(写真をクリックすると、大きな写真が表示されます)

Kの散歩帖
2022年6月30日(木)
「暮らしの手帖」 蔵書リスト その2
大分前の話になるが、邑南町図書館の石見分館に、古い「暮らしの手帖」の蔵書を見に行ったと記載した。
 こちら→(2022/6/11)

訪ねた日は土曜日で正規の職員さんがおられず、詳細は不明としたが、その翌週の月曜日になって、正規の職員さんから電話があった。
その話を要約するると、
 ・寄贈を受けた「暮らしの手帖」はカウンターに並べたもの以外にまだたくさんある。
 ・これらの蔵書はまだ整理が追い付かず、蔵書リストとしてデータベース化されていない。
 ・ただし蔵書の寄贈者が、寄贈時に「寄贈リスト」として整理された、紙ベースのリストならある。
という内容である。

それなら、「そのコピーをいただけないか」と尋ねると、快く「いいですよ」との返事がある。その快さに便乗して「コピーを本館まで送ってもらえないか」とお願いすると、こちらも「いいですよ」との返事をいただいた。

数日たって本館から「コピーが届いている」旨の連絡が来て、今回図書館を訪ねた折りそのコピーを受け取ってきた。


1953年から2011年まで、途中何冊かの欠番はあるものの、321冊の膨大なものである。

寄贈者の詳細はもちろん伺えないが、話の端々から推測すると、邑南町在住者らしい。
この田舎町に、昭和28年から「暮らしの手帖」を購入し、しかも保存しておくという、”文化人”が居るとは、と大いに驚いた。

とても全部見ることはできないが、折に触れ借り受け、その時々の時代を振り返ってみようと思っている。

追記;6月11日に、「暮らしの手帖」は年に4回の発行と記載したが、誤りで、1955年以降は年5回、1970年以降は年6回となっている。



2022年6月29日(水)
えんどうの青煮
「えんどうの青煮」を作った。今年になって2回目である。
第1回目は畑から直接えんどうをと採ってきて作り、今回は採ったえんどうをMが前処理して冷凍保存したものを使用した。

参考にするレシピは「土井勝」さんの料理本に載っている。
この料理本は、元々はKの母が所有していたもの、今は台所にあるMの料理本棚に一緒に収めてある。
本の裏表紙を開くと父の字で購入日が記載してあった。昭和51年とあるあから今から46年前のことになる。
この料理本をKが参考にするのは、今のところこの「青煮」のみである。


むつかしくはない。
えんどうを茹で、別仕立ての鍋でだし汁を作り、茹でたえんどうをだし汁に入れる。
一煮立ちさせてあとは急冷するのみ。

Kの急冷場は山水の落ち口。渇水で水の出は悪いが、それでも30分ほど浸けているとほぼ水温になる。
あとは食べるのみ。
物静かな味で食べると、心が落ち着くような気になる。

えんどうの出頃は、必ず一二度作る惣菜である。



2022年6月28日(火)  ラベル628
定例検診
年に1回の定例検診に行ってきた。
場所は広島県南部にある、安佐市民病院という。
毎年受診結果を小欄に掲載していて、昨年は こちら→(2021/6/29)

腹部CT、心臓エコー、心電図、胸部レントゲンの検査を受けてその結果をもとに医師の検診をうけるという大がかりなものである。
今年の検診結果も「あちこちに異常は見えるが、昨年に比べ悪化の兆候は見られない。来年また様子をみましょう」といういつもの通りとなった。
とりあえず、1年やり過ごしたということになる。

と検診結果は何事もないのであるが、それ以外のことで大事件に遭遇した。

朝の6時半ころ家を出発して、病院に向かう。
病院には8時過ぎに到着した。込み合っているかと心配しつつ入口に向かう。特に込み合う雰囲気は見えない。
入口を入ろうとすると、大きなスライド壁があって、係員がその壁を開けて中に誘導してくれる。
入って驚いた、病院が壊され始めているのである。

その時になってようやく気が付いた。
病院が新しく立て直されるということは以前から聞いていた。ただ、いつ移転するのかは確認せず、いまだこことばかりに来たのであった。
そのうち、係員らしい人が近づいて来て、「移転したのですね?」と聞くと「今年の5月に移転した」と答えが返ってきた。
場所を聞くと、車で10分のところらしい。「あき亀山駅」のすぐ前とのことで、ナビを設定しようとしたがナビが古く受け付けない。道順を聞いてようやくたどり着いた。


これまでとは異なり、白色を基調とした大きな病院である。
受付を済ますと、案内の人が近づいて検査場に行くよう案内される。
検査の受付で受付を済ますと、次々に検査が始まった。
一連の検査が終わると、「やすらぎ広場」と名づけられた総合待合所のような場所へ行くよう指示がでる。
ここに大きな掲示板があって、検診の順番が表示される仕組みらしい。
最初はその仕組みが理解できず結構大変であった。

当該の先生は一人当たりの診察が丁寧なのか、診察時間はいつも遅くなる。
検査は10時過ぎに終わったが、診察は12時を過ぎると覚悟をした。
その合間に病院の外観を写真に収めるなど。

結局、診察が始まったのは14半過ぎ、病院を出たのは15時を過ぎていた。

受付から会計まで、手続きが何もかも新しい。我々は何とかついて行けたがさらにお年寄りは、理解するのが大変であろうと推察する。
疲労感が残る一日であった。



2022年6月27日(月) ラベル627
「Summer room」 その6
前回、こちら→(2022/6/16)
の続きである。
今日は付属品の話。
その後も思いつく付属品などを導入し、居住環境は少しづつ改善されていて、今では住み心地がかなり良くなった。


まず、主目的のパソコンであるが、途中にWi-Fi中継器を設置してWi-Fi経由でネットに接続できるようにした。
2階においていた時と同様に使うことができる。普段使用するデータ類はOneDrive内に保管していて、どのパソコンからもアクセスでき、不便なく使いまわしができている。

机の下の敷物。いったんは布製のものを敷いてみたが違和感が残る。Kの実家から持ち帰った筵(むしろ)を敷いてみたら、見事に調和した。
部屋の雰囲気向上に役立っている。

部屋へは土足で入ることになるので、入口に土砂除けのマットを敷いた。市販品の新規購入。

納屋の大掃除の折り、昔使っていたサーキュレーターが出てきたので使用することにした。屋外空気の吸い込みと、扇風機代わりの目的である。
置台を2個作った。右が網戸なしの空気吸い込み、左は網戸越し。左は、外に出るときの邪魔になるので、不要な時は跳ね上げる構造になっている。(赤丸印)

素焼きの器。植木鉢の底をボンドで塞いで作った。素焼きの表面に染み出た水分が気化するとき熱を奪うので、その効果を狙ったクーラーである。
かなり以前、インドか何かで素焼きの甕をクーラーとして使っていると読んだことがあって、作ってみた。
効果はほとんどない、と思われる。

リクライニングの椅子とセットのオットマン。神岡時代に購入したもの。
捨てる話が持ち上がっていたが、待てよと思い、今回使うことにした。座席のへこみを修理したり、屋外で天日にさらして滅菌したりなど少々時間をかけた。
紺色カバーはMが今回提供してくれた。
寝心地満点で、昨今昼寝はもっぱらこの椅子上である。

昔、若干因縁のある仏像をこの部屋においていたのであるが、ある継起があって2階自室に移動していた。
 こちら→(2016/5/20)
この仏さんを、今回の出来事を機にまたこの部屋に戻すことにした。
その時同時に、香りのよい線香を持っていて線香立てと一緒にこの部屋に移し替えた。
香りがよいのでちょくちょく線香に火をつける。
この線香が蚊取り線香の役目も果たすのか、蚊が全く入らない。
予期せぬ効果が出ている。

と、こんな格好にとりあえず落ち着いた。
当初予想していた以上の出来栄えと自賛している。



2022年6月26日(日) ラベル626
川の草刈り
集落を流れる角谷川の草刈りが行われ参加した。

この草刈りは昨年も行われ こちら→(2021/6/27)
今年はどうするかが先般の常会で議論され、「やろう」という意見が多数で実行されたものである。

参加者は14名。昨年より少なかった。


草刈りの距離はおよそ300メートル。
はえているものの大半は葦(よし)であるが、一部には細い竹が生えている個所や猫柳の木が茂るところもある。

昨年に続いて実施ということで邪魔物が少なかったのであろう、人数が少なかったにもかかわらず8時から初めて10時には終了した。

梅雨の合間の、どんよりとした蒸し暑い天候で、短い時間にしては強い疲労感が残った。

今年もKが最年長者。
先の疲労感は、気候の性ではなく年齢の性であったのかもしれない。



2022年6月25日(土) ラベル625
濡れ縁 3台目
Mの要望による濡れ縁の製作である。3台目。
2台目が終わったのが6月8日であるから、 こちら→2022/6/8)
大分間が開いたことになる。

そこから材料を発注し、数日後に納入があって、そして意を決して着手した。
6月22日が 材料切断 およそ3時間
23日が 座枠の組み立てと座板張り 3時間
24日が 脚部組み立て、3.5時間(勘違いで誤組み立てを一部行い、修正も含め無駄に1時間消費した)
そして今日が ダボ打ちと仕上げである。 1.5時間。
合計で11時間を要したことになる。


前回が13時間であったから、これに比べると少しは慣れて要領がよくなったということであろう。

前回終了の時は、道具類一式を片づけたが、今回はそのまま置いてある。
近いうちに4台目に掛かる積り。
もうひと頑張りである。



2022年6月24日(金) ラベル624
雨が降らない
今年は異例で、中国地方より先に関東地方などが先に梅雨入りした。
中国地方が梅雨入りしたのは6月14日で、この日は少々雨が降り慈雨だと喜んだが、その後は梅雨入りしたにもかかわらず一向に雨が降らない。
備忘録を繰ってみても、その後は曇りや晴れの文字ばかりで雨の文字は見当たらない。

ところが一転して今日は雨の予想であった。NHKの県内予報でも邑南町は昼前から雨マーク。
今日は降ってくれると信じていた。
仕事の予定もそのつもり、納屋でする仕事を予定した。

さて、結果である。
午前中は曇りで暑い。午後になると雲が厚くなってきて降るかと思っていたが、実際に降ったのは午後3時を過ぎたころ少し降った。ただし、すぐにやみ、また雲が薄くなる。

夕刻になって、一時強い雨が降って、さては本格的にきたかと思ったがこれも一時でまた止んだ。

直線距離で1キロメートル離れた公民館に設置された県の雨量データである。


合計で26ミリメートル。焼け石に水ほどの力もない。

集落の知人の声では、これほどの水不足は近年では珍しいという。稲作に影響がでると話が出ていた。



2022年6月23日(木) ラベル623
トマトすき焼き
「夏でも鍋!」のKの献立では、毎年この時期登場するレシピである。

昨年は  こちら→(2021/7/14)
一昨年は こちら→(2020/7/20)

今年は早々と登場した。


甘みの強いタレが、トマトや玉ねぎによく合う。
今年はレシピに記載のない、チシャ(菜)も加えることにした。

チシャ菜は炒めたり煮たりしても美味しいと知って こちら→(2022/5/23)
の試みである。

トマトはこれからが本格的な取れ時期。
今年の夏中に、このトマトすき焼き、数回は登場することになろう。



2022年6月22日(水) ラベル622
暮らしの手帖22号に中谷宇吉郎
先日、暮らしの手帖の古いものを借りていると記載した。 こちら→(2022/6/7)
その暮らしの手帖は再度借り直して未だに手元にある。
思いがけない記事がたくさん載っていて、借り直したという次第である。

その中の一つ。
中谷宇吉郎氏が書いた記事が載っている。
中谷宇吉郎については小欄に何度か記載した。そのうちの最新記事は こちら→(2022/2/12)
その中谷氏の記事である。

1953年(昭和28年)に書かれたもので、当時氏は家族と一緒にアメリカ・イリノイ州に住んでおられたようである。


諸外国の食べ物について特集した記事の様で、中谷氏はアメリカの食事の事情を述べている。

昭和28年といえば戦後間もないころで、それでも多くの人が外国に出て、それぞれの食べ物事情に触れているのに少しばかり驚いた。

そして中谷氏は、アメリカの食事事情を冷蔵庫の普及に関連付けて述べている。
今や冷蔵庫は電気を使うものでわざわざ「電気」を頭に付けないが、「電気冷蔵庫」と記載があるのも面白い。当時日本では電気でない冷蔵庫が存在していたのであろう
「町と名のつくくらいのところなら、9割5分以上の家庭に電気冷蔵庫がある」との記載もある。
「もちろん御用聞きという制度というような制度はないので・・・」とあるから、当時日本には「御用聞き」が残っていたのであろう。
「チキンのフライならば、パン粉までつけてある冷凍鶏肉を、フライパンに放り込めばよい」と驚きを持った感想の記述もある。こちらは、今では日本も同じ。

などなど一々書けば切りがないが、これら記載を読めば、今の日本の変わりように驚き気付く部分が多い。

「暮らしの手帖」はその時代時代の暮しぶりが読み取れる。
そんな意味で、昔の「暮らしの手帖」は面白い。
時折り借りてきて昔を偲んでみようと思っている。



2022年6月21日(火)
名演奏家2人
今日の読売記事である。
演奏家として名高い2人の音楽人が来日中という。
来日のことは始めた知った。


音楽家としての2人は、Kも承知している。

以前Kは「名曲・名盤」を集めるという作業をした。 こちら→(2021/2/20)
この一連の作業の中で承知し、2人が演奏するアルバムも収録している。
今回、小欄を記載するにあたり、2人のアルバムを幾つ収録しているか数えてみた。
アルゲリッチ氏のものが13曲、クレーメル氏のものが3曲であった。
中には2人が共演しているという曲も1曲あった。

今回の新聞記事で、Kの関心事は、話しの内容もさることながら特に二人の近影である。
これまでに二人の顔写真は何度も見た。
但し、古い。そして若い。
何故なら、先の「名曲・名盤」作業で見たもので、CDジャケットに載っている写真であるからである。
代表的なものを示すと次である。


左が、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「春」を収録したもの、1987年のCDで2人が同時に写り、アルゲリッチ氏が46歳、クレーメル氏が40歳と思われる。
右の写真は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を収録したもの。1994年のCDでアルゲリッチ氏がCDの発売年から逆算すると53歳と思われる映像である。

この時の映像に比べると、今回の記事に写ったお二人は相当歳をとっておられる。
それでも、昔の雰囲気が感ぜられ、特にアルゲリッチ氏の髪が今でも長くぼさぼさであるのは面白かった。

いずれにしても今回の記事のお陰で、この二人の演奏家がKと同じ世代の人で、同じ時代を生きている事を承知し、具体的に感ぜられる人の気がし始めた。



2022年6月20日(月)
因果応報
「再生雑地」と呼ぶ場所でのことである。
通常なら春の時点で完了させる作業なのだが、今年はなんとなく手を付ける気が起きず、そのまま放置していた。
イノシシ除けの電柵の一部である。
40メートル程度、壊れたままで、設置していなかった。

昨日のことMが「イノシシが出ている」という。
今年は出るなら再生雑地ではなく墓の奥と思っていたので、「墓の奥?」と問いただすと、意に反して「再生雑地」と返事が返った。

行ってみると、予想以上の荒らしようである。
小さいもので直径1.5メートルくらいの円形、大きいものは幅2メートルで長さが5メートルくらいの楕円形。深さは30センチメートル以上ある。
合わせて7、8個の穴が掘られていた。

慌てて電柵を張ることにした。
電柵個所の草刈りが最初の手順。Mも刈ってくれていて、残りの部分を草刈りした。
昨日のことである。

そして今日は、電柵張りと穴修理。


道具類一式持って行って電柵を張った。この作業は大したことはない。30分余りで終了した。

次が穴埋め。
これまでの経験で、穴埋めにもっとも適した道具は、当地で「まぐわ」と呼ぶ先が3つに分かれた鍬である。
周辺に掘り上げられた土を掻き揚げて戻すという作業になる。
午前中1.5時間作業したが終わらず、中断。
午後も行って、1時間作業を実施してようやく埋め終えた。

春先に行えば草刈りはほとんどない。30分で終わる電柵張りをさぼった結果がこの始末である。
まあ、因果応報と自分に言い聞かせるしかない。

それにしても、イノシシの生命力には驚かされる。
おそらく、1頭のイノシシの1夜の仕業と思われるが、これほどの穴をあけてどれほどのミミズを得たのであろう。
イノシシに生まれなくてよかったと思う次第である。



2022年6月19日(日)
本日休刊
2022年6月18日(土)
サツキ、ツツジの剪定
集落の草刈り時 こちら→(22/6/5)
剪定用のバリカンを取り出して行事に参加するのだが、その後もバリカンは収納せず出しておいて、我が家の剪定作業に取り掛かるのが恒例になっている。

今年も3日掛かりで実行した。
一昨日は、「横庭」町道沿い、昨日は横庭の残りと「欅台」を剪定した。
いずれも午前中の作業でそれぞれ各2時間、合計4時間を要した。
そして今日は切り落とした枝類を、枝の焼却場まで運び込む作業である。


今日の運搬は、運搬車3台分。
時間はこちらも2時間であった。

昨年は欅台の作業の着手がずれ込み、結局せずじまいという経過を経ることになり、バリカンがいつまでも仕舞うことなく放置されていたが、今年は一気呵成にことが成り、バリカンを仕舞うことができる。

仕事は”こうでなくては”と自戒しつつ、できた今年は、気分がなんとなく晴れやかである。



2022年6月17日(金)
新発明の蚊取り線香立て
ベンチを設置して以降 こちら→(2022/5/20)
初めての来賓を迎えることになった。
小欄に何度か登場いただいたAさん夫妻である。 例えば こちら→(2022/1/2)
小欄をいつもご覧いただいていて、ベンチのことも承知済み。
ベンチ周りで一時過ごすことにした。

ただし今日の主題は催し自体ではなく、その準備をしていた時の話でなる。

そばの「二合庵」には催しに必要な道具類一式を収める箱を置いている。
中には虫よけのための蚊取り線香も収容している。
蚊が来そうな気がして、前もって蚊取り線香をつけておこうとした。
箱を開けてみると、蚊取り線香自体はあるのだが、蚊取り線香を保持する器具が見当たらない。
さては置き忘れたか、と二合庵周辺を探すが、ここにも見当たらない。
母屋まで戻ればよいのだが、それも面倒。
何か手はないかと思い始めた。

はじめに思いついたのは枝にぶら下げる方法である。近くの小さな木の枝にぶら下げた。1本はOKである。
ただもう少し欲しいがそれができない。
そうこうしているうちに閃いた。”枝がなければ枝を作ればよい”という案である。

周りに落ちている小枝を拾ってそれを立て、これに蚊取り線香をぶら下げるという案である。


(今回は写真掲載の了解を取っていないので
少しばかりモザイクを施した)

試してみるとまことに具合が良い。
ちょっとした雅趣もある。

参加者の評判も良い。
特許申請とまではゆかないが、新発明と悦に入っている。



2022年6月16日(木) ラベル616
「Summer room」 その5
昨日の続き。
今日は音楽再生の話である。

この部屋での音楽再生を以前試みたことがある。 こちら→(2017/9/6)
その時は一応成功したが、部屋の整備がしてないため、結果的にこの部屋で音楽を聴くことはほとんどなかった。
その装置は今でもそのまま置いてある。


オンキョー製である。製作年を知りたくて蓋を開けると銘板があった。「X-100]とある。
ネットでオンキョー情報を調べたら、次の情報にたどり着いた。


「x-1」とある。「x-100」は後継機種であろうから1971年(昭和46年)以降のものであろう。昭和50年前後に製作されたものと思われる。

この機器を以前試してからすでに5年を経ている。
今回改めてカセットテープを聞いてみると、問題なく音が流れた。
昔取りためたカセットテープは全てこの部屋においていて、落語のカセットが90本、クラシック音楽のカセットが130本、軽音楽のカセットが40本ある。
落語は別にして音楽類は1991年(平成3年)以降、ほぼ10年近くかけて取りためたものである。
全てといっていいくらいがエアーチェックによる録音。
取りためたころを思い出し。テープを聞くのも懐かしい気がして面白かった。

次は最新のデジタル録音の再生である。
先に記述したNASで聞く方法もないではないが、今回はパソコンをこの部屋に持ち込んでいる。
わざわざNASを介せずとも、パソコン内に保存した音楽を再生するほうが簡便である。
パソコンと「x-100」とを直接つなげば、これで大音量の音楽を聞くことができる。

つなぐ方法は2つ、有線か無線。
最初は有線を試した。この線は先のNASのものがそのままのこっていて、試すと音は出る。ただしノイズが大きい。調べると、自作した有線そのものに不備があるらしい。
有線をやめ、無線の方法を調べることにした

方法を考える。
パソコン(スマホ)から出るBuluetooth情報を受信し、そのデータをケーブルで「x-100」につなげば音が出る装置があればよい。
少々難儀したが、思い描くものがアマゾンで見つかった。


入手して試すと問題なく音が出る。(上記写真、下段右)
ノイズもなく、また長い線が不要なので見栄えも良い。

1970年代の機器に現代の装置を接続するという不思議な組み合わせの再生装置が完成した。
これで昨今取りためた音楽全てを聞くことができる。



2022年6月15日(水)
「Summer room」 その4
一昨日の続きである。

部屋に入ると正面はガラス戸で窓外に緑が広がる。
部屋の構想をいろいろ考えているとき、窓越しに外に出られるようにならないかと思い始めた。
幸い窓を支える腰壁は低い。少し工夫すると可能と思われた。
ただ、窓の外側にはMが管理する花類が植えてあって、そのことをMにいうと、必要場所の花をすぐに除けてくれた。

最初に外側の階段である。
母屋の裏で椅子代わりにおいてある木の切り株が沢山ある。この中から高さの異なる切り株を2個選んで階段にすることにした。
おいてみると、具合が良い。少しぐらぐらするので、鎹(かすがい)2つで固定した。
ただ、これのみでは安定性に不安が残り、手すりを設置することにする。
何か良いものはと物色すると、恰好のものが見つかった。前住者の残し物で、田んぼの草取り機の柄である。
鉄パイプを打ち込んでこれに柄を固定したら、風雅な手すりが出来上がった。
昇降を試してみると、腰壁は低いといいながら、少し違和感がある。
部屋の内側に10センチメートル程度の踏み台を作った。
これで出入りに問題ない。


出入りが可能になったら、屋外に座る装置が欲しくなる。
まずテーブル。
脚は先ほどと同じ切り株とし、台はMが何かの時にと保管していた桶か何かの蓋。裏返して固定した。

次は椅子。
最初は折り畳みの布製の椅子を用意した。しかし、これでは置きっぱなしにできない。
他の手はないかと納屋を探したら、フレームは木製ながら座面がスポンジとビニールの椅子が目に入った。座面の一部は破れており、廃棄を考えたほどの古物である。
布製よりは良いとしこれを設置した。
雨でぬれたら次に座れぬとトタン製覆いを作成して、雨と夜露の対策とした。
数日はこれで過ごしたが、破てたスポンジとビニールが気に入らぬ。
座面形状に板を切り抜いて、木工ボンドで貼り付けてすべて木製の椅子に変身させた。
これなら常時おきっぱなしが可能で、見栄えが良い。
トタン製の覆いは捨てずに今でも残っている。

当初計画した屋外に出る装置一式である。
外に出てみると涼風に吹かれ気持ちが良い。
なかなかよくできたと大いに自賛している。



2022年6月14日(火)
マウスポインターを見つける方法
常用パソコンの更新 こちら→(2022/6/3)
に関係する話である。
未だ正規のディスプレイは届かず、代用のテレビで操作をしている。
粗方の設定を終わり、以前のパソコンは「Summer room」へ移動したので、通常作業は代用のディスプレイながら新パソコンで実行している。
動きは早く快適な環境を得たと喜んでいるのだが、ただ一つ思わぬ事態に出会うことになった。
マウスポインターが行方不明になるのである。

以前のパソコンでもなかった無かったわけではないが、新しいシステムはディスプレイが32インチとかなり広い。
その性もあって、マウスポインターが現在どこにあるのか分らず、マウスをぐるぐる移動してポインターの位置を探す操作が頻繁に起こる。
それでも分れば良いが、何度やっても分らない時も出てくるのである。

何か良い手はないかと探すことにした。
ネットで探すと2、3件ヒットする。それぞれ試してみたが結局これという方法が見つけられずに数日経過している。

今日は雨で外仕事にならず、パソコン作業を実施することにした。
そのうち、また、ポインターが行方不明になる。
もう一度ネットを探すことにした。

そして見つけたのである。 こちら→
このサイトは先日も見たのであるが、その時は意味が理解できず、読み飛ばしていた。
今日改めて見て、なるほどと合点したのである。
まことに巧妙な方法であった。


最初の手続きであるマウスポインターの設定(写真左)は、よく知られた方法で、「ポインターを自動的に規定のボタンの上に移動する」にチェックを入れる操作であるが、これにチェックを入れると、例えば「はい」と「いいえ」を決定するような画面で「はい」のボタンの上にポインターが自動的に来るのである。
具体例でいえば、デスクトップ画面上にあるアイコンを削除する行為を行うと、飛び出してきた削除画面の「はい」の上にポインターがくる。
ここまでは承知していて、Kも先のチェックは入れているのである。

何が巧妙かというと次の手順である。
マウスポインターが行方不明なのでマウスは使えない。代わりにキーボードを使う。

ショートカットキー操作という方法があって、キーボードのボタンを組み合わせて同時に押し何らかの行為を行うのであるが、この時「ウィンドウズボタン」と「Rボタン」を同時に押す。
そうすれば画面の左下に「ファイル名を指定して実行」という画面が表示される。
この画面は、何か具体的なプログラムを呼び出すための一手段なのであるが、ここではプログラムを呼び出すために画面を出したのではない。
行方不明になったマウスポインターを画面上の「OK」ボタンの上に引き寄せるために、この画面を出すのである。(写真右)

やってみると面白いくらいに、ポインターは必ず「OK」の上にくる。
本来の目的とは異なる目的のために道具を使うという、Kにはできない巧妙高等技術であった。
もはや、マウスポインターを探すため何度もぐるぐるマウスを動かす必要はない。
数日の悩みが解消されてすっきりした。



2022年6月13日(月)
「Summer room」 その3
昨日の続きである。
壁面の飾りについて触れてみる。

整備前は、当時仕事をしていた「シルバー人材センター」のポスターと当時のカレンダーが貼ってあったが、も少し曰くのあるもので飾ろうと考えた。

最初に思いついたのがMの油絵である。
神岡時代を中心に熱心に油絵を描いていた時期があって、その中の1枚を飾ろうと思いついた。
Mにいうと「いいよ」という。どれにするか若干迷ったが、青系でまとまった瓶の絵にすることにした。
岐阜県展に入選した絵のはずである。入口ガラス戸と同じ壁面に置くことにした。


Mのものを飾るなら負けじとKのものをと考える。

Kも一時「書」(習字)をやっていた時があって、それはやはり神岡時代である。我が家の歴史メモを見ると52、3歳の時に当たる。
その時は、書のほかに篆刻や表装、額装の技法も一緒に独学していて、その当時製作した書の額が何点かある。
その中から2点選んで並べることにした。
書も落款(印)も表装もそして額もすべてKの手によるものである。書いた文字の内容は二つとも良寛のもの。
入口を入って、左と右の両側に配置した。

入口を入って左側にもう一つ小さな絵の額を置くことにした。額の歴史から言えば一番古いもので独身寮で飾っていた記憶がある。
時折り出して飾り、神岡時代も飾っていた。
ただいまは、2階自室の隅で眠っている。これを持ち出すことにした。
平山郁夫の絵の写真である。

昔からのもの、という以外何の記憶もない。
今回、掲示を機に額をばらしてみた。


絵の裏側が出る。「新潮ギャラリー」とあるから「週刊新潮」に載ったものであろう。
絵のタイトルは「黄気」とある。
そして若き日の平山氏の写真も載っていた。
絵や氏の紹介記事も載っている。中には「今や日本画壇のホープと目される一人」という文言もある。
これらの記載や氏の年表を参考にして、この記事の発行年を推定すると、氏が芸大の教授に就任する 以前の昭和45,6年のものと思われる。
となると、写真の氏の年齢は40、41歳。
そしてKは独身寮に住まいしていて、記憶とも一致する。

週刊誌に載っていた写真といえど、こうなってくると大いに曰く付きの絵に思えてきた。

これで部屋の恰好が大分ついてきた。
ただこのほかに、壁面以外の改造も行っているが、その説明は次回にまわすことにする。



2022年6月12日(日) らべる612
「Summer room」 その2
一昨日の続きである。

この小部屋の再整備を思い立ったきっかけに、常用パソコンの更新がある。 こちら→(2022/6/3)
更新するのもいいが、まだ動くこれまでのパソコンをどうするか迷っていた。
捨てるのももったいない。
どこかで使えないかと考えた折り、「そうだ、この部屋を再整備して、設置すればよい」と思いついた次第である。

Mにいうと、「いいけど、分別ごみの置き場所は考えてよ」と念を押された。
分別ごみの中には動物に荒らされるものもある。この小部屋にはドアが付いていてこの点の問題はない。これに代わるもの、という指摘である。

ちょっと難題で、いろいろ試案しているときに見つけた場所がある。
納屋の一角に大きな戸棚があり、前側には戸が付いている。中を見ると整理ができそうな物が大半であった。
そのころ、”納屋を整理”という話題が別にあって、この納屋の整理の一環として戸棚の整理もすればよい、と思いついたわけである。
以前納屋の整理をしたとき こちら→(2022/5/26)
”整理の意義”と記載しているのはこのことである。

戸棚の中の品はMの管理物が中心で、事前にMにいうと、納屋の整理時にちゃんと戸棚は開けられた。
今では、分別ごみはこの戸棚に収容できるようになっている。


次の課題はパソコンの処理であった。
当地の転居以降で使わなくなったパソコンの大半がこの部屋に残っている。
台数にして、デスクトップパソコンが2台、ノートパソコンが4台、そしてワープロ1台である。
処分しよかと随分迷ったが、「小型家電処理法」との関係もあってむやみには捨てられず、また”骨董的”価値もある昔のパソコンもあって、とりあえずは「別棟」の一角にまとめて置くこととした。

もう一つの課題は避難食と避難水である。
これらの品を当該の小部屋に置くようにしている。 こちら→(2018/10/26)
ただしよく考えてみると、避難食類は納屋に置くより「別棟」に置くほうが合理的で、今回を機に保管場所を「別棟」に変更した。入口に近い箇所に置き、ビニール袋をかけて保管した。
避難水は水を更新して保管することとし、一旦納屋に保管して水を使い切り、詰めなおして「別棟」に移動する予定でいる。

以上のような手続きを経て、この小部屋は「物置部屋」の機能から脱することができた。
後は住み心地の改善作業になる。



2022年6月11日(土) ラベル611
「暮らしの手帖」 蔵書リスト
先日、昔発行された古い「暮らしの手帖」があると記載した。 こちら→(2022/6/8)
邑南町図書館の石見分館である。

図書館の蔵書は、図書館のホームページを開いて検索すれば有無がわかるようになっていて、先日検索してみた。
ところが出ないのである。
借用して手元にある号を検索してもやはり出ない。理由は不明であるが、この古い「暮らしの手帖」は、未だリスト化されていないようである。
ならば、行くしかないと、石見分館までいってきた。

図書館の受付でわけを話すと、「保管庫でのあり場所は、自分には分らない」と返事があった。平日なら正規職員がいて説明できるが、ご本人は休日担当の職員で深くは理解できていないと説明される。
無駄足であったかと一瞬失望したが、その職員さんは「ここにも一部ある」と指さされた。

受付カウンターのすぐ脇の、台の上である。
その台の上に古い「暮らしの手帖」が並んでいた。

「あるじゃないの」と内心喜ぶ。
写真を撮らせてもらいたい、と断って撮ってきた。


全部で45冊ある。
解析していないので詳しいことはわからないが、ざっと見て、3つの年代に分かれているようである。
「暮らしの手帖」は季刊誌で年に4回発行される。
45冊といえば、ざっと10年分である。
貴重な資料に思われた。

先の職員さんは、他にあるのか分らないとおっしゃるが、おそらくこれで全部であろう。
存在号数はこれでわかるので、号数を指定すれば(近くの)本館で取り寄せてもらえる。
も少し調べて、折々借りることにしよう、と思っている。



2022年6月10日(金) ラベル610
Summer room」 その1
裏の納屋にある小部屋の話である。

場所を示すと駐車場の奥で、一昨日のDIYの写真を再掲すれば、仮の作業場とした箇所の奥に当たるガラス戸の向こう側である。


引っ越して間もなく納屋の改修をしたとき、K用の部屋として作ったものである。
しかしながら、一時は使用したものの、その後はほとんど使わず物置部屋と化していた。


この部屋は、里庭内にあっては一番涼しい場所で、 こちら→
この度思いついて、特に夏場用の部屋として、再整備することにした。

思いついて以降時間のある時少しづつ手をかけ、2週間余を経てこの度ようやく完了した。
なかなか良い出来と自賛している。

その間の経緯を報告することにした。
タイトルの「Summer room」は、今回再整備の成果として部屋につけた名前である。
当初は「避暑室」と名づけようとしたが、「秘書室」と紛らわしいので、辞書で引いて英訳した。

報告は、複数回になるはずである。



2022年6月9日(木) ラベル609
グランドゴルフ参加
老人会のグランドゴルフ大会に参加した。

会長の挨拶によると、コロナで2年間中止気味であったが、ことしは3回元通りに行う予定と報告された。
今日は、その第1回。
6月末に行われる邑南町大会に参加する人を選ぶ、旧瑞穂町の予選会であるという。
今日の参加者は約90名。そのうち上位50名が町大会へ参加できることになる仕組みであった。
八色石からは男性のみ5名が参加。



開会式は少し早めの8時40分から始まり、閉会式を11時40分から行う会食なしの予定であった。
以前は、1ラウンドを午前中、2ラウンドを午後行うという形式で行われていて、この変化はコロナの影響であろう。

さて成績である。
Kは自分では「ひどくはない」と思ったが、2ラウンド合計が55打で77位。八色石参加者では一番悪い成績であった。
中には4位という好成績の人もいる。
49位に入った人がいて、聞けば打数は53打とか。
50打あまりの所に多くの人が集中していて、1、2打で順位に大きな差が出る。
同じ打数の人の順位わけは、打数の少ないホール数が多い人が順位が上。さらにそこで差がつかなければ、歳の多い人が順位が上、さらには性別の差も考慮されるらしい。

50位に入るつもりは端からなかったが、ここらあたりの欲のなさが生き方として弱いところであろう。



2022年6月8日(水)  ラベル608
M要望のDIY 2台目
Mが要望する濡縁製作の話である。
1台目  こちら→(2022/5/31)
に続き2台目を製作した。

一昨日から久方ぶりの雨が続き、、これを機に集中的に事に当たった。


要した時間は、切断3時間(6日AM)、組み立て3時間(6日PM)、組み立て5時間(7日AM,PM)、そして本日午前中に仕上げ調整2時間の計13時間であった。

1台目制作時に比べ製作要領も分かっていて、スムースに事が運んだ気がしたが、製作時間を比べると今回が特に短くはなっていない。

出来上がった結果にMは大いに満足らしい。
続けて2台を拡張したいといい始めている。

気を張り詰めて行う作業で、作り終わると疲労感が残る。
あと2台と思うと、先が思いやられる。

後の作業は再度材料発注からになり、も少し先になる。



2022年6月7日(火) ラベル607
暮らしの手帖 小さな本立て
図書館で以前借りた「暮らしの手帖」の巻末のページに載っている宣伝である。
興味が起きて写真に撮っておいた。


ユニークなデザインであるが、これなら3600円も出さずに自分で作れる、と思ったわけである。
ベンチを作ったお陰で妙な自信がつき、勝手に制作方法の案を頭に描いたりする。
どこかで作ることもあろう。

もう一つ別の興味が起きた。
記事に「1953年のページ」とある。
どのような形で掲載されたのだろう、という興味である。記事を見る方法はないかと思い始めた。
1953年といえば昭和28年、ほぼ70年前である。もはや市場には出回っていないであろう。

それならどうするか。
町の図書館なら探してくれるかも、と前回訪れたとき相談してみた。
司書に相談すると「あるかも」と返事がある。町の図書館の石見分館に寄贈を受けた古い「暮らしの手帖」が保管されているらしい。
「何号?」と質問があって、事前に調べた「1953年の最終号である22号」と返事をした。
記事には1953年としか記載がないので、とりあえず最終号としたわけである。
すぐに調べがついて、「22号はある。取り寄せておく」と返事があった。
翌日には「取り寄せた」と連絡があって取りに行く。

古色蒼然とした「暮らしの手帖」であった。
興味を引く記事が数多あるが、これはさておき、「本立て」を探す。
しかしどこにも「本立て」の記事は載っていなかった。
ところがありがたいことに、22号以前に発刊されたバックナンバーの紹介記事が載っていて、その「本立て」は21号に載っているとある(このようなこともあるかもと、最終号を選んでおいた。狙い的中である)。

翌日また図書館に出向き21号を探してもらうと、「これもある」という。
取り寄せを頼んで、さらに翌々日21号を入手した。

いま、21号と22号が手元にある。
そして「本立て」の記事も手に入れた。


背に切り込みを入れて台とつなぐ方法がとってある。少し面倒な工法。
当時は「木ねじ」がなく、強度保持のためにとった策かもしれない。



2022年6月6日(月) ラベル606
五郎ワールド
今日は終日ほとんど雨。
濡縁の2台目作成に着手したが、こちらは完成の暁に報告のこととして、若干以前の話題。
久しぶりの「五郎ワールド」である。


2日前の読売に掲載された。
俳句と和歌を介して二人の知人の生き様を紹介する。

乳井(にゅうい)氏、一瞬亡くなった方かと勘違いしたが、ネットで見ると存命の方でKと同じ1944年生まれとか。読売を退職後は大学の先生などをされている。
  名月を言いわけにして酒少し
がほほえましい。
Kの飲む言いわけは句にはならない。健診結果のγ-GTPである。

鶴見和子氏は鶴見俊輔氏のお姉さんらしい。Kはあまり承知していない。
  おもむろに自然に近くなりゆくを老いとはいわじ涅槃(ねはん)とぞいわむ
こういう気位を持ちたいと思いつつ、拝読した。

五郎氏のコラム結びの文はまさに同感。
Kも「悔いのない日々にするため努力しよう」と自分に言い聞かせたところである。
久々に”五郎節”に出会えた気がした。



2022年6月5日(日) ラベル605
集落行事 初夏の草刈り
毎年この時期(6月初旬の日曜日)に行われる、保養館周辺と立岩神社の参道回りの草刈りが行われた。
もっとも、保養館周辺が中心で、神社に行くのは3名である。
今回参加者は全部で14名で、したがって保養館周りで作業したのは11名となる。

草刈りはお盆前にもう一度行われるが、6月の場合Kはいつも剪定用の電動バリカンを持って行く。
上にグランドがあって、そこに通じる道の両側と建物の前のツツジやサツキはKがバリカンで剪定する。


8時に集合して作業が終了したのは11時を過ぎていた。
昔は2時間余りで終わっていた気がするが、参加者が減り加齢も加わって、時間が伸びる結果になったとも思われる。

顔ぶれがわかる皆が集まった写真を取り忘れた。

今日は雨が予想されていて、作業が終わる11時ころから降り始めた。
一番良いパターンになった。

余談;一昨日記述の新パソコンの設定がかなり進み、本記事の投稿は当該新パソコンから発信しする(ことにしている)。



2022年6月4日(土) ラベル604
雨が降らない
好天が続く、ということになるが、逆に言えば水不足の傾向が強い。
近年の傾向のようにも思われるが、低気圧が日本列島の南側を通り、九州南部や四国そして紀伊半島方面は雨が降るが、低気圧から離れた山陰は雨がひどく少ない。

田植えが始まるころから、「水が足らない」と稲作をする集落の知人から聞いていて、大変だなと思いつつも、我が身に直接関係がないので、聞き流すこともないではなかった。

ところがここにきて、我が方にも影響が出始めてきた。
山水が減ってきているのである。


裏山からの水が細ってきたので、どこか詰まったかと点検に行けば、詰まったのではなく水そのものが無いのである。
すぐ近くを流れる小川を覗いても、水はほとんど流れずよどんでいるようにも見える。

それでも、田植えがほとんど終了したので、水が減っても大丈夫かと、先の知人に聞けばそうではないらしい。
田植えの終わった今ころが一番水が欲しいのだと宣う。稲の分蘖(ぶんけつ)には水が必要なのだという。
分蘖とは稲の根に小さな芽が出て稲の穂数が増えることを言うのだが、株の根が水に浸かっていないと分蘖しないらしい。
「困ったものだ」と知人は嘆いていた。

そして我が身にも「困ったものだ」が起きてきた。
4月に実行した「別棟の雑草対策」 こちら→(2022/4/18)
が不成功に陥りそうなのである。
移植した芝の株が、水不足で根付かず枯れているのである。
この傾向は前から気づいてはいて、様子を見に度々出向いていたが、今日また仔細に見極めてみるとほとんどの株から緑色の部分が亡くなっている。根が枯れ芽も枯れという状態であった。
述べ9日、30時間の作業が無駄になったと思うと少々ショックではある。

これから梅雨が来て、雨が降っても、おそらく復活はしないであろう。

雨が多くなって再チャレンジといっても、株の元を大半掘り取っている。今年は無理である。
来年以降その気が起きるか、甚だ怪しい。

良寛さんは「災難に逢う時節は、逢うが良くて候」と仰るが、今回の災難はそうは言いつつかなり悔しい気が抑えきれない。
まだまだ人間が出来ていない、というしかない。



2022年6月3日(金) ラベル603
常用パソコンの更新
現在我が家で動いているパソコンは3台ある。
2階でKが常用するデスクトップと補助的に使うノートがそれぞれ1台、そして1階で主としてMが使うデスクトップが1台の計3台である。

このうち2階で常用デスクトップを更新することにした。
8年前に購入したもので、タッチパネルが使え手書きで文字を書くこともできるとう優れもの。購入価格は20万円であった。
Windows8.1で購入し、10にバージョンアップしたものである。

更新を決めたにはいくつか理由がある。
(1)昨年Windows11が発売されたが、このパソコンは仕様が古くて11にバージョンアップ出来ないことが判っている。 こちら→(2021/10/27)
(2)外部記憶装置が当該機はHDDであるが、昨今主流のSSDに比べ読み書き速度が遅く、中古で購入した1階パソコン(SSD搭載)よりも動きが遅い。
購入時はなんとも思わなかったが、遅さが気になってきた。
逆に、中古パソコンのよさを認識。
(3)これらの踏まえ、次期購入の仕様を決めた経緯もある。 こちら→(2021/7/4)
(4)Kの存命中では、11が最後のバージョンであろう。この11を経験せずに死ぬのも癪である。

今回購入の仕様は次である。
富士通中古パソコンであるが、CPUがCorei7、メモリーは32GB、外部記憶がSSDの2Tである。
ディスプレイは32インチとした。
先に仮決めした仕様より1段上に設定した。


価格は合計で12万円である。
新規で購入すればほぼ30万円の仕様である。

このうち本体が一昨日納入された。ディスプレイは仕様が特殊なためか納入が6月末ころの予定である。
正規ディスプレイが納入されるまで待っているのも残念で、考えたあげく、普段見ないままのテレビ(32インチ)があり、これを仮のディスプレイにしてパソコンの設定を始めたところである。


流石に速くシャットダウン状態から、20秒弱で立ち上がる。
設定には11独特の部分があるようで、まごつく部分もないではないが、ゆっくり楽しんで行うつもりでいる。
ディスプレイが届くころには終わっているであろう。



2022年6月2日(木)
菜の花の草焼き
5月30日に草刈りをした場所を こちら→(2022/5/30)
草焼きした。
本格的な草焼きは今年になって始めてである。


草刈りして間がないが、好天が続き、いい塩梅で燃えてくれた。
それでも、集めて移動して焼くわけで、2時間の作業になる。

丁度この作業をしている最中に、Mの知人が訪ねて来られた。
Kは挨拶をして、二言三言話しをして場を離れたが、その後もしばらくしゃべり周辺を見て帰られたらしい。
そして帰り際に「まるで柳生博の世界ですね」と感想を述べて帰られたという。

柳生博氏の庭づくりを手本にしてきたKにとっては こちら→(2022/4/22)
これ以上の褒め言葉はない。
ひどく嬉しく思ったところであった。



2022年6月1日(水) Ravel601
庄野潤三 夕べの雲
5月22日(日)読売の読書欄の記事である。
庄野潤三の著作について、読者の感想が綴られている。


「なぜか懐かしく居心地の良さを感じさせて」てくれる、との記述がある。
勿論、庄野潤三氏の名前は承知しているが、これまでに氏の著作を読んだことはない。
読んでみたいという気が起きてきた。

アマゾンで調べると、文庫本なら販売している。ただ、出来ればハードカバーで読んでみたい。
前回図書館に行った折り、取り寄せを頼んでおいた。

数日経って図書館から入手できたとの連絡があり、借り受けてきた。6日前のことである。


県立図書館の所蔵となっている。
奥付けを見ると、講談社刊行で昭和40年3月20日の初版本であった。

山の上の家に移り住んだが、風が強いので防風用の木を植えようとするところから書き始まっている。
住まいの環境は我が家とは大いに異なるが、家の周りに木々を植えようとする行為は我が家と似ている。
偶然の一致と面白く感じて読み始めたところである。

ただ、ここにきて好天も続きかなり忙しい。
なかなかこの本に取り組んでいる時間がとれない。いまだ20ページほど読んだところである。
返却指定日までに読み終えられるか心配になってきた。