;娘が金鱗湖周辺の「中谷」の匂いを探して教えてくれた。 こちら→
亀の井別荘という有名な旅館らしい。




2021年12月7日(火)
鍋の新レシピ
新たな鍋を試みた。

島根県出身のテニスプレイヤー錦織圭氏が「好物はノドグロ」と発言して以来有名になり、今や高級魚になったノドグロであるが、Mが江川沿いの魚屋で「キズモノ扱い」の出物を安価で買ってきたのが冷凍してあった。
これで鍋にしようと探したレシピである。 
レシピの作成者はKの好みの藤井恵さん。 レシピは こちら→

予めノドグロとネギを焼いておくのが味噌と思われレシピ通りの手順を踏んだ。


ノドグロと焼きネギと豆腐を入れて煮て、そこでノドグロのみは食し、その後に野菜類を入れて味わった。
結果は上々でる。
始めのノドグロも後半の野菜も美味。Mも「おいしい」と絶賛していた。

肉の鍋も良いが魚も良い。
今後、Kの鍋レシピの一翼を担いそうである。



2021年12月6日(月) ラベル1206
冬支度 その3
冬支度と言っても我が家ではなく、車で10分のところに住むMの母の家である。
母屋の裏の雪除けの設置で、毎年この時期に行うのを恒としている。
作業手順は決まっていて、Mの援助も含み30分余りで完了する。


今回はこの作業のほかに、義母が近所の人から桜の苗木を10本もらったとかで、半分を義母の花畑の端に植え残る半分を我が家用に頂いてきた。

義母は今年94歳である。
短歌をたしなみ、数年前には県知事賞を受賞したりで こちら→(2016/12/12)
矍鑠としている。

流石に寄る年波で、人並みに身体の不調を説くときもあるが、気持ちはまだまだ若い。
ルターの言葉と記憶するが「たとえ明日が世の終わりでも、私は今日リンゴの木を植える」の言葉どおり、桜の苗木を植えたいという気持ちが凄い。

野菜を手作りし、料理を多彩に作る。
今日も手作り料理を複数頂いてきた。

初冬の午後半日を義母宅で過ごしてきた、という話しである。



2021年12月5日(日)
阿蘇山
またもや熊本行の話し。
折角来たのだからと、娘夫婦が連日のように観光案内してくれた。
その中の一つ。阿蘇山である。

熊本と言えば何と言っても阿蘇山。二日に渡って阿蘇の外輪山を訪れた。
最初は阿蘇そのものを見るのが目的。外輪山を南側から見上げる方向に、草千里や米塚などを見て回った。
そして、二日目は大分に向かう途中で、外輪山を北から見下ろす方向に、大観峰からの眺めを満喫した。

何にし負う活火山で、その規模は圧巻であった。


外輪山は東西に17キロメートル、南北に25キロメートルあるらしい。山手線の直径がおよそ10キロメートルというから、直径でおよそ倍、面積で4倍にあたる。
この大きさを体感しただけで見る価値を覚えた。

そしてもう一つ。これまでの概念を一新したこともある。
Kは外輪山の成り立ちを、大きな火山の中心部が吹き飛んで凹みが出来たものとずっと思ってきたのだが、今回見た掲示板の説明によると、噴火によってマグマが飛び出し地中が空洞になって凹んだのという。
過去70余年思い込んでいたものが吹き飛んでしう、新たな知見であった。
大昔、27〜9万年前の出来事という。

ところで、Kはこの阿蘇外輪山を見るのが、初めてなのかあるいは2回目なのかという、疑念が付きまとう。
学生時代鉄道で九州を一人旅をしたことがある。
開聞岳や霧島は明確に訪れた記憶がある。ただ、その時阿蘇を見たのか定かでないのである。
ただし、何か遠くに連山を見たような記憶映像も残っていて、訪れた可能性も否定できない。

今次旅行から帰って若干調べをしてみたが、行ったという証拠も、行かなかったという証拠も見出すことができなかった。
茫洋さは残ったままである。

ただし、今回見た外輪山のの映像は死ぬまで忘れることは無かろう。ボケない限りは・・・。

補足;大観峰から眺める阿蘇五岳のシルエットが釈迦の涅槃に見えるのだという。娘が教えてくれた。
左側下の写真がそれ。確かに涅槃像に見える。



2021年12月4日(土)
猪穴の整備 その2
以前10月に実施したのと同じである。 こちら→(2021/10/18)
前回は少し時期が早いかなと思いつつ実施したのであるが、案の定早すぎたようで、作業実施後数日の内に再度猪が出て荒されてしまった。

以後は、出るに任せて放置していた次第である。
12月になり、猪の出没も少なくなったと思われ、そして外仕事も粗方終わってきて、再度猪穴の修復を思い立った。
場所は大きく分けて3ヶ所で、前回の作業場所の「別棟」、「大傾斜」そして「再生雑地」である。

今日は「別棟」の作業をした。
これまで猪穴の整備と言えば使用する道具は決まっていて、アルミ製の三角鍬と鉄製の細めの鍬の2本を持ち出していた。
ところが今日はふと思いついて、別の道具も用意した。追加したのは先が3っつに割れた鍬(当地ではマグワという)とレーキである。

実際に使ってみると、マグワが具合よかった。特に「別棟」は石ころが多数雑じっていて、このような石まじりの場所ではマグワは重宝と思われた。


作業は大きな掘り起こしを埋めるだけで、小さな凹凸は埋めようが無いのだが、小さな凹凸は風雨で均されるので問題はない。
今回は「別棟」の全エリアを作業したが、1.5時間の作業になった。

それにしも、穴を修理しつついつも思うのは、猪の鼻先の凄さである。
我々は道具をもって穴を埋める。道具無しでの作業など予想だにできない。ところが猪はこれを鼻先で行う。出没した回数は1回ではないかもしれないが、掘り起こされた穴は膨大な量である。

生きるために、この掘り起こしを毎日繰り返しているのであろう。
生きるのは至難なことだと、教えられる。

それに比べれば、我々の労力は大したものではない。
年に数度の穴埋めなど、問題ではないと思われた。



2021年12月3日(金)
娘の宿題
またしても熊本行にまつわる話である。
帰りが近づいてきたある日、「お願があるんだけど」と娘が言ってきた。
ここで使い道を記述はできないが、パソコンである図面ができないかという。

具体的には、横に少し長い四角形があって、その四角形を縦方向に均等に割った線をいれるというもので、四角形の寸法と区割りの数を任意に設定できるというものであった。
大凡の寸法は、横で15センチメートル位、区割りの数は100程度という話しである。
「帰ってからやってみる」と返事をして帰宅した。
昨日からその作業に取り掛かったという次第である。

作業で基本になるのが、任意の数の線をどうやって入れるか、ということになる。
通常なら、指定された横の長さを区割りの数で割ってその数値ごとに縦線を入れていく、と考えるのが常套であろう。
しかし、今回は別の考え方を採用した。それは以前別の作業で実行した方法である。

Excelで予め横に長い桝目を作っておく。
桝目の数は区割りの最大値にする訳で、娘の希望は100程度とあったが、手間は同じなので今回は500個とした。横に500個、罫線を入れた桝目が並ぶ格好になる。
次の手順は、区割り数ほどの桝目をコピーして、所定の場所に”「リンクされた図」で貼り付ける”事を行う。
貼り付けられたのは「図形」になっているので、伸縮が可能で、指定された縦横寸法に合わせて図形を伸縮させれば出来上がる、という考え方である。

他にも色々配慮する事項はあるが、何とか作り上げることが出来た。
当初はA4用紙を縦方向で印刷できる寸法で仕上げて、娘にメール添付で送付したら、「欲がでた。横方向で30センチメートル程度まで欲しい」と返事がくる。
結局、A4を横に印刷して2枚に貼り合わせ、横に最大48センチメートルまでは可能なものにした。

出来上がったもののパソコン画面である。


左が、表面に現れた画面で、所定値を入力して「図形の作成」ボタンを押せば瞬時に図形が描かれる。
右が、その裏で動くプログラムの一部で、この指示によって操作がされることになる。

印刷したものは次になる。


昨日は昼間に始めて深夜までかかり、今日は娘の要望を入れて修正を施し、全て合わせて10時間くらいはかかったかもしれない。
娘からは「仕事が早いね、お父さん。 ・・・・・ 」とLINEを通じて返事が来た。


少し余談;意外と手間取ったのが、出来上がった図形を消す操作を自動化する個所である。手動で行うなら、図形をクリックしてキーボードでDeletとすれば良いのだが、この自動化がなかなかできなかった。
理由は、図形を作成する都度、図形に連番が振られ、その連番の値が取得できないのである。
あれこれやってみたが結局分からず、ネットに相談して、「指定した場所(セル)にかかる図形を消去する」という方法で消去を可能にした。
ここに記載したのは、ネットに載っている記述をほぼ真似て作成したものである。
この「図形消去」だけで3、4時間かけたかもしれない。



2021年12月2日(木)raberu1202
落ち葉掻き
先日の公孫樹の落ち葉掻きに続いて第2弾になる。
場所は、一の坂、栗の木ベンチ、一の坂脇と名付けたところ。

昨年はこの落ち葉掻きの葉は焼いたのであるが こちら→(2020/11/26)
Mに問うと、腐葉土作成場に積んで欲しいという。
運搬車で運んで、作成場の上から落とし込むという手順になった。


葉はかなり乾燥していて嵩張る。
運搬車では葉を乗せるたびに上から抑え込み、作成場でも下すたびに上に乗って踏みしめるという状態であった。

運搬車で運んだ回数は5回。
午後の1時から始めて4時までかかる作業になった。

寒いかと思い着こんで作業を始めたのだが、思いのほか暖かく、また陽の指す時間も長くあって、心地よい作業であった。

これで雪の前にどうしても行いたい作業は大方終えたことになる。

頭を巡らせば残るものがないでもないが
そして、熊本行の性で昨年より作業が遅れてはいるが、後は、まあぼちぼちと執り行うつもりでいる。




2021年12月1日(水)
決済処理の様々
今次熊本行にまつわる話しである。
旅行経費はMが現金で一括処理したが、その他にKが個人的に買い物をしたこともある。

Kの買い物行動は原則キャッシュレスで行うことにしていて、「Edy」によるカード決済である。
この方法は2年前に確立した。 こちら→(2019/9/22)
その他に昨今は(1月前から)Edyが使えないところでクレジットカードを利用するようにしていて(本件については別稿で記載することもあろう)、今次旅行でもクレジットカードの併用を試みた。
今日の話題はこれらの決済処理をしたときの話しで、島根の日常で体験できないものにも触れたので記して見ることにする。

今回Kの買い物は8件で、レシートを持ち帰った。


内訳は、Edyが3件、クレジットカードが3件、現金が2件である。

現金の2件はキャッシュレス決済ができなかったところであった。
うち1件は高速道のサービスエリアでのこと、食べ物の食券売り場で現金しか受け付けなかった。
そしてもう1件は熊本市内でのこと、ドラッグストアで薬を買ったら現金しか扱っていなかった。激安のドラッグストアで、コスト削減の一環かもしれない。ドラッグストアと言えば、キャッシュレス販売の最先端と思われがちであるが、都会の店には多様な姿が存在していると見える。

次はクレジットカード。
必ずしもEdyが使えないところという区別をしていなかったの、ここのところは曖昧である。
結果的には3ヵ所でクレジットカードを使用したが、その処理方法がそれぞれ異なった。
島根でクレジットカードをを使うときは、認識装置にカードを差し込み、装置に付属したテンキーで暗証番号を入力していたので、クレジットカード決済では暗証番号を入力するものと思っていたら、これが違っていた。
あるサービスエリアで前列に出店のようなものがあって、ソフトクリームを買いクレジット決済としたら、カードを差し込むだけで暗証番号の入力は不要で決済された。「暗証番号は?」と尋ねると「内では不要です」と返事が帰ってきた。暗証番号不要で決済ができるとは、新たな認識であった。
もう1件はギャラリー風の店で陶器を買った時のこと。「クレジットカードが使えますか」と尋ねたら店主が「使えます」といって、ポケットからスマホを取り出し何かのケーブルに接続する。そして、「スマホにカードを乗せて下さい」という。指示に従うと、何やら信号のやり取りがあって、次に別の画面がスマホに現れ「画面に指で名前を書いてください」と宣う。指示通り、スマホ画面に自分名を指でサインすると、決済が完了した。
こんなやり方もあるらしい。
昔、クレジットカード決済と言えば支払票にサインをしていた気がする。これの現代版と思われた。
もう1件は島根での方法と同じ、暗証番号を入力するものであった。

残りはEdy。
これはどの店も同じで、「Edyでお願い致します」といって、カード読み取り機にカードを乗せるだけ。
「シャリーン」と音がして、決済完了である。
事前にチャージしておく必要はあるが、使える店ではこの方法が最も勘弁であった。
「○○Pay」というスマホ決済より、チャージカード方式(FeliCa方式)の優位性を説く論説 
 こちら→(2019/11/5)
に改めて納得した次第でもある。

こんな経験もして帰ってきた。